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船橋競馬場

船橋競馬場(ふなばしけいばじょう)は、千葉県船橋市(一部施設が習志野市にまたがる)に所在する地方競馬の競馬場。
競馬の主催者は千葉県競馬組合(千葉県、船橋市、習志野市からなる一部事務組合)で、土地・施設はよみうりランドから賃借している。浦和競馬場、船橋競馬場、大井競馬場、川崎競馬場の1都3県の競馬場を南関東4競馬場という。

SPAT4加盟競馬場。
開設当初は競馬用レースコースの内部にオートレース用のダートコースを設備しており、ここで日本最初のオートレースが開催された。

現在まで赤字収支を経験しておらず、地方競馬経営の鑑とされる。
船橋競馬場 コース概要
馬場:左回りで、1周1,400mの外回りコースと、1,250mの内回りコースからなる。スパイラルカーブを採用している。
枠順による有利、不利が少なく、南関東4競馬場の中でもっとも乗りやすいコースといわれている。
レースでは1400mのレースのみ、内回りコースが使用される。しかし、内回りコースは2007年以降は使用されておらず、現在は調教用コースとして使用されている。
直線(4コーナーからゴール板まで):300m
コース幅:外回りコース 25m、内回りコース 20m
距離設定:1000m、1200m、1400m(内)、1500m、1600m、1700m、1800m、2000m、2400m
2400mはダイオライト記念のみで使用される。
2000mは、第3コーナーのポケットからのスタートとなるため近年はほとんど使用されていない。
最大出走頭数(フルゲート): 外回り14頭、内回り12頭
ただし外回りの1200mと1500mはフルゲート12頭である。

ピュアブリーゼ、オークス2着馬は過去10年で3勝の縁起のいい秋華賞

秋華賞にエントリーしたピュアブリーゼは、オークス2着馬。
古賀調教師によると、
 「きのう(9日)坂路で軽くやって、前走後も順調そのもの。1回使ったことで今回は中身が前走とは違う。紫苑S(12着)は開幕週でもあり、みんな考えていることも一緒で…。結果的に厳しいレースになってしまったね」

柴田騎手に、過去に1勝馬の秋華賞Vは一度もないというジンクスをひっくり返す力を期待します。
縁起のいいデータとしては、オークス2着馬は過去10年で3勝もしているというのがありますね。

ホエールキャプチャ

ホエールキャプチャの主な勝ち鞍は2011年クイーンカップ、ローズステークス。
馬名は鯨+捕獲。
父・クロフネの名からの連想で、ペリーが黒船で来航した目的のひとつが、捕鯨の際の寄港地確保であったことに因んでいるとのこと。
ホエールキャプチャ 2010年
7月3日の函館の芝1200mの新馬戦。直線差すも2着に敗れる。続く7月17日未勝利戦は直線差しきり2戦目での初勝利となった。さらに中山のオープン特別の芙蓉ステークスは一転しての逃げ切り、後の2冠馬であるオルフェーヴルを抑え2勝目を飾った。ファンタジーステークスは最後方から直線だけでごぼう抜きも3着惜敗。阪神ジュベナイルフィリーズは2着惜敗となった。

ホエールキャプチャ 2011年
初戦のクイーンカップでは6番手からレースを進めると、直線で力強く抜け出し重賞初制覇した。そして桜花賞は直前でレーヴディソールが骨折離脱したこともあり、押し出される形で自身初の1番人気に推される。レースは後方待機から大外を回って最後の直線でいい脚を使うも、先に抜けだしたマルセリーナを捉えきれず2着に惜敗した。
続く優駿牝馬ではスタートで後手を踏み後方で待機すると直線で脚を伸ばしエリンコートと逃げたピュアブリーゼとの争いとなったがエリンコートの3着に惜敗した。
夏を過ごした後の休養明け緒戦に選んだローズステークスでは1番人気に応えて勝利した。

福永祐一騎手!今期100勝達成おめでとうございます!!

毎日王冠で福永祐一騎手はダークシャドウで勝ち、今季100勝目を挙げました。
シルポートの逃げを追い、直線でのたたき合いが見ごたえありました。
ダークシャドウは、あの位置からよく差し切れましたね。福永騎手も、冷や汗たらたらだったでしょう。
本格化しての秋の天皇賞GI挑戦、楽しみです。
天皇賞では、何番人気になるでしょうか?
ブエナビスタ、アーネストリー、ローズキングダム、エイシンフラッシュ、ルーラーシップの次くらいかな?

しかし4歳は層が厚いですね。

福永 祐一 エピソード

福永 祐一エピソード
父・洋一の兄弟である伯父には競馬関係者が多い。

長兄・甲はJRAの元騎手・元調教師、次兄・二三雄は大井競馬の元騎手、三男・尚武は船橋競馬の元騎手である。洋一は四男。
母の弟である叔父にも元・騎手の北村卓士がいる。
子供の頃から栗東の福永家は武家と隣同士であり、武豊(豊は厳密には京都市伏見区出身)や武幸四郎とはご近所さんの間柄だった。

しかし、直前に負った足の骨折で体力試験をパスできずに不合格。これにより福永は幻の11期生となったが、その後1年間近江兄弟社高等学校に通い、翌年に再受験し合格したため、1歳年上の細江純子以外の同期生は福永より1歳年下である。
また2・3歳戦が得意で、そのことは本人も自負している。実際、2・3歳の重賞(特に牝馬限定戦)でも上位の戦績を誇る。

特に2002年は2歳馬のGI(阪神ジュベナイルフィリーズ:ピースオブワールド、朝日杯フューチュリティステークス:エイシンチャンプ)を両方とも制覇している。
優駿牝馬(オークス)では2004年から4年連続連対(3勝2着1回)という驚異的な成績を残していた。

2007年の同競走を外国産馬のローブデコルテで勝利した時のTV中継での勝利インタビューで、「オークス3勝目、相性いいですね」の問いに対して「新オークス男です」と語った。
小倉で行われる2歳オープン戦・フェニックス賞に強く、2001年から2007年までで6勝2着1回という成績を残し2003年から2007年まで5連勝を記録していた(これは武豊の若駒ステークス5連勝、河内洋の万葉ステークス5連勝に並ぶ同一特別競走の最多連勝タイ記録である)。

本人曰く「フェニックス男」である(ABCラジオ・オン・ザ・ターフ!より)
なお2007年は後述のとおり主戦を務めた前年の北橋厩舎に続き瀬戸口厩舎が解散することで(両厩舎とも夏競馬は小倉競馬場を主戦場にしていた)、夏競馬については新潟競馬場を主戦場にする旨を仄めかし(実際にその通りにしていた)、記録達成する意思が無いように述べていたが、ビーチアイドルの前走に騎乗した武豊が欧州遠征でフェニックス賞に騎乗出来ないために、祐一が騎乗することとなり、5連勝・7年連続連対を達成した。

2007年の天皇賞・秋ではカンパニーに騎乗したが最後の直線でコスモバルクが左右によれたことにより不利を受けたとされ、地方競馬所属で同馬の騎手である五十嵐冬樹に対し「コスモバルクは毎回、毎回やっている。五十嵐さんはG1に乗る騎手じゃない。

と発言したと報道され一部で物議を醸したが、本人はこの発言を否定している。
逆に翌年の日本ダービーで、福永はモンテクリスエスに騎乗し1コーナーでかなりの斜行をしている。

被害馬は同レース3着のブラックシェルであったが、騎乗していた武豊騎手は「1コーナーをスムーズにいければあるいは…」という談話を残している。
テレビゲームマニアで、幼少の頃は信長の野望シリーズや三國志シリーズ(どちらもコーエー)に熱中していた他、「イメージトレーニングのため」と称して『ジーワンジョッキー』シリーズ(コーエー)をプレイすることが多いという。

『ジーワンジョッキー』ではゲーム中に自分自身が実名で登場するため、自分の名前ではなくエディット機能を使用して父・洋一の名前でプレイしている。
小学校時代、体育で縄跳びが苦手で、二重跳びが全くできなかった。

これは2010年4月18日に中山(皐月賞終了後)のファンイベントで明らかになったものだが、そのイベントで二重跳びが1回だけだが成功した。
2010年5月10日に高知競馬場で行われた第1回「福永洋一記念」(父の名を冠したレースが、息子である本人の熱意によって実現)。

福永 祐一 騎乗成績

福永 祐一 騎乗成績
日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初騎乗・初勝利	1996年3月2日	1回中京1日3R	4歳未勝利	マルブツブレベスト	16頭	1	1着
重賞初騎乗	1996年3月2日	1回中京1日11R	中日新聞杯	オグリワン	16頭	6	15着
重賞初勝利	1997年11月15日	5回東京5日11R	東京スポーツ杯3歳S	キングヘイロー	12頭	1	1着
GI初騎乗	1996年10月20日	4回京都6日10R	秋華賞	シーズグレイス	18頭	12	6着
GI初勝利	1999年4月11日	2回阪神6日11R	桜花賞	プリモディーネ	18頭	4	1着
年度	1着	2着	3着	騎乗数	勝率	連対率	複勝率	表彰
1996年	53	49	45	518	.102	.197	.284	JRA賞(最多勝利新人騎手)
1997年	62	59	56	692	.090	.175	.256	
1998年	52	52	55	635	.082	.164	.250	
1999年	43	39	31	398	.108	.206	.284	
2000年	84	71	61	660	.127	.235	.327	
2001年	81	68	69	749	.108	.199	.291	
2002年	89	62	78	722	.123	.209	.317	JRA優秀騎手賞
2003年	83	78	67	696	.119	.231	.328	
2004年	96	81	96	771	.125	.230	.354	JRA優秀騎手賞
2005年	109	70	81	811	.134	.221	.321	JRA優秀騎手賞
2006年	88	69	87	820	.107	.191	.298	JRA優秀騎手賞
2007年	82	80	67	744	.110	.218	.308	
2008年	86	70	86	804	.107	.194	.301	
2009年	93	82	89	825	.113	.212	.320	
2010年	109	108	82	809	.135	.268	.370	
中央	1210	1038	1050	10654	.114	.211	.310
地方	55	55	61	402	.137	.274	.425
騎乗成績
日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初騎乗・初勝利	1996年3月2日	1回中京1日3R	4歳未勝利	マルブツブレベスト	16頭	1	1着
重賞初騎乗	1996年3月2日	1回中京1日11R	中日新聞杯	オグリワン	16頭	6	15着
重賞初勝利	1997年11月15日	5回東京5日11R	東京スポーツ杯3歳S	キングヘイロー	12頭	1	1着
GI初騎乗	1996年10月20日	4回京都6日10R	秋華賞	シーズグレイス	18頭	12	6着
GI初勝利	1999年4月11日	2回阪神6日11R	桜花賞	プリモディーネ	18頭	4	1着
年度	1着	2着	3着	騎乗数	勝率	連対率	複勝率	表彰
1996年	53	49	45	518	.102	.197	.284	JRA賞(最多勝利新人騎手)
1997年	62	59	56	692	.090	.175	.256	
1998年	52	52	55	635	.082	.164	.250	
1999年	43	39	31	398	.108	.206	.284	
2000年	84	71	61	660	.127	.235	.327	
2001年	81	68	69	749	.108	.199	.291	
2002年	89	62	78	722	.123	.209	.317	JRA優秀騎手賞
2003年	83	78	67	696	.119	.231	.328	
2004年	96	81	96	771	.125	.230	.354	JRA優秀騎手賞
2005年	109	70	81	811	.134	.221	.321	JRA優秀騎手賞
2006年	88	69	87	820	.107	.191	.298	JRA優秀騎手賞
2007年	82	80	67	744	.110	.218	.308	
2008年	86	70	86	804	.107	.194	.301	
2009年	93	82	89	825	.113	.212	.320	
2010年	109	108	82	809	.135	.268	.370	
中央	1210	1038	1050	10654	.114	.211	.310
地方	55	55	61	402	.137	.274	.425

福永 祐一 成績

福永 祐一 成績

福永 祐一 GI・JpnI競走勝利
(斜字は統一GI、太字は海外GIを指す)
1999年
桜花賞 - プリモディーネ
朝日杯3歳ステークス - エイシンプレストン
2001年
香港マイル - エイシンプレストン
2002年
クイーンエリザベス2世カップ - エイシンプレストン
JBCスプリント - スターリングローズ
阪神ジュベナイルフィリーズ - ピースオブワールド
朝日杯フューチュリティステークス - エイシンチャンプ
2003年
クイーンエリザベス2世カップ - エイシンプレストン
2004年
高松宮記念 - サニングデール
優駿牝馬 - ダイワエルシエーロ
2005年
フェブラリーステークス - メイショウボーラー
桜花賞 - ラインクラフト
NHKマイルカップ - ラインクラフト
優駿牝馬 - シーザリオ
アメリカンオークス招待ステークス - シーザリオ
朝日杯フューチュリティステークス - フサイチリシャール
2006年
エリザベス女王杯 - フサイチパンドラ
2007年
優駿牝馬 - ローブデコルテ
2010年
阪神ジュベナイルフィリーズ - レーヴディソール
JRA・GI 14勝(海外GI4勝、交流1勝)

ビービーガルダン放馬はびっくり

スプリンターズステークスはまさかのビービーガルダンの放馬がありましたね。

断然人気だったロケットマンも4着に敗れ、外国馬が1頭も馬券に絡みませんでした。

スプリンターズステークスで馬券になったのは、実は、みんな4歳馬です。

カレンチャンもパドトロワもエーシンヴァーゴウも4歳馬です。4歳馬からは、今後、目が離せませんね。

ビービーガルダンは、
主な勝ち鞍は2009年阪急杯、キーンランドカップ。
馬名の「ガルダン」はSFロボットプラモデル「太陽系戦隊 ガルダン」より由来する。
体質が弱く復帰後してからも骨膜炎のため成績を残せずにいたが、4歳春頃より症状も良化、回復後はそれまで条件クラスでもたついていた鬱憤を晴らすかのように3連勝。8月には札幌競馬場芝1200mのレコードを8年ぶりに更新し重賞初挑戦のキーンランドカップでは2着、さらにスプリンターズステークス3着と結果を残し、夏の上がり馬として短距離路線の一員に名を連ねた。
年明け初戦の阪急杯では、前走京阪杯の敗戦に加え1400mでの実績の無さをメディアで懸念され7番人気と評価を落とすも、連覇を目論み直線先に抜け出したローレルゲレイロを捕らえ優勝、待望の重賞タイトルを手中にする。
主戦安藤勝己のドバイ騎乗により武幸四郎に乗替となった高松宮記念では4番人気に推されたが初の左回りに終始苦戦、4角では外に膨らむ等左手前で走ることができないまま16着と大敗を喫した。

その後の2009年8月30日、4ヶ月休養して札幌競馬場のキーンランドカップに出走し、これまでの不振がウソのような鮮やかなレース運びで1着入線し、重賞2勝目を飾った。そして、10月4日のスプリンターズステークスに出走。

レースでは好位追走から直線で外から追い込み、逃げ込みを図ろうとするローレルゲレイロと共に2頭が並んでゴール板を駆け抜けた。レース終了から10分近い写真判定の結果、ハナ差の2着に敗れた。

11月3日、初のダートレースとなったJBCスプリントは、4コーナーで折り合いを欠き6着に敗れた。
2010年の緒戦は連覇のかかった阪急杯から始動。

2番手でレースを進めたが直線で失速し7着に敗れた。3月28日の高松宮記念は最後の直線で追い込みを見せたが、キンシャサノキセキにハナ差及ばず2着に敗れた。

3ヶ月の休養を挟んで、7月4日の函館スプリントステークスに1番人気で出走、中団から脚を伸ばしてくるもワンカラットの2馬身差の2着に敗れた。連覇をかけて挑んだ8月29日のキーンランドカップでも1番人気に推されたが、スタートで後手を踏んだのが響いて4着に敗れた。

安田記念では中団からレースを進めたが直線ではまったく伸びず15着と大敗。キーンランドカップでは好位から渋太く脚を伸ばしカレンチャンのクビ差の2着となった。

バーディバーディ

バーディバーディは日本の競走馬。

勝ち鞍に2010年ユニコーンステークス等ダート重賞2勝。馬名の由来はゴルフ用語「バーディー」から。
時期や輸送面等を考慮され辞退となったがUAEダービーへの招待を受けるなどダート戦では早くにその実力を発揮した。
バーディバーディは池江から「もともと芝で期待していた馬」と評され[2]、ここまでの勝ち鞍は全てダートながら春先はクラシックローテーションを組まれる。

ユニコーンステークスでは好位の4番手を追走し、直線に入りバトードールとの叩き合いになったが、残り200mでバトードールを一気に突き放し、2馬身半差をつけて快勝した。本番のジャパンダートダービーでは2番手追走も直線で伸びを欠き6着に終わった。

秋はマイルチャンピオンシップ南部杯から始動、道中好位を追走するも直線で伸びあぐねて5着に終わった。続く武蔵野ステークスでは中団追走も直線で伸びを欠き6着、ジャパンカップダートでは逃げるトランセンドをマークしながらレースしたが、直線で伸びあぐねて4着だった。

東京大賞典ではスマートファルコンの3着に入った。
バーディバーディ4歳
2011年はフェブラリーステークスから始動、中団から渋太く脚を伸ばしたがトランセンドの3着。

続く東海ステークスでは好位を追走したが直線で伸びあぐねて6着、オアシスステークスでは後方から渋太く脚を伸ばすも3着だった。帝王賞では4番手のインに位置したがスマートファルコンの3着。

ベッティングシステム

ベッティングシステム 独立事象のもの

例えばルーレット、クラップスのような、前回の結果が今回に影響しないようなゲームである。

プラス、マイナスともに目標値を設定し、そこで終了するのは良い考え方とされている。
ちなみに、分散を最大にする方法は、許される最大単位を最大のオッズに賭けることであり、最小にする方法はそもそもプレイをしないことである。

以下に代表的なベッティングシステムを挙げる。特にルーレットにおいては、マーチンゲールのバリエーションを始め過去から数限りないベッティングシステムが提案されてきた。

ここで、これらのシステムは勝つことでなく、あくまで楽しみを増すためのものであることに注意を喚起しておく。
これらは基本的に、2倍賭け、つまりルーレットで言う赤か黒か、丁半でいう奇数か偶数か、などに適用されるが、どのようなオッズのゲームであっても、例えば競馬やスポーツベットのような可変オッズのゲームでさえ、ベットの相対量を加減することによって応用可能である。

マーチンゲール
最も古典的かつ有名な手法で、カジノ必勝法として永らく愛されてきた。倍賭け法とも言われる。
まず1単位賭け、負ければその倍の2単位、さらに負ければそのさらに倍の4単位、と賭けていき、一度でも勝てばただちに1単位に戻す、という手法である。試行回数に関係なく、勝った時には1単位を得ることになる。
多くの場合には少額の勝ちであるが、負ける時は大敗する。負けが連続するとたちまちパンク、もしくはテーブルリミットと呼ばれる賭けの上限に達してしまう。

グランマーチンゲール
マーチンゲールのバリエーションの一つである。大マーチンゲールとも呼ばれる。
まず1単位賭け、負ければその倍の2単位+1の合計3単位、さらに負ければ倍の6単位+1の合計7単位、と賭けていく手法である。常に試行回数×1単位を得ること狙う攻撃的な手法。

マーチンゲールよりパンクのリスクは高くなる。
パーレー
逆マーチンゲールとも呼ばれ、その名の通りマーチンゲールの反対の手法をとる。
すなわち、1単位賭けた後、勝てばその倍の2単位、さらに勝てばその倍の4単位、負ければ1単位に戻す、という手法である。分散はマーチンゲールの鏡対照となる。
稀に大勝するが、多くは小敗してしまうスタイルである。
ダランベール
ジャン・ル・ロン・ダランベールが開発したと言われる手法である。

近年はこの手法およびバリエーションに人気がある。
負けた場合にベットを倍にするマーチンゲールとは異なり、負けた場合に1単位だけ増やす手法である。

グランマーチンゲールに倣って、増減に偏りをつけるバリエーションもある。
ピラミッド
ダランベールのバリエーションの一つである。

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