負担重量(ふたんじゅうりょう)とは、競馬の競走において、競走馬が負担しなければならない重量のことである。
日本においては、昔、斤(きん)という尺貫法の単位で重さを定めていたことから斤量(きんりょう)とも呼ばれる(由来は、かつて負担重量の単位に英斤(ポンド)が用いられていたため)。
また、カンカンともいう。現在日本ではキログラムが単位として用いられる。アメリカなどではヤード・ポンド法のポンドやストーンが単位に用いられる。
負担重量概要
平地競走および障害競走では、騎手自身の体重と騎手が身に着けている勝負服やプロテクター・鞍など所定の馬具をあわせた重量を指す。
この際ヘルメットや鞭、番号ゼッケン、ゴーグルなどは含まない。なお一般に発表される負担重量は実際に計量した重量とは異なる場合があり、中央競馬の場合「保護ベストの標準的な重量に相当する分として0.5キログラムを減じた重量」となっている[1]。
負担重量に満たない場合は鉛などの重りを体に装着するか鞍に入れて調整する。逆に負担重量を所定以上超過した場合(中央競馬の場合は2kg以上[2])は騎乗できず、強制的に乗り替わりとなる。なお中央競馬では、負担重量の超過が所定範囲以内の場合は裁決委員の許可を得ることでそのまま騎乗が可能だが、これを複数回繰り返すと騎乗停止となる場合がある(詳しくは騎乗停止#体重調整を参照)。
ばんえい競走では、騎手の重量が一律に規定(75キログラム、冬季は77キログラム)されており、ソリに積載する重量物の重さ(470-1000kg)が負担重量となる(詳細は当該記事を参照)。
負担重量の遵守
競走中、定められた負担重量となっているかを検査するために、競走前に前検量、競走終了直後に後検量を行う。前検量については競走と競走の間の時間が短いため、競走当日の所定の時刻前に前検量を行うことができる。前検量を済ませた鞍を競走馬につける際には不正がないように係員のいる装鞍所でないとつけることができない。
後検量は上位入線馬(中央競馬の場合7着以内[3]。ただし写真判定で7着になる可能性のある馬が複数ある場合はその可能性のある馬のすべてが対象[4])ならびに上位人気馬に対して行われる。
後検量を受ける騎手は原則としてレースで騎乗した馬に騎乗したまま検量所に向かわなければならない[5]。検量が終了して定められた負担重量となっていることが確認されないと競走は確定されない(ただし騎手が怪我を負った場合など、検量が困難な場合は省略されることもある[6])。負担重量が遵守できなければ騎手は騎乗停止となる。
降雨などにより衣類に雨を吸い込み重くなってしまったなど、裁決委員がやむを得ないと判断した場合を除き、前検量と後検量の差が-1キログラムを超えると失格となる[7]。この場合入線してしばらくしてから審議のランプがつくこととなる。
また-1キログラムに満たない範囲でも、検量結果に不自然な増減が見られた場合には過怠金の対象となることがある[8]。なおJRAでは2011年1月1日以降は、不利な条件下で達成された成績は尊重されるべきという観点から、斤量の増加については失格裁定の対象から外され、1キログラムを超える減少のみが失格となるように改正された。
この規定は同年4月1日以降地方競馬およびばんえい競馬にも適用されるようになった[9]。ただしばんえい競馬の場合は12キログラムを超える減少で失格となる。
負担重量の決め方
負担重量の決め方は大きく分けて二つ存在する。
一つは、全ての出走馬を同一の条件下に置いて、最も強い競走馬を決めようという方法であり、競走馬の年齢、および性別だけで負担重量を決める。馬齢重量戦(馬齢戦と略される)や定量戦がこの方法に含まれる。
一方で、出走メンバーをある程度多様にするために、出走馬全てに勝利できる可能性を均等に与えるべく、強い馬と弱い馬の間にハンデキャップを設ける方法もある。現在の競馬においては負担重量を変更することによってハンデキャップをつける。別定戦もしくはハンデキャップ競走はこの方法に含まれる。
なお、かつては競走馬の体高に基づいて負担重量が定められることもあった。
また、地方競馬では「規定」(ホッカイドウ競馬)、「年定」、「別規」(福山競馬場)などの負担重量の競走がある。
負担重量馬齢重量戦
馬齢重量戦(馬齢戦とも略される)とは、過去に勝ったレースの格などに関わらず、馬齢重量表に従って馬の性別と年齢のみで負担重量が決定される競走のことである。定量戦との違いは、定量戦は競走毎に負担斤量を決定するのに対して、馬齢戦は全ての競走に同一の基準で負担重量を決定することにある。
現在の中央競馬においては馬齢重量表は2歳と3歳の分しか定められておらず、4歳以上の馬を含めた古馬の競走は全て馬齢戦以外(主に定量戦)で行われている。これは3歳以上ならびに4歳以上の競走において、3歳(年明けの4歳)と4歳以上(同、5歳以上)が距離区分に応じて同一時期でも負担重量の差が変更される措置を導入したことによるものである。
中央競馬における負担重量馬齢重量表
年齢 2歳 3歳
1-9月 10-12月 1-9月 10-12月
負担重量 牡・騸 54kg 55kg 56kg 57kg
牝 54kg 54kg 54kg 55kg
負担重量セックスアローワンス
一般的に牡馬と牝馬の間には能力差があるため、それを補うために性別によってつける負担重量差のことをセックスアローワンスという。
19世紀のはじめにイギリスのジョッキークラブの公式ハンデキャッパーであったヘンリー・ラウスが考案した。ただし、セックスアローワンスで認められる重量差は国やレース内容によってさまざまであり、一律の値ではない。日本では中央競馬も地方競馬もほぼ同一で、牝馬は2歳10月~2歳12月までは1キログラム、3歳以降2キログラムの減量が認められる。
負担重量北半球産、南半球産のアローワンス
ウマの発情期が、北半球にいるウマと南半球にいるウマで半年のズレがあるため、出産時期も北半球にいるウマと南半球にいるウマでは半年ズレてくる。
従って、ウマの成長にも半年のズレがあるため、北半球産馬と南半球産馬の間に負担重量の差をつける。日本の中央競馬の平地競走においては、南半球産で7月1日以降に出生した競走馬は北半球産馬よりも減量される。このアローワンスは馬齢戦のほか、定量戦、別定戦でも適用される。障害競走においては産地によるアローワンスは認められない。
定量戦
定量戦とは、馬の性別や年齢のみで負担重量が決まる競走のことである。ただし、馬齢重量表に従って決定される競走は馬齢戦と呼ばれ、定量戦とは呼ばれない。馬齢戦とは異なる重量体系で行われることから、別定重量戦の一種とされる。
競走毎に負担重量を決める事が可能であり、特定の年齢(大体は2歳、3歳)において大きな減量を行うなどの優遇策をとり出走を促すこともできる。優勝劣敗の原則に沿いつつ、(馬齢戦に比べて)競走ごとの個性を出すことが可能なため、日本やヨーロッパのほとんどのグレードワン・グループワン競走が定量戦であるが、アメリカやオーストラリアなどにはハンデキャップのグレードワン競走もある。
別定戦
別定戦(別定重量戦とも言われる)は、馬の性別と年齢で定められる基準重量に、その馬の獲得した賞金(競走によって収得賞金、番組賞金、総獲得賞金など用いられる値が異なる。
収得賞金などの用語は日本の競馬の競走体系を参照)の額、過去に勝利した競走のグレードなどによって重量が加算され、負担重量が決定される競走のことである。加算が全競走馬にも行われないとされる競走は定量戦と呼ばれる。
セックスアローワンス、産地によるアローワンスは馬齢重量戦とほぼ同一で、3歳以上の競走では牝馬は牡馬の基準重量から2kg減で計算される。計算上では著しく重い負担重量も想定されるが(特に獲得賞金によって加算重量が決定される場合)、実際には60kgを越える斤量で出走に踏み切ることは希である。
ハンデキャップ競走との違いは、ハンデキャップ競走が出走メンバーの相対的な能力により主観的に負担重量が決定されるのに対し、賞金や勝ち鞍といった客観的な要素によって負担重量が決定されるところにある。
ハンデキャップ戦
斤量が馬に与える影響
フランスの凱旋門賞では4歳以上牡馬に59.5kgを背負わせて走らせることになっており、前哨戦で好成績をあげたのにもかかわらず、連覇に臨む馬が惨敗することが多い。
ただし、イギリスの短距離GIであるナンソープステークスは4歳以上牡騸馬の斤量が62kgとなっているなど、凱旋門賞が特別な重量であるとはいえない。
斤量が与える影響に関しては、凱旋門賞が行われる高低差の激しいロンシャン競馬場とナンソープステークスが行われる平坦なヨーク競馬場の違いもあり、コース設計やレース距離が影響している可能性もある。
実際、凱旋門賞はフランスで時期、距離区分によって決定された馬齢重量に従い、他のレースと同じく3歳と4歳以上は3.5kgの斤量差があるが、凱旋門賞だけは顕著に3歳が有利になっている。ロンシャン競馬場で凱旋門賞と同日に行われるアベイ・ド・ロンシャン賞は古馬、3歳共に62kgである。
また、斤量差は日本のような走りやすい軽い芝よりも、欧州のように力のいる重い芝の方がより顕著に出るといわれていて、日本の競馬では重馬場の時に斤量の軽い方がより有利になるといわれている。
アメリカのダート競走はハンデキャップ競走を除けば日本同様58kg以上の斤量を背負ってGI競走を走ることはまれであり、こちらは日本の競馬に近いと言える。一方で、欧州は全般的に60kg以上を背負うことも多い。
日本では馬によっては59kgのハンデを苦にせずGI競走の前哨戦で背負いながらも勝つことも多く、実際のところは馬の能力によって左右される。ただし、日本では60kg以上の斤量で出走させることは稀である。
特に、ハンデキャップ競走で66.5kgの斤量を背負ってレース中に故障したテンポイントの事故以降、極端に重い斤量を嫌う傾向が顕著となっている。ただし、科学的に斤量の差がどのくらい馬に負担をかけるのかは解明されていない。
障害競走では道中あまりにスピードを出しすぎると飛越の際に危険を伴うので日本では60kg程度の斤量となることが多い。日本以外では国により異なるがより重い斤量となっており、イギリスのGIのチェルトナムゴールドカップでは6歳以上牡騸馬は74.5kgと定められている。
負担重量脚注
^ 日本中央競馬会競馬施行規程・第99条
^ 日本中央競馬会競馬施行規程・第100条
^ 日本中央競馬会競馬施行規程・第120条
^ 藤田伸二「競馬番長のぶっちゃけ話」(2009年 宝島社)
^ 日本中央競馬会競馬施行規程・第120条2項
^ 日本中央競馬会競馬施行規程・第120条4項
^ 日本中央競馬会競馬施行規程・第123条2項
^ 例として「重量オーバー ペリエに過怠金3万円」(競馬ネットmagazine・1998年12月1日号)を参照。また岡部幸雄も2001年の京王杯スプリングカップでスティンガーに騎乗した際、同理由で過怠金の対象となったことがある。
^ 地方競馬全国協会サイト「競走ルールの変更について」
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無事之名馬(ぶじこれめいば)とは、競走馬を指して「能力が多少劣っていても、怪我なく無事に走り続ける馬こそが名馬である」とする考え方を表した格言である。
馬主でもあった作家・菊池寛による造語と有名だが、実際は時事新報の岡田光一郎によるものである。岡田はまた菊池の『競馬読本』の代筆も行っている。
菊池が競馬関係者から書を求められた際に、『臨済録』にある「無事是貴人(ぶじこれきにん)」に想を得て色紙に書いていたのが言葉の始まりとされた。「無事是貴人」とは、本来「自然体の内に悟りを啓く者が貴人」という意味の禅語で、茶道において一年の無病息災を寿ぐ言葉として転用された。
菊池は馬主としての経験から「樂しみを覚へる割合ひに較べれば、心配や憂鬱を味はふ時の方が多い。馬を持っていることの樂しみが二、三割だとすれば、心配や憂鬱の率はまづ七、八割にも及ぶであらう。それも、大部分は馬の故障から来るものだ」と語り、「馬主にとつては、少しぐらゐ素質の秀でてゐるといふことよりも、常に無事であつてくれることが望ましい。
『無事之名馬』の所以である」としている。この考えは馬主のみならず多くの競馬関係者の共感を呼び、以後「無事之名馬」は頑健に走る馬を賞賛する言葉として使用されている。
参考文献 [編集]
『優駿』1968年12月号(日本中央競馬会)「優駿300号に想う」
『優駿』2002年4月号(日本中央競馬会)「『優駿』に見る日本の競馬60年 – 菊池寛『無事之名馬』」
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ファミリーナンバー(Family Number)とは、サラブレッドの分類方法の1つ。それぞれ属する牝系ごとに1から74号などの番号が付けられており、同じファミリーナンバーに属する馬なら全て同じ基礎牝馬に遡ることができる。
例えばディープインパクト(2号族のf分枝)とノーザンダンサー(2号族のd分枝)はどちらも20-30代遡れば17世紀のバートンバルブメア(Burton Barb Mare)と呼ばれる一頭の牝馬にたどり着く。
ウィキペディアでは今のところファミリーナンバーを競走馬の血統表の右下に記している。例えばナリタブライアンの血統表の右下にF-No.13-aと記されているが、これは13号族のa分枝という意味である。スペースの関係からF.13a等のように表記している箇所もある。
ファミリーナンバー歴史
1895年、オーストラリアのブルース・ロウ(Bruce Lowe)は著書『フィギュアシステムによる競走馬の生産』の中で、当時のサラブレッドをイギリスのジェネラルスタッドブックの1巻に記載されている牝馬(ロイヤルメア)まで母方を遡り、イギリスの根幹競走であるエプソムダービーとセントレジャーステークスとオークスの優勝馬の数が多い系統順に並べ、多いものから1~43号の番号(フィギュア)をつけた。
そして特に優れた競走馬が多く属する系統として1~5号を競走族、優れた種牡馬が多く属する3・8・11・12・14族を種牡馬族と呼び、必ずしも競走能力の優秀さと種牡馬能力の優秀さが相関関係にないことを明らかにした。
1953年に、ポーランド人のカジミエシュ・ボビンスキー(Kaziemierz Bobinski)がこのファミリーナンバーに基づいて過去からそれまでのすべての系統を網羅した『ファミリーテーブル』を著し、世界中の主要競走の優勝馬の血統と主な成績を牝系別に示した。彼とその後の研究により、ファミリーナンバーは2006年3月時点で74号までが確認されているが、公式に認められているのは51号まで。1745年生まれのセリマのように、その後の研究によって別のファミリーに属するとしてファミリーナンバーが変更になったものもある。
ボビンスキーは1~23号の子孫はあまりにも増えたため、アルファベットをつけて細分化し、1号族はaからwまでに分けた。qとvは欠番となっている。これらを通常「1-a」、「1-b」、「1-c」のように表す。現在は、通常これらの系統が分岐する牝馬の名をつけて呼称し、もともとの1号族まで遡って系統をひとくくりにすることは稀である。
たとえば14号族は14-aから14-fまでに分かれ、このうち14-cは1901年生まれのプリティーポリーを祖とすることから「プリティーポリー系」と呼ぶ。またこの子孫も分化が進んでいることから、「ノーザンテーストの母レディヴィクトリアは、プリティーポリー系(14-c族)の分岐の一つで、シスターサラを経てモリーデスモンドに遡る系統」などと表現する。アメリカでは、ボビンスキー以降に繁栄して拡大した牝系にアルファベットを追加して付与することも検討されているが(具体的にはラトロワンヌの系統を1-xとすること)、ファミリーテーブルの第4版ではこの追加はなされていない。
アメリカでは南北戦争の混乱期に血統書が失われたりしてジェネラルスタッドブックに遡ることができない系統もあり、アメリカ独自のアメリカンスタッドブックを元に分類されている。これらの系統はアメリカンナンバーとしてAをつけて表し、A1からA37までが公式に認められている。そのほかA38、A39、a40からa79までが未公認の系統として存在する。なお、A4ファミリーはこれらの牝系の中で最も成功しているが、実は21号族の牝馬に遡るというのが有力な説となっている。
オーストラリアとニュージーランドではアメリカ同様にジェネラルスタッドブックに遡れない系統はコロニアルナンバーとしてCをつけて表し、C1からC35が公式に認められている。そのほかc36からc72までが未公認の系統として存在する。
このほか、イギリスの半血馬の血統書に遡るB1からB26(ブリティッシュ・ハーフブレッド)、アルゼンチンのAr1、Ar2、ポーランドのP1、P2、ウルグアイのUr1の系統が公式に存在する。日本にも濠サラの子孫などの独自の系統が存在するが、国際的に公式な系統として認められていないため、番号による分類はされていない。これらの系統は国際血統書委員会(International Stud Book Committee)が管理をしている。
ファミリーナンバー意味
ブルース・ロウが創出した競走族や種牡馬族といった概念は、現在ではほとんど重要視されない(競走族の2号族からノーザンダンサーなどの大種牡馬が出現したり、2号族(競走族)と8号族(種牡馬族)のミトコンドリアDNA (mtDNA) が同じだったりする)。
また、彼の分類によれば、ファミリーナンバーの少ないほど優れた競走能力を示すサラブレッドが多く、43号族が最も劣ることになるが、理論の発表から100年以上もたった現在ではファミリーナンバーの少なさと競走能力の相関関係はほとんど重要視されない。現在では勢力順位の入れ替わりも見られ、ブルース・ロウ当時の勢力(頭数ベース)は2号族>3号族>1号族(クラシック勝利数ベースだと1号族>2号族>3号族)であったが、1995年現在、1号族>9号族>4号族となっている(1号族はここ250年ほどに渡って常に拡大傾向にあり、全サラブレッドに占める割合は20%に近づきつつある)。
一方で、細胞質は母から子へのみ伝わることが明らかになると、「持久力の原動力はミトコンドリアをはじめとする細胞質である」として、ファミリーを重要視する者もいる。サラブレッドを含むイエウマ (Equus caballus) のゲノムは、31対の常染色体とX染色体、Y染色体、mtDNAの、計約2.7GbpのDNAより構成されるが、この内mtDNA (16.7kbp) が母系に付随して継承されることが分かっている。
mtDNA上には核遺伝子(ゲノムサイズ約2.7Gbp、ORF約2.1万(解析途中の概算))に比べると非常に小さいものの、その環状DNA中にはATP合成に関わる13種のタンパク質、それらタンパク質の合成に関与する24種の非コードRNAが含まれており、実際にこれらのハプロタイプが能力に影響するかもしれないとする研究例もある。ただし20-35%程度の割合で系図に誤りが見つかっていることから、ハプロタイプ=ファミリーナンバーがそのまま適用できるわけではないという問題がある。
いずれにせよ、ファミリーナンバーはサラブレッドを整理分類する上で非常に便利なため、広く普及している。
ファミリーナンバー関連項目
競走馬の血統
参考文献
サラブレッド血統センター(編) 『競走馬ファミリーテーブル第4巻(Family Tables of Racinghorses Vol.Ⅳ)』 日本中央競馬会・社団法人日本軽種馬協会、2003年。
Harrison SP, Turrion-Gomez JL. (2006). “Mitochondrial DNA: an important female contribution to thoroughbred racehorse performance”. Mitochondrion 6: 53–63. PMID 16516561.
Hill EW, Bradley DG, Al-Barody M, Ertugrul O, Splan RK, Zakharov I, Cunningham EP (2002). “History and integrity of thoroughbred dam lines revealed in equine mtDNA variation”. Animal Genetics 33: 287–294. PMID 12139508.
Cunningham EP, Dooley JJ, Splan RK, Bradley DG (2001). “Microsatellite diversity, pedigree relatedness and the contributions of founder lineages to thoroughbred horses”. Animal Genetics 32: 360–364. PMID 11736806.
Xu X, Arnason U (1994). “The complete mitochondrial DNA sequence of the horse, Equus caballus: extensive heteroplasmy of the control region”. Gene 148: 357–62. PMID 7958969.
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ヒートレース(Heat Race)とは競馬において、同一の組み合わせの競走馬によって複数回の競走を行うことによって優勝馬を決定する方式の競走である。18世紀以前の競馬ではこの形態の競走が主流だったが徐々に廃れていき、19世紀にジョッキークラブが禁止措置をとるとほとんど行われなくなった。現在は、東南アジアの一部の国でこの形態の競馬が行われている。
1回のレースを1ヒートと呼び、ある馬が2回ないし3回優勝するまで続けてヒートが行われた。なお着差が僅差であった場合には同着とされ、当該ヒートは無効とされた。これをデッドヒート(Dead heat)という。デッドヒートは同着、無効試合の意で他の形態の競馬やそのほかの競技でも使われ後に日本では死戦、接戦と訳された。しかし、本来は同着の意でありいずれも誤訳である。
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ピッチ走法(ピッチそうほう)とは、長距離走で、歩幅をせまくし、脚の回転を速くする走法。 負担が少ないと言われ、日本ではこの走法が主流。厳格にストライド走法と区別の出来ない選手も多い。
なお、競馬の世界においても、歩幅が狭く足の回転の速い走りをする馬についてピッチ走法であると言われる。一般には、ピッチ走法の馬はダートコース・小回りコース・短距離に強いと言われる。
ピッチ走法を使う選手
高橋尚子
瀬古利彦
マイケル・ジョンソン
ピッチ走法の競走馬
アストンマーチャン
ブロードアピール
ドリームジャーニー
関連項目
ストライド走法
フラット走法
ナンバ走り
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ハロン(furlong、ファーロングとも)は、ヤード・ポンド法における距離(長さ)の単位である。
定義は時代によって異なるが、現在は1ハロン = 220ヤード = 660フィートとなっている。1ヤードが0.9144メートルと定義されているので、1ハロンは201.168メートルとなる。
また、10チェーン(chain) = 1ハロン、8ハロン = 1マイル(mile)である。
furlongは、古英語のfurh(プラウで犂く)とlang(長い)に由来する。元々は、馬を使ってプラウ耕をする際の一工程の長さであり、馬に適度に休息を取らせながらも効率よく耕起作業が出来る畑のサイズとして定められた。1ハロン×1ロッド(1ロッドは4分の1チェーン)の面積を1ルード、1ハロン×1チェーンの面積を1エーカーという。
イギリス、アイルランド、アメリカ、カナダの競馬では距離をマイルとハロンで表記しているが、ハロンについては一般には使用されないものとなっている。イギリスでは1985年の計量法改正により公式な単位から外されている。
日本の競馬では便宜上、1ハロンを200mとして換算している。
furlong per fortnight
英語圏で冗談で使われる速さの単位にfurlong per fortnight(2週間あたり1ハロン)がある。1 furlong per fortnightはほぼ1センチメートル毎分である。それは、動いていることが肉眼でかろうじてわかる程度の速さである。
1 furlong per fortnightは以下の速度にほぼ等しい。
0.9978571428 センチメートル毎分
0.0001663095 メートル毎秒
0.0005456349 フィート毎秒
よって、時速60kmで走る車の速度は100 214.7 furlongs per fortnightということになる。
関連項目
ハロン棒
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馬齢(ばれい)とは馬の年齢のことである。
日本では生まれた時が0歳で、以後1月1日が来ると同じ年に生まれた馬は一斉に1歳加齢する。
ただし南半球の南アメリカ諸国では7月1日、オセアニア・南アフリカ共和国では8月1日、さらに香港では各馬の出生国での規則に基づく等、国や地域により加齢時期が異なる。
馬は春に繁殖期を迎え、約11ヶ月の妊娠を経て出産するためにほとんどの馬が春先に誕生することになる。
競馬
競馬においてもし満年齢表記を使用した場合、出産シーズンに開催される年齢条件のあるレースでは実年齢が一歳近く離れた馬でも同条件で走ることになりかねないためこの馬齢表記が使用される。
日本における馬齢表記
日本では、2000年まで馬の年齢を数え年を用いて表記していた。一方国際的には「0yo」(yoはyears oldの略)「1yo」「2yo」と表記するのが通例で、日本国内の表記と国際的な年齢表記と1歳ずれてしまう。このため1990年代から競走馬や種馬の国際的な取引が活発になると国内外での年齢表記の違いによる混乱を避けるため、2001年より国際的な表記に改めることになった[1]。
現在の表記方法(2001年以降)
生まれたばかりの0歳馬は「当歳(とうさい、とうざい)」、1歳以降はそのまま1歳を「1歳」、2歳を「2歳」というように表記。4歳以上の馬を総称して「古馬(こば、ふるうま)」と表現している。
また、生まれたての仔馬を「とねっこ」と呼ぶこともある(旧表記の時代も同じ)。
旧表記方法(2000年以前)
生まれたばかりの現表記の0歳馬を「当歳」と呼ぶことは現在と同じだが現表記の1歳は「2歳」、2歳は「3歳」・・・と表記。「5歳」以上の馬を総称して「古馬」と表現していた。
一般的に2000年以前の競馬に関する情報(ウィキペディア外も含む)における年齢の表現には注意が必要であり、「4歳時に日本ダービーを制した」と書いてあっても現在の3歳のことを示すことに留意されたい。
馬齢が含まれた競走名
2001年の変更
馬齢表記方法の変更に伴って2001年から競走名が改められた。主なものは以下のとおり。
馬齢表記を伴わない名称に変更
朝日杯3歳ステークス → 朝日杯フューチュリティステークス(フューチュリティは2歳馬による競走を表す)
阪神3歳牝馬ステークス → 阪神ジュベナイルフィリーズ(ジュベナイルは仔馬、フィリーは牝馬)
報知杯4歳牝馬特別 → 報知杯フィリーズレビュー
サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別 → サンケイスポーツ賞フローラステークス
中日スポーツ賞4歳ステークス → 中日スポーツ賞ファルコンステークス
共同通信杯4歳ステークス → 共同通信杯
ニュージーランドトロフィー4歳ステークス → ニュージーランドトロフィー
馬齢表記を現在の表記に変更した競走
函館3歳ステークス → 函館2歳ステークス
新潟3歳ステークス → 新潟2歳ステークス
小倉3歳ステークス → 小倉2歳ステークス
福島3歳ステークス → 福島2歳ステークス
札幌3歳ステークス → 札幌2歳ステークス
京都3歳ステークス → 京都2歳ステークス
デイリー杯3歳ステークス → デイリー杯2歳ステークス
京王杯3歳ステークス → 京王杯2歳ステークス
東京スポーツ杯3歳ステークス → 東京スポーツ杯2歳ステークス
中京3歳ステークス → 中京2歳ステークス
ラジオたんぱ杯3歳ステークス → ラジオたんぱ杯2歳ステークス(2006年から「ラジオNIKKEI杯2歳ステークス」に変更)
全日本3歳優駿 → 全日本2歳優駿
北海道3歳優駿 → 北海道2歳優駿
2000年以前の変更
馬齢表記を伴っていた競走のうち2000年以前に名称を変更、または廃止された競走のうち主なものを以下に記す。
テレビ東京賞3歳牝馬ステークス → フェアリーステークス(1994年にスポンサーの変動により改称)
京成杯3歳ステークス → 京王杯3歳ステークス(現在は京王杯2歳ステークス。京王線の駅に近い東京競馬場で行われているため、1998年に変更)
京都4歳特別 → 1999年に廃止。2000年からは事実上、京都新聞杯に改称
府中3歳ステークス → 東京スポーツ杯3歳ステークス(現在は東京スポーツ杯2歳ステークス)
中山4歳ステークス(ラジオNIKKEI賞の旧称)
京都4歳ステークス(1回行われたのみで廃止)
3歳牝馬ステークス(同名の競走が東西に1つずつあり関東のものは上述の「フェアリーステークス」、関西のものは「ラジオたんぱ杯3歳ステークス」となった)
このほか、皐月賞や菊花賞の前身となった競走にも馬齢表記が用いられている。
外国語における馬齢の表記
英語圏ではウマの呼称が性別や年齢によって異なり、馬事文化が確立していることをうかがい知ることができる。
0歳馬
フォール(foal) – まだ母馬から離れていない仔馬
ウィリング(weanling) – 離乳後の仔馬
1歳馬
イヤリング(Yearling) – 日本馬(外国産)でもイヤリングセールで購入されることがあるので日本馬の記事でもたまに用いられる
牡馬の場合
コルト(colt) – 2,3歳
ホース(horse) – 4歳以上
スタリオン(stallion) – 種馬となった牡馬
サイアー(sire) – 父馬
牝馬の場合
フィリー(filly) – 2,3歳
メア(mare) – 4歳以上
ブルードメア(bloodmare) – 繁殖馬となった牝馬
ダム(dam) – 母馬
騸馬(去勢馬)の場合
ゲルディング(gelding)
このほか、一般に「子馬」の意味でジュベナイル(juvenile)などの呼称がある。
馬術競技における馬齢制限
競馬と違い、馬術競技においては古馬未満の若駒が国際大会に参加することはない。国際馬術連盟(FEI)の規程[2]によりオリンピック大会およびFEI世界選手権大会における馬場馬術および総合馬術の馬齢制限は8歳以上、障害飛越競技では9歳以上とされる。
その他の競技会についても、FEIの各種馬術競技規程では馬車競技のごく一部を除き[3]5歳以下の馬には参加資格が与えられていない。
また馬齢の基準日は北半球では1月1日、南半球では8月1日としている[4]。
ただし、日本馬術連盟は日本国内における馬場馬術競技会においてはFEIの馬齢制限を適用しない旨を表明している[5]。
馬齢注釈
^ 競馬用語辞典 – 日本中央競馬会公式サイト
^ FEI “General Regulations” 22nd edition, 1 Jun. 2007, article 138 Age of Horses
^ FEI “Rules for Driving Events” 9th edition, 1 Jan. 2005, article 911 Horses 1.Age CAIクラス競技会の2頭、3頭および4頭立て競技のみ5歳馬以上
^ FEI “Rules for Dressage Events” 22nd edition, 1 Jan. 2006, article 422 Conditions of Participation 3.Horses
^ 日本馬術連盟馬場馬術本部「FEI馬場馬術競技会規程第22版の一部除外について」 2006年10月11日[リンク切れ]
馬齢関連項目
テイエムオーシャン – 2001年の馬齢表記変更に伴い、JRA賞の「最優秀3歳牝馬」を2000年と2001年の2度受賞し本来2回受賞することのありえない賞を受賞している様に見える(2000年に受賞したのは現在の「最優秀2歳牝馬」である)。
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早替(はやがえ)とは、競馬、競艇、競輪、オートレース等の公営競技場内もしくはその周辺でにおいて、的中した投票券を買い取って手数料を得る行為、もしくはそれを行っている人を指す言葉である。単に早いの(はやいの)と呼ばれることもある。
レース直後には、たいてい払戻し窓口や払戻機が混雑することに目をつけた商売である。 客は、次レースの締め切りまでに時間のない時や、払戻休業日など、手数料を払ってでも的中券を換金したい場合に利用する。
また、的中して気分の良くなった客が「ご祝儀」として利用することも多いようである。
手数料の相場は場所により異なるが、関東のある競馬場を一例に挙げれば、オッズが10.1倍までは10円分に相当する払い戻し金を(例:400円の払戻なら390円で換金)、それ以上の場合は20円相当を取られる(例:2000円の場合は1980円で換金)。競艇でスタート事故発生により返還欠場が生じた場合などは、返還買い戻し分についてはサービス(手数料なし)としているのが通例で、競艇のフライング発生時やオートレースで競走不成立になったりすると、払い戻し窓口同様に多数の利用客が行列をなす場合がある。
なお、他の競技場の券を換金したり、払戻休業日の場合において、上記相場に比べてぼったくりと呼んでもいいほどの高額の手数料を請求する者も存在するので要注意である。
なお、早替行為自体は、ノミ屋などとは異なり法律で規制されておらず合法であり、競技場の公認の早替もいる。
早替関連
予想屋
ノミ屋
コーチ屋
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馬場状態(ばばじょうたい)とは、競馬において、競走を行うコースの状態を示す言葉。
日本の競馬(平地・障害)においては、主催者の開催執務委員が実際にレース前(天候が悪化した場合は随時)に馬場を徒歩で調査してコースの含水量を踏まえて決定し、良(りょう)、稍重(ややおも)、重(おも)、不良(ふりょう)の4つで発表される。含水量が多い場合を道悪という。
日本以外でも馬場状態は4段階から9段階で発表される。以下にその一覧を示すが上にあるものから馬場状態が堅いことを表している。馬場状態の基準については、国・競馬場ごとに異なる。
イギリス アメリカ フランス ドイツ 香港・シンガポール 日本
堅↑
・
↓柔 Hard Fast sec hart Firm 良
Firm Firm tres leger fest Good to firm やや重
Good to firm Wet Fast leger gut Good 重
Good Good assez souple weich Yielding to good 不良
Good to soft Muddy souple schwer Yielding
Soft Yielding tres souple tief Soft to yielding
Heavy Sloppy collant Soft
Soft lound Heavy to Soft
profond Heavy
なお、ばんえい競馬については独自の方式が採用されている。詳細はばんえい競走#馬場(公営競技)の項を参照。
良馬場
良馬場は馬場水分が少なく、乾燥した状態のこと。良馬場になると、硬い馬場を嫌って苦手とする馬や、苦にせず得意とする馬がいる。日本以外では、馬場の性質によって異なるが故障率が通常の馬場より高くなる傾向があり、硬い馬場になると直前回避を行うことが増える。
このため、欧州の競馬場では良馬場になると基本的に散水を行う。結果、イギリスの競馬では、平地競走においてはFirm以上、障害競走においてはGood to firm以上の硬い馬場で競走を行うことはほとんどない。
不良馬場
不良馬場の例(2003年6月18日の名古屋競馬場)
雨や雪が降り、芝・ダートが泥まみれになり水たまりなどができている状態のこと。あまりに酷い場合は「田んぼ」などと揶揄されることもある(特にダートでは用いられやすい)。不良馬場になると柔らかい馬場に対して脚を滑らすなどで苦手とする馬や、相対的に苦にせず得意とする馬もいる。
芝コースでは走破タイムが、距離やコース形態によって異なるが、数秒~1分程度遅くなり、ダートコースでもやや遅くなる傾向があるが、日本のダートコースではクッションに使用する砂が締まるため逆に早くなることもある。
天候によって競馬の開催が決まることもある。台風が接近または直撃した場合、激しい雨または雪、積雪がある場合などは競馬を開催しないこともある。積雪の場合は芝コースを閉鎖し、芝で組まれていたレースをダートに変更することもある。
不良馬場を巡る近年の事例
重賞では、1998年の共同通信杯4歳ステークスにおいて、激しい積雪により芝コースが閉鎖され、その当日全ての芝レースはダートに変更された。この共同通信杯の格付けはGIIIであったが格付けが取り消された(重賞としては扱われた)。
距離は芝1800mからダート1600mとなった。このレースの勝ち馬はデビュー3戦目のエルコンドルパサーで、本来であればこのレースが初めての芝でのレースとなる予定であったが、皮肉にも3度目のダート戦となった。これによってデビュー2戦をともにダートで圧勝した実績から、単勝120円という圧倒的支持を得た。この共同通信杯以後、ダートレースへの出走は無く、後に日本、海外含めGIを3勝した。
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発馬機(はつばき)は、競馬などの競走において使われている、全頭を一斉にスタートさせるための設備である。現在の競馬においてはほとんどの競走でゲート式のものが使われており、スターティングゲート(starting gate)、または略してゲートが発馬機の同義語として使われることも多い。
発馬機種別
競馬、特に平地競走や障害競走における発馬機にはバリヤー式・ゲート式の2種類が存在する。また、繋駕速歩競走ではモービルスターティングゲートという発馬機が多く使われている。
それらが登場する以前は旗を持ったスターターが出走馬と並び、それが振り下ろされたことを合図として発馬していた。この発馬手順は、19世紀中頃にジョッキークラブ会長であったヘンリー・ジョン・ロウスの発案によって確立されたものである[re 1]。
しかしこの方法はスターターの裁量によるところが大きく、不正の温床ともなりうるものであった。また誤発走が起きることも少なくなく、それに備えて100ヤード先の地点に補助役が立ち、誤発走の際には旗を揚げてそれを知らせるという面倒もあった[re 1]。
発馬機バリヤー式
1952年のオーストラリアで行われたバリヤー式による発走
バリヤー式発馬機(starting barrier)はロープを張ることによってスタートラインを仕切り、発走前に馬がラインを越えることを防ぐ目的で用いられる装置である。日本ではオーストラリアから導入したことから、当初濠州式バリヤー(ごうしゅうしきバリヤー)と呼ばれていた。また、イギリスでは導入当初こちらを「スターティングゲート」と呼んでいた[re 2]。
まず、横に佇立させた出走馬の胸の高さに「スターティングバリヤー」と呼ばれる棕櫚縄のロープ(ネット)をフックを利用して張る。発馬担当者のレバー操作でフックを外すとこのロープが上方に跳ね上がり、これをスタートの合図とする。装置は簡便であるが、発走前の位置取りで騎手間の牽制があったり、馬が静止しないため突進や出遅れなどの問題が多く、一部の競走を除いて現在のゲート式に切り換えられた。なお、バリヤー式には軟式バリヤーと硬式バリヤーの2種類がある。
バリヤー式発馬機の初導入は1894年のことで、オーストラリアでの競走に用いられたものであった[re 3]。考案者であるアレクサンダー・グレイがバリヤーを製作するきっかけとなったのは、騎手であった息子のルーベン・アレクサンダーが発走前にチョークで引かれたスタートラインを越えてしまい、罰金5ポンドを払うはめになったことであった。グレイは発馬の際に馬が暴れるのはスターターの旗のはためきが原因だと考え、それに代わる手段として1本のロープを用いたバリヤーを考案した。
グレイの発馬機が初導入されたのは、1894年2月のカンタベリーパーク競馬場(ニューサウスウェールズ州)であった。公正かつ従来より早く発走できる利点が大きく注目され、改良が加えられたのちにオーストラリア全体の競馬場へと導入された。その後1897年にはイギリスのニューマーケット競馬場[re 2]、1926年には日本[re 4]と順次世界中の競馬場へと導入され1932年頃には世界の主流発走方式として使用されるようになった。
グレイの考案したバリヤーは、1本のロープによってスタートラインを仕切るもので、スターターがレバーを引くことによってロープが跳ね上がって発走可能となる仕掛けになっていた。後にさまざまな改良型が登場しており、1920年代にジョンソンとグリーソンという人物らによるロープを5本に増やしたエキスパンダー状の発馬機、またアメリカ合衆国で考案された移動式バリヤー発馬機などがある。移動式発馬機は1946年になってオーストラリアに導入されている[re 1]。
現在においては後述のゲート式の普及により、バリヤーによる平地競走の発走はほとんど見られなくなった。一方、障害競走では日本やオセアニアなどの一部地域を除き、現在でも主流の発走方式となっている。
発馬機ゲート式
2009年の香港ダービーにおけるゲート式発馬機。
ゲート式発馬機(starting gate)はゲートを張ることによってスタートラインを仕切り、発走前に馬が越えることを防ぐことを目的とした装置である。スターティングゲート、または単にゲートとも呼ばれ、現在の平地競走などにおいて主流を占める発馬機である。イギリスではそれ以前のゲート(バリヤー)と区別して、スターティングストール(starting stall)という呼称も使われている[re 2]。
多くは電磁石や金具などで開扉する機構を持つ、可搬式のゲートを使用する。枠で仕切ったゲート内に出走馬を佇立させ、スターターの制御によってそれぞれの枠の扉が一斉に開き、それをもって発走の合図としている。
バリヤー式の欠点を解消した発馬方法であるが、馬には本質的に狭所を嫌う性質があるため、ゲートに入れるための調教が必要となる。また、調教により枠入りできるようになっても、環境が異なる実際の競走の段では難渋し、最悪の場合には発走除外の措置となったケースも存在する。気性の極めて激しい馬の場合にはこのゲート入りがどうしても解決できずに、結果として競走馬失格となる場合も見受けられる。
電動式のスターティングゲートが最初に導入されたのはカナダにあるエキシビジョンパーク競馬場(現・ヘイスティングス競馬場)で、1939年7月1日に初のゲートによる発馬で競走が行われた[re 5][1]。ゲート式発馬機を考案したのはエキシビジョンパークでスターターを務めていたクレイ・ピュエットで、発走に時間と手間がかかるというバリヤー式の欠点を解消するために製作した。
エキシビジョンパーク競馬場で公開されたのち、アメリカ合衆国の西海岸の競馬場を中心に導入するところが拡大していった。1940年代の終わりにはピュエットのゲートはほぼすべてのアメリカの競馬場で導入されるようになり、後に全世界へと波及していった。イギリスにおいての導入は1965年7月8日が最初で、ニューマーケット競馬場のチェスターフィールドステークスで試験的に使用されて以来順次浸透していった[re 6][re 2]。
ピュエットは自身の会社でゲートの製造を行っていたが1958年に事業を拡大して、アリゾナ州フェニックスにトゥルーセンターゲートという会社を興した[re 7]。同社の製造するゲートの世界シェアは現在でも大きく、北アメリカのほとんどの競馬場で導入されているほか南アメリカやカリブ諸国、サウジアラビアの競馬場でも使われている。
ゲートは全馬が横一列に並ぶように設計されており、それぞれの仕切りの前後に扉が付けられている。競走馬はこの後ろの扉からゲート内に入り馬がゲートに収まったのが確認されると扉を手動で閉じ、馬を待機させる仕組みになっている。通常は前の扉は発走まで開くことはないが、ゲート入りを怖がる馬を誘導するために発走前に開く場合もある。
ゲート前方の扉はおもに電動式で開閉される。この扉は頑強に閉じられてはおらず、馬が暴れた場合などには馬の力でも開けられるように設計されており、これによって馬や騎手が怪我をしにくくしている。ゲート内の全馬の準備が整ったとスターターにみなされると、スターターはボタンを押して前方の扉を開き、発馬される。北米で使用されている多くのゲートは発馬時にベルが鳴り、また同時に投票システムに投票締め切りの合図を送る仕組みとなっている。
バリヤー式に比べ、ゲート式には出走頭数の上限が制限されるという欠点がある。北米では主に12頭から14頭用のゲートが主流となっており、それより多頭数の競走では補助用ゲートが用意される。また、調教用などのためにより少頭数向けのゲートもある。
繋駕速歩競走の発馬機
フィンランド・Vermo競馬場のモービルゲート(2010年)
繋駕速歩競走ではモービルスターティングゲート(モータライズドスターティングゲート、motorized starting gate)による発走が行われている。このゲートは自動車の上部に金属製の羽が2枚組み合わされた形状をしている。
繋駕速歩競走ではゲートが走りながら発馬の準備を行う。ゲートは羽を左右に広げてコースの横幅を覆い、出走馬はその羽の後ろに控えるように走りながら発走を待つ形でトラックを周回する。そしてスタートラインに到達したときにゲートは羽を畳み、前方に離れて発馬となる。この発走形式は1920年代のメキシコのティフアナ競馬場のものが史上初とされ[re 8]、20世紀中盤よりアメリカ合衆国などでも導入され、これによって誤発走の大幅な削減に成功したとある。
この形式ではスターターは発馬機の後方に乗り、真正面に出走馬を見ながら発走の合図を行う。スタートライン到達時に出走馬が公正な状態にないと判断した場合、発走準備の再開を行う場合がある。
また繋駕速歩競走においても、距離差によるハンデキャップ競走の場合にはバリヤー式に似たテープによる仕切りを用意し、そこから発走させる方式をとる。
日本における発馬機
日本においても当初はジョッキークラブ由来の旗を振り下ろす方式での発走であったが、1926年にバリヤー式発馬機(濠州式バリヤー)が導入され、以後主流の発走方式となった[re 4]。
地方競馬の発馬機
ゲート式発馬機の初導入は、1953年3月の大井競馬場[re 9]を初めとする地方競馬の南関東地区である。ここで導入されたのは宮道式(みやじしき)と呼ばれる発馬機で、呼称は開発者の宮道信雄(みやじ のぶお)に由来している。宮道は大井競馬場の近くで自動車修理工場を営んでいた人物で、競馬好きが高じて個人でアメリカより特許を購入し自ら図面を引いてそれを競馬場に売り込んでいる[re 10]。
宮道式の特徴は電磁石の力だけで開閉を制御する構造にあり、金具を使わず磁力のみによって閉扉状態を維持しているため、暴れた馬が突破してもゲートが開くだけで破損がおきにくく、メンテナンスが容易という利点がある。一方で、構造上出走頭数が制限されてしまう難点があり、大井競馬場では16頭立てのゲートも使用されている。近年は後述するJRA式(あるいはJRA旧式ゲートの中古再整備品)[2]を導入しているところも存在するが、多くの地方競馬場では現在でもこの宮道式の改良型(日本スターテイングゲート社製)が使用されている。
中央競馬の発馬機
中央競馬では、1960年7月2日の小倉競馬場の3歳戦(旧年齢表記)からゲートが導入された[re 4]。ここで使用されたのはニュージーランドの競馬で使用されていたウッド式と呼ばれるもので、製作者であるエドウィン・ハズウェル・ウッドの指導のもとに日本中央競馬会と野澤組の技術者によって開発されたものが使われた[re 11]。
パイプを組み合わせた形状の扉が開いて発走となるもので、4枠で1単位を構成するゲートを組み合わせて使用するものであった。ゴム動力が使われているのが特徴的で、また全体的に軽いため運搬しやすく、芝を傷めにくい特長があった。しかし当初のものは足元にパイプがあって馬が躓きやすく、また軽いため馬が暴れただけでもゲートが動きやすいなど問題のある構造でもあった。
1965年に中央競馬会の要請を受けて野澤組から日本発馬機株式会社(後の日本スターティング・システム社。以下「JSS」と表記)が分社し、以後中央競馬のゲート管理と保守および発走準備を担当している[re 11]。ゲートもその後改良が加えられ、1975年よりJSG48型という電動式・油圧式の発馬機が使われるようになった[re 11]。
それ以降も幾次にも渡る改良が施されており、1985年以降は日本製鋼所がJSSの注文を受けて製造している[re 12]。2009年現在は2007年6月より導入されたJSS30型が使われている[re 4]。現在のJRA式(JSS製)と呼ばれるゲートは金具と電磁石の併用による電動開扉をするシステムとなっており、開扉タイミングの誤差は小さくなっている。ただし馬のゲート突破などによる金具の破損などの問題により、外枠発走などの競走結果にも関わる問題が生じる欠点が、地方競馬で主流の「宮道式」との比較などで指摘されている。フレームのカラーリングは1990年まで青色のものが使われていたが、同年6月の福島および中京開催から緑色に変更され、現在に至っている。
繋駕速歩競走の発馬機
日本で行われていた繋駕速歩競走では、出走馬に与えられた距離ハンデの場所に停止した上でスターターの振り下ろす赤旗を合図に発走していたが、中央競馬においては海外からトロッター種を輸入した1956年にモービルスターティングゲートも導入され使用されていた。しかしながら日本の速歩馬は能力差が大きく、走りながらの発走では却って発走が整わない事が多かった事から1959年には使用が中止され、元の距離ハンデによる発走方法に戻った。中央競馬では1968年、また地方競馬も1971年を最後に繋駕速歩競走を廃止しており、現在この発走方式は使われていない。
競馬以外の発馬機
競馬以外の競走における発馬機相当のものとして、グレイハウンド競走などではゲート式発馬機を小さくしたようなスターティングボックス(starting box)が使われている。
スターティングボックスはおおむね8頭、または9頭の犬がそれぞれの仕切りに収まるようになっている。各犬はボックスの後方より入れられ、発走時には前方の蓋が上方向に開く。前方に見えるルアーが数メートルまで迫ったところが発走の合図で、それぞれの箱の前方はそれが見える窓となっている。
発馬機脚注
^ 一般的にはエキシビジョンパークが最初に導入した競馬場とされるが、ベイメドウズ競馬場では同競馬場が最初のゲート導入競馬場であると主張していた(参照:Bay Meadows History – ベイメドウズ競馬場公式サイト(Internet Archive))。
^ ゲートの牽引車が宮道式の場合はトレーラーヘッドであるのに対しJRA式のものはトラクターによる牽引であるため、判別は容易である。
発馬機出典
^ a b c Peake, Wayne [2004]. “Chapter 4: Programming and conducting unregistered proprietary horse racing”, Unregistered proprietary horse racing in Sydney 1888-1942 (pdf), Australian Digital Theses Program(University of Western Sydney), p.141-184. 2006-04-17 閲覧。
^ a b c d The Encyclopaedia of Flat Racing [p281-282](1986 著者:Howard Wright 出版:Robert Hale ISBN 0-7090-2639-0)
^ “National Museum of Australia: Annual Report 2003-2004 Part 5 – Appendices; Appendix 3, Acquisitions – National Historical Collection(page 3 of 3)”. National Museum of Australia (2004). 2006年4月17日閲覧。
^ a b c d 競馬用語辞典 – 競馬場などの施設、設備 – JRAホームページ
^ Horse Racing’s Top 100 Moments [p.68](2006 著者:ブラッド・ホース編集部 出版:ブラッド・ホース出版局 ISBN 158150139-0)
^ Wood, Greg (April 3, 2006). “End of an era as Jockey Club falls on own sword”. The Guardian 2009年10月18日閲覧。
^ True Center Gate – about us
^ シービスケット あるアメリカ競走馬の伝説 [p.34](2003 原著: ローラ・ヒレンブランド 翻訳: 奥田祐士 出版: ソニー・マガジンズ ISBN 4-7897-2074-8)
^ TCKヒストリー – 東京シティ競馬
^ 競馬ファンの大発明 – TCKドラママガジン[リンク切れ]
^ a b c 馬に捧げた人生物語「日本スターティング・システム株式会社-JSS」第1話 第3話 – あのばねマガジン
^ 発馬機ってなに? – 日本製鋼所
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