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中山大障害

中山大障害

第133回中山大障害
開催地	中山競馬場
施行日	2011年12月24日
施行時期	12月下旬
(原則5回中山7日目)
格付け	J・GI
1着賞金	7000万円
賞金総額	1億3400万円
距離	障害・芝・外4100m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)
出走資格も参照
負担重量	定量(3歳61kg、4歳以上63kg、牝馬2kg減)
第1回施行日	1934年12月5日

中山大障害(なかやまだいしょうがい)は、中山競馬場の障害・芝4100mで施行する中央競馬の障害の重賞(J・GI)競走。
正賞は農林水産大臣賞、日本馬主協会連合会長賞。農林水産大臣賞が提供されているため、正式名称は農林水産省賞典中山大障害と表記される。
春に施行される中山グランドジャンプと共に、大竹柵障害や赤レンガと呼ばれる大生垣障害を飛越する中山競馬場の大障害コースが用いられる。

中山大障害 概要
中山大障害 初期の走路図
中山競馬倶楽部の肥田金一郎が1932年に創設された東京優駿競走に匹敵する競走を中山競馬場でも開催したいと考え、イギリスのグランドナショナルにならった障害競走を創設するため同年に障害コースの整備を開始。
1934年8月27日に大障碍特別競走を創設する旨を各倶楽部に通知した。
それは距離4100m、高さ160cmの大竹柵、高さ140cm幅220cmの大土塁、高さ150cm幅270cmの大生垣の三大障害を含め計10回の飛越、加えて高低差4mを超える坂路を6回昇降するというものであり殆どが中距離で障害も120cm以下の競走しかなかった当時としては非常に過酷なものであった。
競馬関係者からは軍馬の改良の必要性などから長距離を耐え抜く有能な実役馬を選定できるという賛成意見もあったが将来種牡馬となる良血馬、高額馬の出走が望めない少頭数となり競走興味が薄れるなどの理由で時期尚早とする反対意見が圧倒的となった。
しかし肥田は断固として施行を主張。12月5日に大障碍特別競走を行うことを決定した。1着賞金は1万円であり、これは東京優駿競走と並び当時最高の賞金額を誇るレースであった。第1回の優勝馬は肥田の所有馬のキンテンである。
戦前期では負担重量が賞金によっておよそ60kgから70kg間で行われ第8回に出走したチカラは73kgの負担重量で出走したが、戦後は馬資源の不足と軍馬育成の必要性がなくなったこともあり基本負担重量が大幅に引き下げられ障害の難易度も若干緩和された。
また当初は天皇賞と同じく勝ち抜き制が採られていたが、戦後は1950年を除き過去の優勝馬も出走が可能となった。
1965年秋から現在のコースとなる1972年秋までは施行条件が幾度か変更された。平地外回りコース拡張及びダートコース新設のため、スタンド前内回りコースとそこに設置されていた大生垣が廃止。またスタート位置が3、4コーナー中間の土塁障害の前方から後方に移され飛越回数が10回から11回に増加、そして大竹柵を除くすべての障害の規模が拡大した。
1999年より障害競走改革のためグレード制が導入されJRAによりジャンプグレードワン(J・GI=ジェージーワン)に格付けされ、定量戦となる。優勝賞金額は5700万円から8000万円に大幅増となった。同時に春の中山大障害は中山グランドジャンプに衣替えし、年1回秋だけの開催となった。当初は春の大障害を「中山スプリングジャンプ」、秋の大障害を「中山グランドジャンプ」とする計画であったが競馬サークルの内外から「伝統のレース名は残すべき」という声が上がり、また春の競走を国際招待レースとする計画が立ち上がったため春を中山グランドジャンプ、秋を中山大障害として実施する事となった。ファンファーレはそれまでは東京・中山用の重賞ファンファーレを使用していたが、同年より三枝成彰作曲によるJ・GIファンファーレが使用されている。
2011年からは国際競走となる。
出走資格は、サラ系3歳以上のJRA所属の競走馬(外国産馬含む)および外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は定量で3歳61kg、4歳以上63kg、牝馬は2kg減となっている。
2011年度現在の総額賞金は1億3,400万円で、1着賞金7,000万円、2着賞金2,800万円、3着賞金1,800万円、4着賞金1,100万円、5着賞金700万円と定められている。
以前は「だいしょうがい」ではなく「おおしょうがい」と呼ばれていたが、現在は前者が正式名称となっている。現在、中央競馬で唯一メインレースとして施行されないGI競走である。
他の著名な重賞競走は1990年代半ばが売上のピークとなっているが中山大障害が最も売上を伸ばしたのは1974年秋であり、総売上は25億9774万3200円である。

中山大障害 コース
第3コーナーからスタートし、時計回りに3/4周。向正面から襷コースに入り大竹柵へ、その後第4コーナーから第3コーナーを通って再び襷コースに入って大生垣へ。その後第1コーナーから第2、第3コーナーを経由して第4コーナーから芝コースへ進入。芝コースの直線を通ってゴールを目指す。
障害飛越数は11回と4100mという距離にもかかわらず3900mで行われる阪神スプリングジャンプの14回、3930mの京都ハイジャンプの18回と比べて少ないが6度のバンケット昇降がある。春に行われる中山グランドジャンプより150m短いが、バンケットの回数が多い為にスタミナの問われるコースとなっている。

中山大障害 大障害
中山競馬場の襷コース及び設置されている大竹柵、大生垣は本競走と中山グランドジャンプの時のみ使用される。春は皐月賞、年末は有馬記念の午後は馬場が開放される。

中山大障害 大竹柵

中山大障害 2007年の大竹柵
中山競馬場第6号障害。スタートから5番目に飛越する障害であり高さ160cm幅205cm(1990年代以前は高さ160cm、幅190cm)、土台部分の高さは85cmとなっている。1980年代はこの障害で転倒、落馬をする馬が非常に多く1981年春より1985年秋までの10回で出走馬延べ80頭のうち19頭の転倒、落馬を引き起こした[1]。その後1991~1996年までは89頭中13頭と相変わらず高確率で落馬が起きていたが、その後障害の形状変更に伴い大幅に易化し、グレード制導入後2010年までの計11回の競走では167頭の出走馬うち落馬はわずかギフテッドクラウン、メジロライデン、マイネルユニバース、ジュレップの4頭のみに減少している。

中山大障害 主な出来事
1970年秋 - 1番人気インターヒカリ、2番人気スイノソレイユ、5番人気フォースターフの3頭が転倒。
1980年秋 - 1番人気ナカミショウグン、2番人気ジョーアルバトロスなど4頭が騎手落馬により競走中止。
1983年春 - ヤクモファントムの騎手・田中剛とサビアスポートの騎手・菅沼輝正は落馬の後に再騎乗を行い、それぞれ7位、8位に入線(8頭立て)。中山大障害での落馬再騎乗はこれを最後に行われていない。
1985年春 - バウンスポート、ナックルフォンテン、エイティレオ、ダイナドルフィンの4頭が転倒。中山大障害2勝のオキノサキガケとスマッシングダイナの騎手が落馬したため、計6頭競走中止。中山大障害の最多記録となっている。
1992年春 - 中山大障害優勝馬のワカタイショウ、パンフレットなど4頭が競走中止。不利を受けなかったシンボリクリエンスが2着に8.6秒差の独走で優勝した。
1998年春 - 当時の障害重賞4場グランドスラム(中山大障害、京都大障害、東京障害特別、阪神障害ステークス)にリーチがかかっていた1番人気アワパラゴンが転倒。

中山大障害 大生垣

中山大障害 2007年の大生垣
中山競馬場第7号障害。スタートから7番目に飛越する障害であり高さ160cm、幅240cm、土塁の高さは80cmであり大障害創設当初より20cm高くなっている。大竹柵から見て逆周りをしてもう1回、襷に戻って来ると言う仕組み。かつては大土塁と呼ばれたが、当時の大生垣の廃止後1990年代に入ってこちらが大生垣と呼ばれるようになった。前面土塁部分に赤レンガ模様のデザインが施されているため「赤レンガ」という通称も有名。以前より競走中止となることは少ないが、時折有力馬の落馬を引き起こしている。

中山大障害 主な出来事
1934年秋 - 第1回競走において1番人気レツドサンドが転倒、競走中止。
1994年秋- 2番人気タイヤン、3番人気ユーワハッピーが落馬。最低人気のローズムーンが優勝。
1998年秋 - 1番人気ノーザンレインボーが転倒、競走中止。

中山大障害 各種記録

中山大障害 記録
レースレコード - 4:37.2(1991年秋・シンボリモントルー)
2着との最大着差 - 8.6秒(1992年春・シンボリクリエンス)
最多優勝馬 - 5勝 バローネターフ
最多優勝騎手 - 7勝 星野忍(1980年春・1983年春・1983年秋・1989年春・1990年秋・1996年春・1996年秋)
最多優勝調教師 - 8勝 尾形藤吉(1937年秋・1938年春・1939年秋・1940年春・1941年秋・1949年秋・1956年秋・1966年春)
最少出走頭数 - 3頭(1935年春・1952年秋・1953年春)
最少完走頭数 - 2頭(1950年春・1952年秋・1953年春)
最多落馬頭数 - 6頭(1985年春・出走馬10頭)

中山大障害 3連覇以上の優勝馬
フジノオー(4回・4回連続・1963年秋から1965年春)
グランドマーチス(4回・4回連続・1974年春から1975年秋)
バローネターフ(5回・3回連続・1977年春から1977年秋、1978年秋から1979年秋)
ポレール(3回・3回連続・1996年春から1997年春)
他に、ゴーカイの3年連続2着(1999年から2001年)、メルシーエイタイムの5年連続連対(2005年から2009年)と言う記録も存在する。

中山大障害 エピソード

中山大障害 競走のエピソード
1944年春の競走は競馬の一時停止と、中山競馬場閉鎖のため東京競馬場で能力検定競走「農商省賞典障碍」を距離4050mで施行。7歳以上の馬は出走不可のため5、6歳馬のみで争われた。9頭立てで行われイマカゼが5:06のタイムで優勝したが、中山大障害の回数としてはカウントされていない。秋は京都競馬場で行われる予定だったが、戦局の悪化に伴い4歳馬競走のみ行われたため障害競走は全て取り止めとなった。
1957年春の競走でカツプスターに騎乗した本田昌雄騎手は大土塁(現・大生垣)飛越着地の際に落馬したが直ちに再騎乗を行い鐙を踏まずに大生垣(廃止)を飛越して完走(出走馬8頭・8着)したため、裁決委員からその敢闘ぶりを表彰された。
1960年春の競走でガーナードに騎乗した加賀武見騎手は落馬後再騎乗の際に他人の助けを借り、また競走に要した時間が規定時間を越えたため(参考タイム 9:31.2)タイムオーバーでガーナードは失格、加賀武見は戒告を受けた。
1972年春の競走ではナスノセイランが前年春に続いて連覇(前年秋は開催せず)したがこの時の2着馬は全弟であるナスノヒエンであり、GI(級)レースにおいて初めて(2010年6月現在、未だに唯一)となる全姉弟による1・2着を記録した。なお、ナスノヒエンは1973年春の競走を勝利している。

中山大障害 その他のエピソード
阿部幸太郎が『中央競馬ワイド中継』のレギュラー時代、中山大障害コース4100mを自分の足で走ってさらには障害は乗り越えて完走するという特集VTRが制作された。後に競馬開催が台風・降雪等で中止となった際に穴埋めとして放映された。
有馬記念などの大レース開催日に大障害コースの一部を観客席として開放するケースや、ファンサービスの一環として実際に大障害コースの一部に入れる機会を設けるケースもある。

中山大障害 歴史
1934年秋 - 「大障碍特別競走」の名称で別定戦として創設。出走馬4頭中3頭が完走した。
1935年 - この年より年2回施行される(1947年と1956年を除く)。同年春にレース名が「中山大障碍特別」に改められ、秋からは農林省賞典が下賜され、「農林省賞典障碍」となる。
1938年秋 - 「小倉農林省賞典障碍」創設に伴い、「中山農林省賞典障碍」に改称される。
1943年秋 - 農林省と商工省の一部が合併し「農商省」が設置されたことに伴い、「中山農商省賞典障碍」に改称される。
1944年 - 中山競馬場閉鎖に伴い、春季に東京で能力検定競走「農商省賞典障碍」として施行される。
1947年秋 - 戦後「小倉農林省賞典障碍」が廃止、及び再び農林省が設置されたことに伴い名称が「農林省賞典障碍」にもどる。
1948年
春 - 過去の優勝馬が出走可能となる。
秋 - 競走名が「中山大障碍」に変更される。
1950年 - この年のみ過去の優勝馬が出走不可となる。
1951年春 - 過去の優勝馬の斤量は2kg増となる。
1953年春 - NHKによってテレビ中継され、日本初の競馬のテレビ中継となった。
1954年秋 - 競走名が「農林省賞典中山大障碍」に変更される。
1957年 - 秋の競走に限り4歳馬(現・3歳馬)の出走が可能となる。
1966年春 - 中山大障碍1勝毎に2kg増に変更される[2]。
1969年春 - 出走馬ロイタンの実質的な馬主が出走馬バスターに禁止薬物のカフェインを含む抹茶を摂取させようと企み、バスターが出走取消に追い込まれる事件が起こった(バスター事件)。
1970年 - 「障碍」から「障害」へ漢字表記が変更され「農林省賞典中山大障害」となる。
1971年秋 - 馬インフルエンザ蔓延の影響で開催中止。
1972年春
流行性の馬インフルエンザの影響により6月に順延開催。
中山大障害優勝馬は2kg増。及び収得賞金による斤量規定が廃止される。
出走馬ダテハクタカがパドック周回中に何者かに濃硫酸をかけられ右目を負傷し、競走除外となる事件が起こった(ダテハクタカ#ダテハクタカ事件)。
1976年春 - 再び中山大障害1勝毎に2kg増に変更される。
1978年秋 - 農林省の名称変更により「農林水産省賞典中山大障害」となる。
1988年春 - 中山競馬場の改修工事で東京競馬場で行われたため東京大障害として施行された。東京大障害は過去に使用されたことがない距離4000mで施行され、第3コーナーから逆回りで1周した後に襷コースに入り第2コーナーから順回りで直線に向かった。障害飛越数は17。
1989年春 - 混合競走に指定。
1993年秋 - 混合競走に指定。
1999年
グレード制導入によりJ・GIに格付け。
負担重量を定量として年1回施行。春のレースを中山グランドジャンプに移行。
2000年 - 創設以来初めて出走可能頭数上限の16頭で行われる。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2002年 - ギルデッドエージが優勝し、ニュージーランドから短期免許で騎乗したロシェル・ロケットがJRA史上初の女性騎手による重賞制覇を果たした。
2003年 - 積雪のため中止・延期となり、2004年に1月(代替開催)と12月で2回行われた。
2005年 - テイエムドラゴンが1着となり、1968年のタジマオーザ以来37年ぶりに3歳馬が優勝した(2着も3歳馬のメルシーエイタイム)。
2009年 - キングジョイがJ・GIに格付け及び年1回施行において史上初の連覇。
2011年 - 国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。

中山大障害 歴代優勝馬
中山大障害(春)
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第2回	1935年4月7日	イサハヤ	牡6	5:09 4/5	秋山辰治	川崎敬次郎	真藤慎太郎
第4回	1936年4月5日	ジユピターユートピア	牡5	5:01 4/5	中口儀一郎	大久保房松	小林国威
第6回	1937年4月4日	フソウ	牡4	4:57 1/5	平井寅雄	稲葉秀男	中村勝五郎
第8回	1938年4月10日	トクタカ	牡5	4:59 0/5	内藤潔	尾形景造	山中清兵衛
第10回	1939年4月9日	コクオー	牝5	5:03 4/5	松永光雄	土田順三	村上菊松
第12回	1940年4月19日	キヨクジツ	牡6	4:55 4/5	古賀嘉蔵	尾形景造	高杉晋
第14回	1941年4月20日	ライハルオン	牝6	4:53 1/5	中野才一	佐藤重治	伊藤盛治
第16回	1942年4月26日	ホウカツピータ	牡5	5:07 2/5	本田昌雄	稗田虎伊	経塚彌三
第18回	1943年5月2日	モトクマ	牡5	5:03 4/5	平井稔	稲葉幸夫	門井鍋四郎
第21回	1948年4月3日	フクレイ	牡5	4:08 1/5	田畑志郎	古賀嘉蔵	西博
第23回	1949年5月1日	カミカゼ	牡4	4:50 3/5	高松三太	柏谷富衛	小野ムメ
第25回	1950年5月5日	エイシヤイン	牡6	5:00 2/5	小森園正義	久保田彦之	伊藤市平
第27回	1951年5月20日	ツキヤス	牝4	4:43 4/5	古山良司	上村大治郎	高須銀次郎
第29回	1952年6月8日	カツシロ	牡4	4:44 4/5	富田六郎	見上恒芳	松村政雄
第31回	1953年6月28日	ハクオー	牡4	4:45 3/5	斉藤義美	松元正雄	西村光之助
第33回	1954年6月20日	ギンザクラ	牡4	4:50 3/5	富田六郎	見上恒芳	鈴江チヨ
第35回	1955年6月26日	キタノイヅミ	牡4	4:43 1/5	勝尾竹男	久保田金造	田中留治
第38回	1957年6月30日	クロシオ	牡4	4.52 0/5	長池辰三	大久保末吉	渡辺美弥子
第40回	1958年6月29日	ケニイモア	牝5	4:47 0/5	目時重男	武輔彦	ジョー・エス
第42回	1959年6月28日	オータジマ	牡4	4:43 0/5	高屋次郎	古賀嘉蔵	田島将光
第44回	1960年6月26日	ロールメリー	牝5	4:49.5	古賀一隆	古賀嘉蔵	豊島美王麿
第46回	1961年4月23日	クニハヤ	牡6	4:45.0	加賀武見	阿部正太郎	日下邦雄
第48回	1962年4月22日	フエニツクス	牡5	4:54.2	田村駿仁	二本柳俊夫	河野魁
第50回	1963年6月23日	ゴールデンオーザ	牡4	4:46.2	関口薫	中村広	川俣トシエ
第52回	1964年3月15日	フジノオー	牡5	4:45.5	横山富雄	橋本輝雄	藤井一雄
第54回	1965年4月11日	フジノオー	牡6	4:49.2	横山富雄	橋本輝雄	藤井一雄
第56回	1966年4月24日	アドミラル	牡4	5:04.0	小泉明東	尾形藤吉	永田雅一
第58回	1967年6月11日	クニハヤヒメ	牝4	4:52.1	関口健太郎	阿部正太郎	日下邦雄
第60回	1968年4月7日	フジノホマレ	牡8	4:53.4	横山富雄	橋本輝雄	藤井一雄
第62回	1969年6月29日	ホンマルシロー	牡4	4:58.9	千田能照	勝又忠	原田享
第64回	1970年4月5日	ハセタカラ	牡4	4:50.9	法理弘	阿部正太郎	長南鶴雄
第66回	1971年5月5日	ナスノセイラン	牝5	4:48.6	金井国男	稲葉秀男	那須野牧場
第68回	1972年6月4日	ナスノセイラン	牝6	4:53.0	柴崎勇	稲葉秀男	那須野牧場
第70回	1973年4月8日	ナスノヒエン	牡5	4:45.1	金井国男	稲葉秀男	那須野牧場
第72回	1974年4月7日	グランドマーチス	牡5	4:48.4	寺井千万基	伊藤修司	大久保興産(株)
第74回	1975年4月6日	グランドマーチス	牡6	4:40.3	寺井千万基	伊藤修司	大久保興産(株)
第76回	1976年4月11日	エリモイーグル	牡5	4:38.9	渡辺修一	大久保末吉	井上芳春
第78回	1977年4月10日	バローネターフ	牡5	4:44.3	三浦春美	矢野進	(有)ターフ・スポート
第80回	1978年4月9日	ファンドリナイロ	牡6	4:42.1	広松孝司	須貝彦三	水戸富雄
第82回	1979年4月8日	バローネターフ	牡7	4:38.5	根本康広	矢野進	(有)ターフ・スポート
第84回	1980年4月6日	オキノサコン	牡6	4:49.5	星野忍	八木沢勝美	沖崎エイ、沖崎藤吉郎
第86回	1981年4月5日	ナカミショウグン	牡5	4:47.4	根本康広	八木沢勝美	中村美俊
第88回	1982年4月11日	キングスポイント	牡5	4:44.1	小島貞博	小川佐助	高田久成
第90回	1983年4月10日	オキノサキガケ	牡5	4:41.8	星野忍	佐藤林次郎	沖崎エイ、沖崎藤吉郎
第92回	1984年4月8日	メジロジュピター	牡6	4:41.9	池添兼雄	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第94回	1985年4月7日	ブルーフラール	牝5	4:43.1	成田均	大久保勝之	栗林英雄
第96回	1986年4月6日	ライバコウハク	牡7	4:44.9	大江原哲	松元正雄	坂本盛正、上水清氏
第98回	1987年4月12日	メジロアンタレス	牡8	4:44.2	成田均	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第100回	1988年4月10日	メジロアイガー	牡5	4:34.6	臼井武	尾形充弘	(有)メジロ牧場
第102回	1989年4月9日	キョウエイウオリア	牡10	4:46.8	星野忍	中村均	松岡正雄
第104回	1990年4月7日	パンフレット	牡5	4:39.5	嘉堂信雄	田中良平	小田切有一
第106回	1991年4月6日	シンコウアンクレー	牡5	4:38.1	田中剛	二本柳俊一	安田修
第108回	1992年4月11日	シンボリクリエンス	牡7	4:41.7	大江原哲	境征勝	シンボリ牧場
第110回	1993年4月10日	メジログッテン	牡6	4:38.5	押田年郎	大久保正陽	(有)メジロ牧場
第112回	1994年4月9日	ブロードマインド	牡6	4:40.7	牧之瀬幸夫	矢野進	吉田照哉
第114回	1995年4月8日	ダイカツストーム	牡5	4:44.1	中竹和也	中村好夫	志賀泰吉
第116回	1996年4月6日	ポレール	牡5	4:41.2	星野忍	岩元市三	林進
第118回	1997年4月12日	ポレール	牡6	4:43.1	出津孝一	岩元市三	林進
第120回	1998年4月18日	ノーザンレインボー	牡8	4:46.2	田中剛	鈴木康弘	吉田照哉
以後、中山グランドジャンプに移行。

中山大障害 中山大障害(秋)
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1934年12月5日	キンテン	牡5	5:21 1/5	稲葉幸夫	稲葉秀男	肥田金一郎
第3回	1935年10月20日	オーシス	牡4	5:02 2/5	佐藤修	杉浦照	石川義明
第5回	1936年10月18日	トーナメント	牡4	4:57 1/5	中野吉太郎	杉浦照	石川義明
第7回	1937年10月17日	キンテキ	牡4	5:01 0/5	古賀嘉蔵	尾形景造	高井治兵衛
第9回	1938年11月27日	リードアン	牝4	5:06 0/5	稲葉幸夫	藤本冨良	大川義雄
第11回	1939年12月3日	シヤインモア	牝4	4:55 1/5	内藤潔	尾形景造	土田荘助
第13回	1940年12月8日	スタミナ	牝5	4:59 0/5	岩下密政	田村仁三郎	豊島美王麿
第15回	1941年12月7日	ゼーアドラー	牡5	4:55 0/5	古賀嘉蔵	尾形景造	片山哲雄
第17回	1942年11月29日	バイエル	牝4	5:08 3/5	富田竹次郎	布施季三	高橋錬逸
第19回	1943年11月28日	カミワカ	牡5	5:05 1/5	岩下密政	田村仁三郎	豊島美王麿
第20回	1947年12月14日	ニユージヤパン	牡4	4:07 3/5	小桧山悦雄	鈴木信太郎	豊島美王麿
第22回	1948年11月3日	ブルーホマレ	牡4	4:47 0/5	吉野勇	大久保房松	久保邦造
第24回	1949年12月4日	ブランドライト	牡5	4:58 3/5	坂内光雄	尾形藤吉	川内安忠
第26回	1950年12月7日	アシガラヤマ	牡4	4:54 1/5	吉野勇	平井寅雄	川島政子
第28回	1951年12月16日	ミツタヱ	牝5	4:51 0/5	渡辺正人	東原玉造	河野信一
第30回	1952年12月21日	サチヒカリ	牡4	4:50 3/5	坂本栄三郎	小西喜蔵	石原利貞
第32回	1953年11月1日	モモタロウ	牡5	4:49 4/5	野平幸雄	田中和一郎	舟橋聖一
第34回	1954年11月3日	アラワシ	牡4	4:54 1/5	伊藤英治	望月与一郎	高橋なつ
第36回	1955年11月3日	シマユキ	牡5	4:47 1/5	飯塚好次	松山吉三郎	小野仁助
第37回	1956年11月18日	ハクレイ	牝4	4:54 4/5	目時重男	尾形藤吉	西博
第39回	1957年10月20日	ヤマカブト	牝5	4:46 1/5	坂本栄三郎	小西喜蔵	山之内喜代子
第41回	1958年10月12日	ケニイモア	牝5	4:44 4/5	目時重男	武輔彦	ジョー・エス
第43回	1959年10月11日	ハルボー	牡4	4:43.8	本田昌雄	田中朋次郎	加藤春雄
第45回	1960年10月9日	ロールメリー	牝5	4:46.9	古賀一隆	古賀嘉蔵	豊島美王麿
第47回	1961年10月15日	トサキング	牡4	4:48.4	瀬戸口勉	上田武司	上田清次郎
第49回	1962年10月7日	ライトリア	牡6	4:43.1	坂内光雄	藤本冨良	伊藤久雄
第51回	1963年10月20日	フジノオー	牡4	4:46.9	横山富雄	橋本輝雄	藤井一雄
第53回	1964年10月11日	フジノオー	牡5	4:49.7	横山富雄	橋本輝雄	藤井一雄
第55回	1965年10月17日	ミスハツクモ	牝5	4:54.4	前田禎	鈴木清	勝又豊次郎
第57回	1966年12月4日	ホウラン	牝4	4:56.1	金井国男	稲葉秀男	河野通
第59回	1967年12月3日	ヤマニンダイヤ	牡5	4:48.1	鶴留明雄	諏訪佐市	土井宏二
第61回	1968年12月29日	タジマオーザ	牡3	4:56.6	津田昭	佐藤勝美	(株)田島牧場
第63回	1969年12月28日	マウントブゼン	牝4	4:55.1	山田広士	野平省三	山田福太郎
第65回	1970年12月27日	リクオー	牡4	4:58.4	千田能照	勝又忠	矢沢註二
第67回	1971年12月25日	開催中止
第69回	1972年12月24日	マスヒロ	牝4	5:02.8	成島正規	阿部正太郎	増山栄一
第71回	1973年12月23日	クリユタカ	牡5	4:44.7	法理弘	阿部正太郎	栗林友二
第73回	1974年12月22日	グランドマーチス	牡5	4:40.2	寺井千万基	伊藤修司	大久保興産(株)
第75回	1975年12月21日	グランドマーチス	牡6	4:42.5	法理弘	伊藤修司	大久保興産(株)
第77回	1976年12月26日	サクラオンリー	牡8	4:45.1	平井雄二	久保田彦之	(株)さくらコマース
第79回	1977年12月25日	バローネターフ	牡5	4:39.7	三浦春美	矢野進	(有)ターフ・スポート
第81回	1978年12月24日	バローネターフ	牡6	4:43.6	小柳由春	矢野進	(有)ターフ・スポート
第83回	1979年12月23日	バローネターフ	牡7	4:43.7	根本康広	矢野進	(有)ターフ・スポート
第85回	1980年12月20日	カチウマタロー	牡5	4:49.4	田中剛	柄崎義信	島崎竜五郎
第87回	1981年12月19日	テキサスワイポン	牡7	4:42.1	今岡正	二分久男	渡辺孝男
第89回	1982年12月25日	キングスポイント	牡5	4:42.6	小島貞博	小川佐助	高田久成
第91回	1983年12月24日	オキノサキガケ	牡5	4:41.9	星野忍	佐藤林次郎	沖崎エイ、沖崎藤吉郎
第93回	1984年12月22日	メジロアンタレス	牡5	4:39.1	牧之瀬幸夫	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第95回	1985年12月21日	オンワードボルガ	牡4	4:46.9	田中剛	二本柳俊夫	樫山純三
第97回	1986年12月20日	ハッピールイス	牡4	4:45.6	中竹和也	吉田三郎	マエコウファーム(有)
第99回	1987年12月26日	シノンシンボリ	牡8	4:39.4	牧之瀬幸夫	大和田稔	和田共弘
第101回	1988年12月24日	ヤマニンアピール	騸5	4:39.0	岡冨俊一	中村均	土井宏二
第103回	1989年12月23日	メジロマスキット	牝4	4:39.0	臼井武	尾形充弘	(有)メジロ牧場
第105回	1990年12月22日	ワカタイショウ	牡5	4;38.9	星野忍	嶋田功	渡辺喜八郎
第107回	1991年12月21日	シンボリモントルー	牡6	4:37.2	成田均	田中和夫	シンボリ牧場
第109回	1992年12月26日	シンボリクリエンス	牡7	4:38.3	大江原哲	境征勝	シンボリ牧場
第111回	1993年12月25日	ブロードマインド	牡5	4:42.0	牧之瀬幸夫	矢野進	吉田照哉
第113回	1994年12月17日	ローズムーン	牝5	4:40.6	五十嵐久	田村駿仁	(株)大東牧場
第115回	1995年12月16日	フジノスラッガー	牡5	4:44.9	臼井武	和田正道	中村寛俊
第117回	1996年12月14日	ポレール	牡5	4:44.0	星野忍	岩元市三	林進
第119回	1997年12月13日	ケイティタイガー	牡8	4:45.5	嘉堂信雄	吉岡八郎	瀧本和義
第121回	1998年12月19日	ビクトリーアップ	騸5	4:44.1	横山義行	吉永正人	(有)池ばた

中山大障害 J・GIに格付けされてからの歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第122回	1999年12月18日	ゴッドスピード	牡5	4:42.6	西谷誠	瀬戸口勉	坪野谷和平
第123回	2000年12月23日	ランドパワー	牡5	4:40.7	金折知則	福島勝	木村善一
第124回	2001年12月22日	ユウフヨウホウ	牡4	4:44.1	今村康成	松元茂樹	(株)アイテツ
第125回	2002年12月21日	ギルデッドエージ	牡5	4:51.6	R.ロケット	松元茂樹	(有)ノースヒルズマネジメント
第126回	2004年1月10日	ブランディス	騸7	4:40.9	大江原隆	藤原辰雄	(有)サンデーレーシング
第127回	2004年12月25日	メルシータカオー	騸5	4:37.6	出津孝一	武宏平	永井康郎
第128回	2005年12月24日	テイエムドラゴン	牡3	4:39.9	白浜雄造	小島貞博	竹園正繼
第129回	2006年12月23日	マルカラスカル	牡4	4:41.0	西谷誠	瀬戸口勉	河長産業(株)
第130回	2007年12月22日	メルシーエイタイム	牡5	4:39.7	横山義行	武宏平	永井康郎
第131回	2008年12月27日	キングジョイ	牡6	4:45.0	高田潤	増本豊	松岡隆雄
第132回	2009年12月26日	キングジョイ	牡7	4:41.7	西谷誠	増本豊	松岡隆雄
第133回	2010年12月25日	バシケーン	牡5	4:46.1	蓑島靖典	高橋義博	石橋英郎

競走名:第1回 「大障碍特別」、第2回「中山大障碍特別」、第3~8、20、21回 「農林省賞典障碍」、第9~18回 「中山農林省賞典障碍」、第19回 「中山農商省賞典障碍」、第100回 「東京大障害」
距離:第16~19回 4240m、第20、21回 3350m、第55~68回 4200m、第100回 4000m
勝時計:第1~42回 1/5秒表示、第43回~ 1/10秒表示

鳴尾記念

鳴尾記念

開催地	阪神競馬場
施行日	2011年12月3日
施行時期	12月上旬
(原則5回阪神1日目)
格付け	GIII
1着賞金	4100万円
賞金総額	7730万円
距離	芝・外1800m
出走条件	サラ系3歳以上(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量	別定(本文に記載)
第1回施行日	1951年6月10日

鳴尾記念(なるおきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝1800mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走である。農林水産省が賞を提供しており、正式名称は「農林水産省賞典 鳴尾記念」と表記している。
競走名はかつて兵庫県武庫郡鳴尾村(現在の西宮市)に存在した鳴尾競馬場(旧阪神競馬場)から。

鳴尾記念 概要
1951年にハンデキャップ競走として創設された。1953年の春と1954年は別定重量戦として開催された。創設当初は春・秋の年2回施行されていたが、1954年より年1回の施行となった。その後は長らく初夏に阪神競馬場の芝2400mで施行されてきたが、1971年に春季開催に移行し、1981年には距離が芝2500mに変更となった。1984年のグレード制導入時にはGIIに格付けされ、1987年には開催時期が12月となる。
1996年に宝塚記念の施行時期が7月の第3回阪神競馬8日目に移行したことにより、当競走をその前哨戦として位置づけるため、翌1997年には距離を芝2000mに短縮するとともに6月開催に変更され、併せて国際競走に指定され、外国馬は4頭まで出走可能、また、負担重量がハンデキャップから別定重量に変更された。これにより、バブルガムフェロー、ダンスパートナー、エアグルーヴ、ステイゴールドなどの有力馬がここをステップとして宝塚記念に挑んだ。しかし、2000年の番組変更で宝塚記念の施行時期が繰り上がると、前哨戦としての役割は金鯱賞へ引き継がれ、当競走はGIIIに格下げられるとともに開催時期が12月に変更、再びハンデ戦となった(距離は芝2000m)。またこのとき、国際競走から混合競走に変更された。
2006年から距離が芝2000mから芝外回り1800mに短縮され、負担重量が再度別定重量に変更された。また、国際競走にも再指定され、外国馬は5頭まで出走可能となっている。2007年から日本のパートI国昇格により、外国馬の出走枠が9頭に拡大された。
2012年より中京競馬および阪神競馬の開催日割の変更により、開催時期を6月に、距離を芝2000mに再び戻し、12月に移設される金鯱賞に代わり宝塚記念の前哨戦に指定された。
2008年から2011年まで(2010年を除く)はワールドスーパージョッキーズシリーズの開催期間中に施行されている。
出走資格はサラ系3歳以上のJRA所属馬(外国産馬含む)、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は3歳55kg、4歳以上56kg、牝馬2kg減を基本とし、更に以下のように斤量が課せられる。
日本馬は収得賞金が3,000万円を超過した馬は超過額2,000万円毎に1kg増。
外国調教馬はGI競走1着馬は5kg増、GII競走1着馬は3kg増、GIII競走1着馬は1kg増(ただし2歳時の成績を除く)。
2011年現在の総額賞金は7,730万で、1着賞金:4,100万円、2着賞金:1,600万円、3着賞金:1,000万円、4着賞金:620万円、5着賞金:410万円と定められている。

鳴尾記念 歴史
以下は、鳴尾記念(春)と(秋)と年1回制に分けている。

鳴尾記念(春)

1951年 - 阪神競馬場の芝2400mの5歳(現4歳)以上のハンデキャップの重賞競走、鳴尾記念(春)として創設。
1953年
施行距離を芝2200mに変更。
負担重量を別定に変更。
年2回制廃止、年1回制に変更。

鳴尾記念(春)歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1951年6月10日	タカクラヤマ	牡4	2:31 3/5	橋田俊三	伊藤正四郎	平島五郎
第3回	1952年6月8日	ヒロホマレ	牡4	2:33 2/5	佐藤勇	柏谷富衛	関兵五郎
第5回	1953年6月7日	クインナルビー	牝4	2:21 4/5	境勝太郎	石門虎吉	高橋虎男

鳴尾記念(秋)

1951年 - 阪神競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、鳴尾記念(秋)として創設。
1952年 - 施行距離を芝1800mに変更。
1953年
施行距離を芝2200mに変更。
年2回制廃止、年1回制に変更。

鳴尾記念(秋) 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第2回	1951年12月16日	トラツクオー	牡3	2:33 3/5	小林稔	久保田金造	高橋虎男
第4回	1952年12月28日	クインナルビー	牝3	1:54 0/5	境勝太郎	石門虎吉	高橋虎男
第6回	1953年12月27日	ボストニアン	牡3	2:17 0/5	梅内慶蔵	増本勇	岡本治一

鳴尾記念

1954年
年2回制から年1回制に変更。
出走条件が4歳(現3歳)以上に変更。
1955年
名称を「農林省賞典鳴尾記念」に変更(ただし、1957年を除く)。
出走条件が5歳(現4歳)以上に変更。
負担重量をハンデキャップに変更。
ロイヤルウツドが史上初の連覇。
伊藤勝吉が騎手として史上初の連覇。
1957年 - 施行距離を芝2400mに変更。
1958年
セカイオーが史上初の3連覇。
島崎宏が騎手として史上初の3連覇。
加藤清一が調教師として史上初の3連覇。
1959年 - 阪神競馬場の改修工事により、中京競馬場の砂2400mで施行。
1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1966年 - 阪神競馬場のスタンド増設工事により、京都競馬場の芝外回り2400mで施行。
1969年 - 阪神競馬場のスタンド火災による復旧工事により、京都競馬場の芝外回り2400mで施行。
1970年 - 高橋成忠が騎手として2人目の連覇。
1979年 - 農林省の名称変更により、「農林水産省賞典鳴尾記念」に変更。
1981年 - 施行距離を芝2500mに変更。
1984年 - グレード制施行によりGIIに格付け。
1987年
開催時期を12月に変更。それに伴い、出走条件が4歳(現3歳)以上に変更。
ワールドスーパージョッキーズシリーズのため、第10競走(準メイン)で施行(1990年まで)。
1990年 - 阪神競馬場の改修工事により、京都競馬場の芝外回り2400mで施行。
1997年
施行距離を芝2000mに変更。
開催時期を6月に変更。
負担重量をグレード別定に変更。
国際競走に指定され、外国調教馬が4頭まで出走可能となる。
2000年
GIIIに格下げ。
開催時期を12月に変更。
負担重量をハンデキャップに変更。
国際競走から除外。
特別指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2006年
施行距離を芝外回り1800mに変更。
負担重量を別定に変更。
国際競走に再び指定され、外国調教馬が5頭まで出走可能となる。
2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。
2008年 - サクラメガワンダーが当競走で史上3頭目の2度目の優勝。
2012年
施行距離を芝2000mに変更。
開催時期を6月に変更。
負担重量をグレード別定に変更。

鳴尾記念 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第7回	1954年6月20日	ロイヤルウツド	牡4	2:22 2/5	近藤武夫	伊藤勝吉	永田雅一
第8回	1955年5月22日	ロイヤルウツド	牡5	2:18 1/5	清田十一	伊藤勝吉	永田雅一
第9回	1956年7月8日	セカイオー	牡4	2:15 1/5	島崎宏	加藤清一	吉木三郎
第10回	1957年6月9日	セカイオー	牡5	2:30 1/5	島崎宏	加藤清一	吉木三郎
第11回	1958年6月1日	セカイオー	牡6	2:33 1/5	島崎宏	加藤清一	吉木三郎
第12回	1959年6月7日	カツラシユウホウ	牡5	2:34 2/5	蛯名武五郎	藤本冨良	牧市太郎
第13回	1960年6月5日	トキツヒロ	牡4	2:29.0	大根田裕也	大久保房松	伊藤忠雄
第14回	1961年6月23日	シーザー	牡4	2:30.3	伊藤修司	伊藤勝吉	伊藤由五郎
第15回	1962年6月10日	グレイトスタン	牡5	2:37.6	宇田明彦	星川泉士	日高角右衛門
第16回	1963年6月9日	リユウフオーレル	牡4	2:30.0	宮本悳	橋本正晴	三好笑子
第17回	1964年6月7日	ゴウカイ	牡5	2:30.1	栗田勝	武田文吾	伊藤由五郎
第18回	1965年6月6日	バリモスニセイ	牡4	2:30.6	諏訪真	諏訪佐市	小杉咲枝
第19回	1966年6月5日	エイトクラウン	牝4	2:32.8	内藤繁春	田中康三	山口昇
第20回	1967年6月4日	アポオンワード	牡4	2:28.5	栗田勝	武田文吾	樫山(株)
第21回	1968年6月16日	ヤマピット	牝4	2:33.0	池江泰郎	浅見国一	小林信夫
第22回	1969年6月29日	ファインローズ	牝4	2:39.1	高橋成忠	坪重兵衛	吉田久博
第23回	1970年6月21日	ニューキミノナハ	牡4	2:35.5	高橋成忠	庄野穂積	岡山信一
第24回	1971年3月21日	タマホープ	牡4	2:29.9	清水久雄	増本勇	増本孝一
第25回	1972年4月2日	フイドール	牡4	2:31.2	武田博	武田文吾	小原菊枝
第26回	1973年4月1日	シンザンミサキ	牡4	2:28.1	久保敏文	久保道雄	宮本貞雄
第27回	1974年3月31日	ストロングエイト	牡5	2:30.2	中島啓之	奥平真治	(有)ハイランド牧場
第28回	1975年3月30日	ナオキ	牡6	2:27.1	佐々木昭次	田中康三	桜山ホース(株)
第29回	1976年3月28日	タイホウヒーロー	牡4	2:30.0	高橋成忠	曽場広作	大岩貴
第30回	1977年3月27日	テンポイント	牡4	2:32.6	鹿戸明	小川佐助	高田久成
第31回	1978年3月26日	エリモジョージ	牡6	2:27.5	福永洋一	大久保正陽	山本慎一
第32回	1979年3月25日	キャプテンナムラ	牡4	2:32.2	田島良保	坂口正大	奈村信重
第33回	1980年3月23日	リンドプルバン	牡4	2:29.9	田原成貴	見上恒芳	(株)デルマークラブ
第34回	1981年3月22日	ハシクランツ	牡5	2:40.9	柴田光陽	内藤繁春	(株)シンザンクラブ
第35回	1982年4月18日	マルブツウイナー	牡7	2:34.6	加用正	瀬戸口勉	大澤毅
第36回	1983年4月17日	キョウエイアセント	牡4	2:38.5	田島信行	工藤嘉見	松岡正雄
第37回	1984年3月11日	ハシローディー	牡5	2:34.9	村本善之	福永甲	(株)シンザンクラブ
第38回	1985年3月10日	ニシノライデン	牡4	2:35.7	伊藤清章	伊藤修司	西山正行
第39回	1986年3月9日	ロンスパーク	牡4	2:36.0	的場均	大久保洋吉	大原詔宏
第40回	1987年12月6日	タマモクロス	牡3	2:33.0	南井克巳	小原伊佐美	タマモ(株)
第41回	1988年12月4日	ヤエノムテキ	牡3	2:33.1	西浦勝一	荻野光男	(有)富士
第42回	1989年12月3日	ミスターシクレノン	牡4	2:31.5	松永幹夫	小林稔	藤立啓一
第43回	1990年12月2日	カチウマホーク	牡4	2:25.8	岡部幸雄	柄崎義信	島崎龍五郎
第44回	1991年12月8日	ナイスネイチャ	牡3	2:36.3	松永昌博	松永善晴	豊嶌正雄
第45回	1992年12月13日	タケノベルベット	牝3	2:39.1	藤田伸二	小林稔	武岡大佶
第46回	1993年12月11日	ルーブルアクト	牡5	2:36.3	清山宏明	小原伊佐美	(株)ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
第47回	1994年12月10日	スターマン	牡3	2:33.3	藤田伸二	長浜博之	誓山正伸
第48回	1995年12月9日	カネツクロス	牡4	2:31.3	的場均	堀井雅広	カネツ競走馬(株)
第49回	1996年12月7日	マルカダイシス	牡3	2:33.8	熊沢重文	内藤繁春	河長産業(株)
第50回	1997年6月15日	 バブルガムフェロー	牡4	2:01.4	岡部幸雄	藤沢和雄	(有)社台レースホース
第51回	1998年6月21日	 サンライズフラッグ	牡4	2:03.6	安田康彦	安田伊佐夫	(株)松岡
第52回	1999年6月20日	 スエヒロコマンダー	牡4	2:02.5	藤田伸二	松元茂樹	(株)みどり住宅
第53回	2000年12月10日	ダイタクリーヴァ	牡3	1:59.3	松永幹夫	橋口弘次郎	(有)太陽ファーム
第54回	2001年12月9日	メイショウオウドウ	牡6	1:59.8	飯田祐史	飯田明弘	松本好雄
第55回	2002年12月8日	イブキガバメント	牡6	1:59.5	河内洋	橋口弘次郎	(有)伊吹
第56回	2003年12月14日	ウインブレイズ	牡5	2:00.0	木幡初広	宗像義忠	(株)ウイン
第57回	2004年12月12日	サクラセンチュリー	牡4	2:00.7	佐藤哲三	佐々木晶三	(株)さくらコマース
第58回	2005年12月11日	メジロマントル	牡8	2:01.6	吉田豊	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第59回	2006年12月9日	 サクラメガワンダー	牡3	1:46.9	O.ペリエ	友道康夫	(株)さくらコマース
第60回	2007年12月8日	 ハイアーゲーム	牡6	1:47.5	藤岡佑介	大久保洋吉	臼田浩義
第61回	2008年12月6日	 サクラメガワンダー	牡5	1:46.0	福永祐一	友道康夫	(株)さくらコマース
第62回	2009年12月5日	 アクシオン	牡6	1:46.5	藤田伸二	二ノ宮敬宇	中田徹
第63回	2010年12月4日	 ルーラーシップ	牡3	1:44.9	岩田康誠	角居勝彦	(有)サンデーレーシング

凱旋門賞2着、ナカヤマフェスタが引退

ナカヤマフェスタ!引退なんですね・・・。
また国内で、その雄姿に合えると思っていたので、残念ですね。
ナカヤマフェスタと蛯名騎手と二ノ宮調教師のチャレンジは、きっと、次のチャレンジャーに
引き継がれるはずです。
いつか凱旋門賞にも、必ず、手が届く日が来るでしょう。
ドバイWCでヴィクトワールピサが実証したように!
「この馬のためにも、ベストな状態で種牡馬入りすることがいいと思いました。ステイゴールドの子は走っていますし、後継種牡馬として期待したいですね」と二ノ宮調教師。

お疲れ様でしたナカヤマフェスタ。いままで、ありがとう!!

ネオヴァンドーム(Neo Vendome)

ネオヴァンドーム(Neo Vendome)は、
主な勝ち鞍は2010年きさらぎ賞。馬名の由来は冠名「ネオ」にパリのヴァンドーム広場。

ネオヴァンドーム(Neo Vendome)は2009年
10月18日京都競馬場の新馬戦芝1800mで2着、2戦目は11月1日で2着、3戦目は12月12日でまたしても2着だった。

ネオヴァンドーム(Neo Vendome)は2010年
4戦目は1月5日で1番人気に応えて初勝利を飾った。

そして5戦目のきさらぎ賞。5番人気とそれほど人気にならなかったがミルコ・デムーロを鞍上に人気のレーヴドリアンの追い込みを封じ重賞初勝利となった。

その後、トライアルを使わず、4月18日の皐月賞に出走。好位からレースを進めるも3コーナー付近から徐々に後退してしまいブービーの17着と大敗した。
秋初戦の神戸新聞杯では2番手追走から3コーナー付近で先頭に並びかけるも直線で一杯になり8着に敗れた。10月24日の菊花賞では後方追走のまま13着に敗れた。
金鯱賞では中団に控えたが10着。札幌記念では中団追走も直線で伸びず6着。

庭先取引

庭先取引(にわさきとりひき)は、競走馬の売買に際し、セリ市などを介さずに、生産者と馬主の間で行われる直接取引のことである。国産の競走馬のうち、おおよそ8割が庭先取引で売買される。

日本では戦後に設けられた農地法により、不在地主の排除が規定され、農地に定住した農家でなければ農地を所有できない。これは、競走を引退した牝馬の馬主が牧場を有していない限り、その牝馬を所有したまま繁殖を行い、生まれた子を当然に所有するということを不可能にしている。

このため優秀な牝馬の馬主は、生まれた仔馬は自分が買い戻すという条件付で牝馬を牧場に譲渡する。これを仔分け生産という。これは事実上の名義貸しである。この方式では、牧場側は自由な配合を試みたり、生まれた仔に自由な価格を設定することが困難であるため、牧場側にとって経営の拡大に不向きである。しかし一方では、この方式を受け入れることで牝馬が手に入らなかったり仔馬が売れないといった経営危機を回避することができる。

馬主の中には、このような制限のない海外で競走馬生産を行うものも現れており、自己名義で海外で生産した競走馬を外国産馬として日本に持ち込む例が増加している。ヒシアマゾンやエルコンドルパサー、シンボリクリスエスがその代表的な例である。

自由市場で競走馬を購入しようと考える者にとっては、この方式は不透明な取引にほかならない。通常、セリ市が開催される前に多数の庭先取引が行われるため、幼駒の段階で目を付けられるような血統・体格ともに優れた馬は、既にあらかた売買が終わってしまい、セリ市に出されることは少ない(JRAは、市場取引(セリ市)を活性化させるために、セリ市で売買された競走馬に対し「市場取引馬奨励賞」という優遇措置を与えていたが、市場取引馬の出走の増加に伴い、2007年をもって終了した)。

取引の実際の形式であるが、馬主が生産者のもとを独りで訪れて馬を物色することは少なく、まず調教師が牧場を訪れて、良さそうな馬に目を付け、なじみの馬主に話を持っていくという形になることが多い。中には、配合が決定しただけで、まだ種付けが終わっていない段階において、既に生産者と調教師のあいだで話が付いており、あとは引き受けてくれる馬主を探すだけになっていることもある。
新規参入馬主や零細馬主が良い馬を手に入れる機会が減少することや、調教師や家畜商などの仲介者が多額のマージンを得ることを問題視する向きもある。また、実質的に庭先で売買が済んでいる馬を、市場取引馬の優遇措置がほしいために、形式的にセリ市に出す場合があるという疑惑も、ある生産者がほぼ事実として認めている。

ニックス

ニックス(nick、ニック)とは競走馬の生産において、優秀な競走馬を輩出する可能性が高い血統の組み合わせのことをいう[1]。

ニックスは「結果として出た成功例から、傾向や特徴を割り出す」概念であって、結果が出ていない状況下で成功例を推測する性質のものではない[2]。ある繁殖馬が優れた産駒を生み出した場合、生産者は二番煎じの形で同じ組み合わせの交配を試みる傾向がある[3]。そうして生産された競走馬がさらに成功を収めた場合、その組み合わせはニックスとしてますます注目され、模倣されていく[4]。

1970年代のアメリカ競馬界では、ボールドルーラー×プリンスキロの組み合わせがニックスとして注目を集め、これを模倣した配合から多くの優れた競走馬が生産された[5]。

多くの生産者が特定のニックスを実践し成功を収めた場合、似通った血統構成をもつ種牡馬や繁殖牝馬が多く生まれ、そのために適切な交配相手を見つけにくくなるという問題が生じることもある[6]。

また、これとは逆に相性の悪い組み合わせをネガティヴニックスと呼ぶ。代表例にネアルコとハイペリオンがある。セントサイモンの更なるラインブリードを目指して多数の交配が試されたが、ニアークティックのような例外はあるものの、成功例があまり出ていない。

ニックス脚注

[ヘルプ]
^ 吉沢2008、178-179頁。
^ 吉沢2008、187-188頁。
^ マーケットブリーダーの場合、馬主の購買意欲を刺激するための特長を作り出すことが重要となる(吉沢2008、184-188頁。)。
^ 吉沢2008、188頁。
^ 吉沢2008、193頁。
^ 吉沢2008、192頁。

ニックス参考文献

吉沢譲治 『新説母馬血統学 進化の遺伝子の神秘』 講談社〈講談社+α文庫 G168-1〉、2008年。ISBN 4062811685。

内国産馬

内国産馬(ないこくさんば)とは出生地が日本国内である競走馬のことである。カナダや韓国にも同様の制度がある。
当該馬の出生地が日本国内であれば、父馬および母馬の出生国や競走生活を送った国とは関係なく内国産馬とされる。父が内国産馬である内国産馬を父内国産馬と言う。

なお、母馬が胎内に仔馬を宿した状態で輸入され、日本国内で産まれた馬を持込馬という。内国産馬として扱われるが、1971年から1983年までの間は活馬の輸入自由化と引き換えに内国産馬の保護のため、持込馬は外国産馬として扱われていた。
内国産馬のうち、出生地が九州地方である馬のことを九州産馬という。

内国産馬例

スペシャルウィーク:父サンデーサイレンス(アメリカ産で日本に輸入され供用される種牡馬)
スペシャルウイークは内国産馬として扱われる。
エルコンドルパサー:父キングマンボ(アメリカで供用される種牡馬)
エルコンドルパサーはアメリカで生まれた後に日本に輸入されたので外国産馬として扱われる。
アドマイヤコジーン:父コジーン(アメリカで供用される種牡馬)、母アドマイヤマカディ(日本産)
アドマイヤコジーンの母アドマイヤマカディはアメリカに輸出されコジーンを種付けして日本に帰国し、日本でアドマイヤコジーンを出産したため、アドマイヤコジーンは持込馬として扱われる。
トウカイテイオー:父シンボリルドルフ(日本産で日本で供用される種牡馬)
トウカイテイオーは父シンボリルドルフも日本で生まれ、自身も日本で産まれたので父内国産馬として扱われる。
テンカタイヘイ:父ブライアンズタイム(アメリカ産で日本に輸入され供用される種牡馬)、母:フジャブ
テンカタイヘイの母フジャブは日本でブライアンズタイムを種付け後、アメリカに輸出されアメリカでテンカタイヘイを出産したが、テンカタイヘイは当歳のうちに日本に輸入されたため、持ち込み馬として扱われる(外国産馬の項を参照のこと)。
キンシャサノキセキ:父フジキセキ(日本産で北半球の繁殖期には日本で供用され、南半球の繁殖期にはオーストラリアで供用される、いわゆるシャトル種牡馬)
キンシャサノキセキの父フジキセキは日本で生まれたが、フジキセキがオーストラリアで種付けし、オーストラリアで出生した馬なので父内国産馬ではなく外国産馬として扱われる。

内国産馬関連項目

外国産馬
持込馬
父内国産馬
九州産馬

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