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ファンタジーステークス

ファンタジーステークス
開催地	京都競馬場
施行日	2011年11月5日
施行時期	11月上旬
(原則5回京都1日目)
格付け	GIII
1着賞金	3000万円
賞金総額	5700万円
距離	芝・外1400m
出走条件	サラブレッド系2歳牝馬(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	馬齢(54kg)
第1回施行日	1996年11月2日

ファンタジーステークス (Fantasy Stakes) は、京都競馬場の芝外回り1400mで施行する競馬の重賞(GIII)競走。
競走名は英語で「幻想」「空想」を表す「Fantasy」から。
1月に施行される3歳(旧4歳)牝馬限定オープン特別競走である紅梅賞(現紅梅ステークス)からKBS京都の冠競走を引き継いでおり、正式名称は「KBS京都賞 ファンタジーステークス」と表記される。

ファンタジーステークス 概要
1996年に阪神3歳牝馬ステークス(現:阪神ジュベナイルフィリーズ)の前哨戦の位置付けとして新設された。
中央競馬では独立UHF局が冠競走となっている唯一の重賞である。KBS京都は1969年のアナログテレビ放送開始以来、自社制作の競馬中継番組を西日本各地にネットしており、放送対象区域外である中京・阪神・小倉にもスタッフを派遣している。また、日曜日のKBS京都の競馬中継は通常は15時 - 16時まで中断するが(この時間帯は関西テレビが中継)、本競走が日曜開催であった2000年から2009年までは、KBS京都に限り中断なしで本競走が放送された。
おもに早い時期から好成績を残してきた有力2歳牝馬が出走している。優勝馬のうち、プリモディーネが桜花賞、ラインクラフトが桜花賞、NHKマイルカップを、スイープトウショウが秋華賞、宝塚記念、エリザベス女王杯を優勝したほか、ロンドンブリッジが桜花賞で2着に入るなど、牝馬三冠路線で活躍する競走馬や、アストンマーチャンのように3歳ながらもスプリンターズステークスで古馬や牡馬を負かす競走馬も輩出している。
現在の優勝レイの配色は、薄紫色の地に黄色文字となっている。
出走資格はサラ系2歳(旧3歳)牝馬のJRA所属馬、阪神ジュベナイルフィリーズ出走候補の地方馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は馬齢重量で54kgである。
2011年現在の総額賞金は5,700万円で、1着賞金:3,000万円、2着賞金:1,200万円、3着賞金:750万円、4着賞金:450万円、5着賞金:300万円と定められている。

ファンタジーステークス 歴史
1996年 - 京都競馬場の芝外回り1400mの3歳(現2歳)牝馬限定の混合競走・指定競走の馬齢重量の重賞(GIII)競走「ファンタジーステークス」として創設(地方馬の出走枠は2頭まで)。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「3歳牝馬」から「2歳牝馬」に変更。
2006年 - 武豊が騎手として史上初の連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴い、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2008年 - 元地方ホッカイドウ所属のイナズマアマリリスがJRA転厩馬として史上初の優勝。
2010年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
施行日を日曜日から土曜日に変更。
2012年 - アルテミスステークス創設に伴い、開催時期を1週遅める。

ファンタジーステークス 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1996年11月2日	シーズプリンセス	牝2	1:21.2	四位洋文	伊藤修司	齊藤敬
第2回	1997年11月1日	ロンドンブリッジ	牝2	1:21.2	松永幹夫	中尾謙太郎	(有)下河辺牧場
第3回	1998年11月7日	プリモディーネ	牝2	1:21.7	福永祐一	西橋豊治	伊達秀和
第4回	1999年11月6日	テネシーガール	牝2	1:22.1	山田和広	坪正直	平井豊光
第5回	2000年11月5日	タシロスプリング	牝2	1:21.3	池添謙一	鶴留明雄	(有)日進牧場
第6回	2001年11月4日	キタサンヒボタン	牝2	1:22.6	須貝尚介	須貝彦三	大野商事
第7回	2002年11月3日	ピースオブワールド	牝2	1:22.2	福永祐一	坂口正大	飯田正
第8回	2003年11月9日	スイープトウショウ	牝2	1:22.6	角田晃一	渡辺栄	トウショウ産業(株)
第9回	2004年11月7日	ラインクラフト	牝2	1:21.6	福永祐一	瀬戸口勉	大澤繁昌
第10回	2005年11月6日	アルーリングボイス	牝2	1:21.4	武豊	野村彰彦	(有)サンデーレーシング
第11回	2006年11月5日	アストンマーチャン	牝2	1:20.3	武豊	石坂正	戸佐眞弓
第12回	2007年11月4日	オディール	牝2	1:21.1	安藤勝己	橋口弘次郎	(有)ノースヒルズマネジメント
第13回	2008年11月9日	イナズマアマリリス	牝2	1:23.7	池添謙一	松元茂樹	小泉賢悟
第14回	2009年11月8日	タガノエリザベート	牝2	1:21.2	川田将雅	松田博資	八木昌司
第15回	2010年11月6日	マルモセーラ	牝2	1:22.3	田中健	木原一良	まるも組合

ファンタジーステークスからの阪神ジュベナイルフィリーズ優勝馬
過去に3頭の優勝馬を輩出している。また3頭とも阪神ジュベナイルフィリーズ(アインブライドは阪神3歳牝馬ステークス)優勝後は勝利することなく引退している。
回数	馬名	性齢	着順	備考
第2回	アインブライド	牝2	7着	
第6回	タムロチェリー	牝2	10着	
第7回	ピースオブワールド	牝2	1着

藤川京子

藤川京子 プロフィール
生年月日	1977年12月19日
現年齢	33歳
出身地	 日本・東京都
血液型	A型
公称サイズ(2006時点)
身長 / 体重	164 cm / ― kg
スリーサイズ	84 - 60 - 84 cm
ブラのサイズ	D
靴のサイズ	23.5 cm

藤川京子 活動
藤川京子(ふじかわ きょうこ、1977年12月19日 - )はグラビアアイドル、競馬ジャーナリスト。東京都出身。

藤川京子 エピソード
2002年デビュー。グラビアアイドルとして過激な写真集やDVDを出版し、限界寸前の着エロで世の男性をトリコにした。
競馬に対する造詣も深く、TX『激生!スポーツTODAY』の競馬コーナー解説役や、スポーツニッポン(大阪版)、リアルスポーツ等にコラムを執筆している。また、2005年11月よりラジオ関西で競馬展望番組『藤川京子のビューティフル競馬』(土曜16:30 - 17:00)のメインパーソナリティーとしてレースの解説など担当している。
2010年7月放送の関西ローカル放送の『今ちゃんの『実は・・・』』のロケで、漫才師千鳥のノブにほかの歴戦の予想屋をよそに90万円の1点買いをさせ、見事的中。350万円に増やすことに成功。

藤川京子は、競馬好きが高じてこの仕事に就いたワケではなく、発端は競馬で大負けしたためだそう。
藤川京子のように「競馬を仕事にするためにタレントになった」人はなかなかいない。
藤川京子の生活は競馬一色。どういう感じかというと、
「ホント競馬バカで毎日馬のことしか頭にないんです。日曜日に次週の登録馬が出ると、月曜からあれこれデータや調教状況を調べて、木曜日に出走馬が確定すると金曜土曜は原稿を書いて予想をまとめる。

で、日曜の最終レースが終わると、来週なんだっけ?みたいな(笑)。

3ヵ所で開催していれば全36レースそんな感じで予想していますからね。調べものが多くて、いつも寝不足ですよ」

藤川京子 出演

藤川京子 テレビ
激生!スポーツTODAY(2003年、TX)
東京ワンダーホテル(2004年、NTV)
GO GO HEAVEN(2005年、TX)
恋する!?キャバ嬢(2006年、TX)
あらびき団(2009年、TBS)
エンタの天使(2009年、NTV) - キャッチコピーは「破天荒すぎる美女議員」
うまプロ!(2010年、CX)

藤川京子 ラジオ
藤川京子のビューティフル競馬(ラジオ関西)

藤川京子 作品
DVD 
もっと…(三和出版)
ちょっとだけよ。(竹書房)
もっともっと!(三和出版)
鉄板
開放(バウハウス)
月のシンデレラ(日本メディアサプライ)
マッパGo!Go!Go!(ぶんか社)
限界(2005年8月、エアーコントロール)

藤川京子 書籍
非ジョーシキな女(2011年9月19日、メタモル出版)ISBN 978-4895958035

藤川京子 写真集
全開 ZENKAI(2002年8月、バウハウス 撮影:野澤亘伸)ISBN 978-4894619104
大全開 DAIZENKAI(2003年3月、バウハウス 撮影:野澤亘伸)ISBN 978-4894619418
超全開 Remix(2004年12月、メディア・クライス)ISBN 978-4894619876
UHアルティメット・ヒロインズ/究極乙女 VOL.2/藤川京子(2003年、三和出版 撮影:野澤亘伸)
激生(2003年8月、学習研究社 撮影:小塚毅之)ISBN 4054021247
マッパGo!Go!Go!(2004年11月、ぶんか社 撮影:野沢亘伸)ISBN 978-4821126408
全開伝説(2005年3月、バウハウス 撮影:野沢亘伸、篠原潔、前村竜二)ISBN 978-4778803049
爆露(2006年4月、彩文館出版 撮影:篠原潔、サトウテツオ)ISBN 9784775601181

ビッグウィーク

ビッグウィーク(英:Big Week)は2010年の菊花賞勝ち馬。
馬名の由来は「重大な週」。
2009年9月のデビュー。当初より幾度も頭の高い走法を厩舎スタッフやメディアで指摘され、後にシャドーロール装着による矯正が行われている。
途中ソエで5か月休養したものの休み戦目の2010年7月に初勝利を記録すると、小倉の条件特別戦2連勝を加え3連勝で神戸新聞杯に出走、距離延長をする度にそれを懸念[2]されるも結果を出し、ここでも重賞初挑戦ながら3着に入り菊花賞への優先出走権を獲得する。

ビッグウィーク 菊花賞優勝時
迎えた菊花賞、陣営は「キレる脚は使えないが長くいい脚を使える馬。体型的にも距離はこなせそう。」と同馬に対しコメントを残すも、「(神戸新聞杯の)上位2頭との差は大きい」[3]と評され7番人気と前走よりさらに人気を落としていた。
レースでは、大逃げを打つコスモラピュタを前に3番手を追走、3コーナー手前で2番手に上がり、直線に向いてからは残り150m程で前を行くコスモラピュタを捕らえ先頭に出ると、そのまま2位以下の追走を振り切り優勝、重賞初勝利をGIで飾った。バゴ産駒初のGI勝利、馬主の谷水雄三は父の谷水信夫と父子でクラシック三冠を達成[4]、管理調教師の長浜博之も史上11人目の牡馬クラシック三冠達成となった。
菊花賞後はジャパンカップと有馬記念に出走せず、休養することとなった。なお、有馬記念のファン投票ではGI馬なのにも関わらず、投票対象から外れていた。
2011年初戦は京都記念、3・4番手追走も直線で伸びきれず6着。日経賞では10着と殿負けした。その後は天皇賞(春)を目指していたが、右第3中手骨罅裂骨折が判明し、休養を余儀なくされる[5]。
休養明け緒戦となった毎日王冠では2番手追走も直線で失速し11着と殿負けした。
ビッグウィーク 競走成績
年月日	競馬場	競走名	格	頭
数	枠
番	馬
番	オッズ
(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム
(上3F)	タイム
差	勝ち馬/(2着馬)
2009.	9.	27	阪神	2歳新馬		15	5	9	15.3	(6人)	8着	武豊	54	芝1600m(良)	1.36.5(34.8)	0.7	トーセンファントム
11.	15	京都	2歳未勝利		14	2	2	35.1	(8人)	2着	藤岡佑介	55	芝1600m(稍)	1.36.4(35.6)	0.1	ストレンジラブ
12.	12	阪神	2歳未勝利		18	7	15	7.4	(4人)	2着	藤岡佑介	55	芝1600m(稍)	1.35.2(35.7)	0.2	カネトシディオス
2010.	1.	11	京都	3歳未勝利		16	1	2	2.3	(1人)	2着	武豊	56	芝1600m(良)	1.34.8(35.5)	0.2	タバルナ
6.	13	京都	3歳未勝利		18	7	15	7.7	(5人)	2着	池添謙一	56	芝1800m(良)	1.47.4(35.6)	0.1	ヤマニンガーゴイル
7.	10	阪神	3歳未勝利		18	4	8	2.5	(1人)	1着	川田将雅	56	芝1800m(良)	1.46.8(35.0)	-0.3	(エクスペディション)
8.	7	小倉	都井岬特別		14	1	1	2.5	(1人)	1着	川田将雅	54	芝1800m(良)	1.47.6(35.0)	-0.4	(エメラルドミスト)
9.	4	小倉	玄海特別		9	8	9	2.1	(1人)	1着	川田将雅	54	芝2000m(良)	1.58.3(35.2)	-0.1	(マイネルゴルト)
9.	26	阪神	神戸新聞杯	GII	12	1	1	12.7	(5人)	3着	川田将雅	56	芝2400m(良)	2.26.4(34.1)	0.5	ローズキングダム
10.	24	京都	菊花賞	GI	18	3	6	23.2	(7人)	1着	川田将雅	55	芝3000m(良)	3.06.1(34.4)	-0.2	(ローズキングダム)
2011.	2.	13	京都	京都記念	GII	12	3	3	12.6	(6人)	6着	川田将雅	58	芝2400m(良)	2.15.0(35.6)	1.1	トゥザグローリー
4.	2	阪神	日経賞	GII	10	4	4	15.3	(4人)	10着	四位洋文	59	芝2400m(良)	2.30.0(38.8)	4.6	トゥザグローリー

ホエールキャプチャ秋華賞3着!ついに無冠に終わる・・・

コースの内外の有利不利が大きく影響したようですね。

1着、2着は内ラチ沿いをぴったり回ってきた馬でした。
先週の京都競馬場は、枠の内側有利がはっきりしすぎていましたね。
そんな中、ホエールキャプチャは、外から伸びた馬の中では最先着でした。
内枠なら、おそらく勝てたかも知れません。
ただ、ホエールキャプチャに2度以上先着した馬はまだいないんですね。
かなり安定して強い馬なんだなと思います。
来年のヴィクトリアマイル辺りに出走すれば、期待できるんじゃあないでしょうか?

第16回秋華賞・G1(16日、京都競馬場、芝2000メートル、やや重)は、
2番人気のアヴェンチュラ(岩田)が4角2番手から直線抜け出してG1初制覇。
見事に秋の3歳女王を獲得しました。
2着に、7番人気のキョウワジャンヌ。
1番人気に推されたホエールキャプチャは、直線伸び切れず3着にとどまりました。
桜花賞馬マルセリーナは7着、オークス馬エリンコートは10着と精彩を欠きましたね。


平井 雄二 調教師時代

平井 雄二 調教師時代
 1985年調教師免許取得。1986年3月1日、第2回中山競馬3日目第4レースのボルボシローで厩舎所属馬初出走を飾り、同年5月10日の第1回新潟競馬7日目第5レースのシャダイハンターで初勝利を飾った。
厩舎開業当初は後に伝説の名馬となったサクラスターオーを管理していた。1987年、同馬で第47回皐月賞と第48回菊花賞を制して注目を浴びた。しかしそのサクラスターオーは1番人気に推された第32回有馬記念で第3コーナー通過時に脚部を骨折。長期の闘病生活を送ったものの、翌1988年5月に病状が悪化、立ち上がれなくなった為、関係者間の協議の結果、安楽死処分の決断が下された。このサクラスターオーの安楽死は平井も相当な悲しみとショックを受けていた。
尚サクラスターオーの活躍が評価され、1987年に重賞獲得調教師賞を受賞している。
平井は、気性が悪いとの傾向があったサクラショウリの子であるサクラスターオーに対して「サクラショウリの仔は気性が悪いなんて言われるが、サラブレッドについて気性が『悪い』なんてことはない。闘争本能をどう利用して育ててやるかが人間の役割だ」とコメントしていた。

平井 雄二 調教師成績 

日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初出走	1986年3月1日	2回中山3日4R	4歳新馬	ボルボシロー	10頭	10	8着
初勝利	1986年5月10日	1回新潟7日5R	4歳未勝利	シャダイハンター	13頭	2	1着
重賞初出走	1986年8月31日	3回新潟8日8R	新潟3歳S	サクラバリュー	12頭	5	8着
重賞初勝利	1987年3月8日	2回中山4日11R	弥生賞	サクラスターオー	11頭	6	1着
GI初出走・初勝利	1987年4月19日	3回中山8日10R	皐月賞	サクラスターオー	20頭	2	1着
主な管理馬 [編集]
サクラスターオー(1987年弥生賞・皐月賞・菊花賞)
サチノスイーティー(2006年アイビスサマーダッシュ)
平井 雄二 主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
五十嵐久(1989年-1995年 騎手)
松山将樹(1999年-2007年 調教厩務員、調教助手)
鈴来直人(2000年-2005年 騎手)

平井 雄二

平井 雄二(ひらい ゆうじ、1947年7月31日-)は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属する調教師で元騎手。
父は元騎手で中山大障害を制した平井寅雄。
騎手時代は平地競走の他に障害競走にも騎乗しており、障害競走の名馬の1頭であったバローネターフにも2度騎乗している。

平井 雄二 騎手時代 
1963年に馬事公苑長期騎手養成課程14期生として入所。1965年に東京・稲葉幸夫厩舎の騎手候補となり、1969年に騎手デビュー。

同期に同郷の安田富男の他、田島良保、小島太、池上昌弘、目野哲也らがいた。
障害競走の騎乗が中心であった為、安田、田島、小島、池上と違い目立った活躍は無かったが、障害競走に於ける調教師からの信頼は厚く、中山大障害等の障害大レースにも良く騎乗していた。
調教師免許取得により1985年2月に現役を引退。騎手時代の通算成績は重賞競走4勝を含む合計117勝であり、この内概ね9割に当たる106勝が障害競走での勝利であった。

日吉 正和

日吉 正和(ひよし まさかず、1972年1月1日 - )とは、
JRA・栗東トレーニングセンターに所属する調教師で、元騎手。
福岡県出身。身長153cm、体重48kg、血液型A型。騎手時代は平地競走と障害競走の両方に騎乗していた。
1991年、JRA競馬学校を第7期生として卒業して騎手免許を取得し、栗東の湯浅三郎厩舎所属でデビュー。同期には四位洋文、藤田伸二らがいる。
初騎乗は1991年3月2日、中京競馬第1競走のキョウワカガヤキで、13頭立ての10着。初勝利は1991年3月23日の京都競馬第12競走のエイシンテイオーで挙げた。デビュー15戦目だった。
2002年6月9日、中京競馬第5競走のタケカソウルネバーで障害初騎乗初勝利を挙げた。
1992年9月6日、小倉3歳ステークスでデイリープラネットに騎乗し重賞初騎乗(10着)。
2003年7月20日付で騎手を引退し、岡田稲男厩舎の調教助手に転身した。騎手成績は2118戦93勝(うち障害戦7戦1勝)であった。
2010年2月に調教師免許試験に合格[1]。3月1日より技術調教師として活動する。
2011年3月1日付けにて調教師として新規開業(栗東:馬房数14)。

日吉 正和 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
山本勝彦(2011年-現在 調教助手)
高野容輔(2011年-現在 調教助手)

羽月 友彦

羽月 友彦(はつき ともひこ 1970年7月29日- )は、
日本中央競馬会栗東トレーニングセンター所属の調教師。

1970年7月29日、鹿児島県出身。
1995年に小林稔厩舎で厩務員となる。その後調教厩務員、石坂正厩舎で調教助手を務める。
2006年2月、調教師試験に合格し、調教師へ転身。1年間は技術調教師として修業。
2007年3月1日、湯浅三郎厩舎を受け継ぐ形で厩舎を開業した。
2007年4月8日、第2回阪神競馬第10レースの梅田ステークスに於いて管理馬のワンダースピードが勝利し、厩舎開業初勝利を挙げた。
2008年4月27日、第3回京都競馬第11レースの第13回アンタレスステークス(GIII)に於いて管理馬のワンダースピードが勝利し、厩舎として初の重賞勝利を挙げた。
主な管理馬
ワンダースピード(2008年アンタレスステークス、名古屋グランプリ、2009年平安ステークス、東海ステークス)

畠山 重則 主な管理馬

畠山 重則 主な管理馬
ハセシノブ(1981年新潟記念、オールカマー、1982年新潟大賞典)
ロシアンブルー(1985年七夕賞、新潟記念)
ハセベルテックス(1987年フラワーカップ)
ヤマタケサリー(1989年テレビ東京賞3歳牝馬ステークス)
アイルトンシンボリ(1992年~1993年ステイヤーズステークス、1994年宝塚記念2着)
マイヨジョンヌ(1996年新潟大賞典、福島記念、1997年新潟大賞典)
アルコセニョーラ(2007年福島記念、2008年新潟記念)
コスモメドウ(2011年ダイヤモンドステークス)



畠山 重則

畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )は日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター(南)に所属している調教師で、元騎手。実家は有限会社畠山牧場を経営している。
1964年、東京・田中和夫厩舎所属の騎手見習いとなる。
1965年、騎手免許を取得する。
1974年、東京(後に美浦)・勝又忠厩舎所属となる。
1978年、美浦・飯塚好次厩舎所属となる。
1979年、調教師免許を取得し騎手を引退する。騎手成績は通算1787戦143勝。
1980年、厩舎を開業する。10月11日、初出走となった福島競馬場での第5レースは、ミスマッキンレーが2着となる。12月6日に中山競馬場での第12レースで、グリーンエコーが勝利し延べ14頭目で初勝利を挙げる。
1981年、新潟記念をハセシノブが制し、重賞初勝利を挙げる。
1985年、春にシリウスシンボリを厩舎に受け入れる。詳細はシリウスシンボリ移籍事件を参照。優秀調教師賞を初受賞する。
1995年、10月10日に管理馬が地方競馬で初出走する。
1998年、7月15日に浦和競馬場で行われたマルチロマン特別を1番人気だったカゼノオーが制し、地方競馬初勝利を挙げる。
2005年、8月6日にJRA通算300勝を達成する。

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