中山大障害
中山大障害 第133回中山大障害 開催地 中山競馬場 施行日 2011年12月24日 施行時期 12月下旬 (原則5回中山7日目) 格付け J・GI 1着賞金 7000万円 賞金総額 1億3400万円 距離 障害・芝・外4100m 出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際) 出走資格も参照 負担重量 定量(3歳61kg、4歳以上63kg、牝馬2kg減) 第1回施行日 1934年12月5日 中山大障害(なかやまだいしょうがい)は、中山競馬場の障害・芝4100mで施行する中央競馬の障害の重賞(J・GI)競走。
正賞は農林水産大臣賞、日本馬主協会連合会長賞。農林水産大臣賞が提供されているため、正式名称は農林水産省賞典中山大障害と表記される。
春に施行される中山グランドジャンプと共に、大竹柵障害や赤レンガと呼ばれる大生垣障害を飛越する中山競馬場の大障害コースが用いられる。
中山大障害 概要
中山大障害 初期の走路図
中山競馬倶楽部の肥田金一郎が1932年に創設された東京優駿競走に匹敵する競走を中山競馬場でも開催したいと考え、イギリスのグランドナショナルにならった障害競走を創設するため同年に障害コースの整備を開始。
1934年8月27日に大障碍特別競走を創設する旨を各倶楽部に通知した。
それは距離4100m、高さ160cmの大竹柵、高さ140cm幅220cmの大土塁、高さ150cm幅270cmの大生垣の三大障害を含め計10回の飛越、加えて高低差4mを超える坂路を6回昇降するというものであり殆どが中距離で障害も120cm以下の競走しかなかった当時としては非常に過酷なものであった。 競馬関係者からは軍馬の改良の必要性などから長距離を耐え抜く有能な実役馬を選定できるという賛成意見もあったが将来種牡馬となる良血馬、高額馬の出走が望めない少頭数となり競走興味が薄れるなどの理由で時期尚早とする反対意見が圧倒的となった。
しかし肥田は断固として施行を主張。12月5日に大障碍特別競走を行うことを決定した。1着賞金は1万円であり、これは東京優駿競走と並び当時最高の賞金額を誇るレースであった。第1回の優勝馬は肥田の所有馬のキンテンである。 戦前期では負担重量が賞金によっておよそ60kgから70kg間で行われ第8回に出走したチカラは73kgの負担重量で出走したが、戦後は馬資源の不足と軍馬育成の必要性がなくなったこともあり基本負担重量が大幅に引き下げられ障害の難易度も若干緩和された。
また当初は天皇賞と同じく勝ち抜き制が採られていたが、戦後は1950年を除き過去の優勝馬も出走が可能となった。 1965年秋から現在のコースとなる1972年秋までは施行条件が幾度か変更された。平地外回りコース拡張及びダートコース新設のため、スタンド前内回りコースとそこに設置されていた大生垣が廃止。またスタート位置が3、4コーナー中間の土塁障害の前方から後方に移され飛越回数が10回から11回に増加、そして大竹柵を除くすべての障害の規模が拡大した。 1999年より障害競走改革のためグレード制が導入されJRAによりジャンプグレードワン(J・GI=ジェージーワン)に格付けされ、定量戦となる。優勝賞金額は5700万円から8000万円に大幅増となった。同時に春の中山大障害は中山グランドジャンプに衣替えし、年1回秋だけの開催となった。当初は春の大障害を「中山スプリングジャンプ」、秋の大障害を「中山グランドジャンプ」とする計画であったが競馬サークルの内外から「伝統のレース名は残すべき」という声が上がり、また春の競走を国際招待レースとする計画が立ち上がったため春を中山グランドジャンプ、秋を中山大障害として実施する事となった。ファンファーレはそれまでは東京・中山用の重賞ファンファーレを使用していたが、同年より三枝成彰作曲によるJ・GIファンファーレが使用されている。 2011年からは国際競走となる。
出走資格は、サラ系3歳以上のJRA所属の競走馬(外国産馬含む)および外国調教馬(8頭まで)。 負担重量は定量で3歳61kg、4歳以上63kg、牝馬は2kg減となっている。
2011年度現在の総額賞金は1億3,400万円で、1着賞金7,000万円、2着賞金2,800万円、3着賞金1,800万円、4着賞金1,100万円、5着賞金700万円と定められている。 以前は「だいしょうがい」ではなく「おおしょうがい」と呼ばれていたが、現在は前者が正式名称となっている。現在、中央競馬で唯一メインレースとして施行されないGI競走である。 他の著名な重賞競走は1990年代半ばが売上のピークとなっているが中山大障害が最も売上を伸ばしたのは1974年秋であり、総売上は25億9774万3200円である。
中山大障害 コース
第3コーナーからスタートし、時計回りに3/4周。向正面から襷コースに入り大竹柵へ、その後第4コーナーから第3コーナーを通って再び襷コースに入って大生垣へ。その後第1コーナーから第2、第3コーナーを経由して第4コーナーから芝コースへ進入。芝コースの直線を通ってゴールを目指す。 障害飛越数は11回と4100mという距離にもかかわらず3900mで行われる阪神スプリングジャンプの14回、3930mの京都ハイジャンプの18回と比べて少ないが6度のバンケット昇降がある。春に行われる中山グランドジャンプより150m短いが、バンケットの回数が多い為にスタミナの問われるコースとなっている。
中山大障害 大障害
中山競馬場の襷コース及び設置されている大竹柵、大生垣は本競走と中山グランドジャンプの時のみ使用される。春は皐月賞、年末は有馬記念の午後は馬場が開放される。
中山大障害 大竹柵
中山大障害 2007年の大竹柵
中山競馬場第6号障害。スタートから5番目に飛越する障害であり高さ160cm幅205cm(1990年代以前は高さ160cm、幅190cm)、土台部分の高さは85cmとなっている。1980年代はこの障害で転倒、落馬をする馬が非常に多く1981年春より1985年秋までの10回で出走馬延べ80頭のうち19頭の転倒、落馬を引き起こした[1]。その後1991~1996年までは89頭中13頭と相変わらず高確率で落馬が起きていたが、その後障害の形状変更に伴い大幅に易化し、グレード制導入後2010年までの計11回の競走では167頭の出走馬うち落馬はわずかギフテッドクラウン、メジロライデン、マイネルユニバース、ジュレップの4頭のみに減少している。
中山大障害 主な出来事
1970年秋 - 1番人気インターヒカリ、2番人気スイノソレイユ、5番人気フォースターフの3頭が転倒。 1980年秋 - 1番人気ナカミショウグン、2番人気ジョーアルバトロスなど4頭が騎手落馬により競走中止。 1983年春 - ヤクモファントムの騎手・田中剛とサビアスポートの騎手・菅沼輝正は落馬の後に再騎乗を行い、それぞれ7位、8位に入線(8頭立て)。中山大障害での落馬再騎乗はこれを最後に行われていない。 1985年春 - バウンスポート、ナックルフォンテン、エイティレオ、ダイナドルフィンの4頭が転倒。中山大障害2勝のオキノサキガケとスマッシングダイナの騎手が落馬したため、計6頭競走中止。中山大障害の最多記録となっている。 1992年春 - 中山大障害優勝馬のワカタイショウ、パンフレットなど4頭が競走中止。不利を受けなかったシンボリクリエンスが2着に8.6秒差の独走で優勝した。 1998年春 - 当時の障害重賞4場グランドスラム(中山大障害、京都大障害、東京障害特別、阪神障害ステークス)にリーチがかかっていた1番人気アワパラゴンが転倒。
中山大障害 大生垣
中山大障害 2007年の大生垣
中山競馬場第7号障害。スタートから7番目に飛越する障害であり高さ160cm、幅240cm、土塁の高さは80cmであり大障害創設当初より20cm高くなっている。大竹柵から見て逆周りをしてもう1回、襷に戻って来ると言う仕組み。かつては大土塁と呼ばれたが、当時の大生垣の廃止後1990年代に入ってこちらが大生垣と呼ばれるようになった。前面土塁部分に赤レンガ模様のデザインが施されているため「赤レンガ」という通称も有名。以前より競走中止となることは少ないが、時折有力馬の落馬を引き起こしている。
中山大障害 主な出来事
1934年秋 - 第1回競走において1番人気レツドサンドが転倒、競走中止。 1994年秋- 2番人気タイヤン、3番人気ユーワハッピーが落馬。最低人気のローズムーンが優勝。 1998年秋 - 1番人気ノーザンレインボーが転倒、競走中止。
中山大障害 各種記録
中山大障害 記録
レースレコード - 4:37.2(1991年秋・シンボリモントルー) 2着との最大着差 - 8.6秒(1992年春・シンボリクリエンス) 最多優勝馬 - 5勝 バローネターフ 最多優勝騎手 - 7勝 星野忍(1980年春・1983年春・1983年秋・1989年春・1990年秋・1996年春・1996年秋) 最多優勝調教師 - 8勝 尾形藤吉(1937年秋・1938年春・1939年秋・1940年春・1941年秋・1949年秋・1956年秋・1966年春) 最少出走頭数 - 3頭(1935年春・1952年秋・1953年春) 最少完走頭数 - 2頭(1950年春・1952年秋・1953年春) 最多落馬頭数 - 6頭(1985年春・出走馬10頭)
中山大障害 3連覇以上の優勝馬
フジノオー(4回・4回連続・1963年秋から1965年春) グランドマーチス(4回・4回連続・1974年春から1975年秋) バローネターフ(5回・3回連続・1977年春から1977年秋、1978年秋から1979年秋) ポレール(3回・3回連続・1996年春から1997年春) 他に、ゴーカイの3年連続2着(1999年から2001年)、メルシーエイタイムの5年連続連対(2005年から2009年)と言う記録も存在する。
中山大障害 エピソード
中山大障害 競走のエピソード
1944年春の競走は競馬の一時停止と、中山競馬場閉鎖のため東京競馬場で能力検定競走「農商省賞典障碍」を距離4050mで施行。7歳以上の馬は出走不可のため5、6歳馬のみで争われた。9頭立てで行われイマカゼが5:06のタイムで優勝したが、中山大障害の回数としてはカウントされていない。秋は京都競馬場で行われる予定だったが、戦局の悪化に伴い4歳馬競走のみ行われたため障害競走は全て取り止めとなった。 1957年春の競走でカツプスターに騎乗した本田昌雄騎手は大土塁(現・大生垣)飛越着地の際に落馬したが直ちに再騎乗を行い鐙を踏まずに大生垣(廃止)を飛越して完走(出走馬8頭・8着)したため、裁決委員からその敢闘ぶりを表彰された。 1960年春の競走でガーナードに騎乗した加賀武見騎手は落馬後再騎乗の際に他人の助けを借り、また競走に要した時間が規定時間を越えたため(参考タイム 9:31.2)タイムオーバーでガーナードは失格、加賀武見は戒告を受けた。 1972年春の競走ではナスノセイランが前年春に続いて連覇(前年秋は開催せず)したがこの時の2着馬は全弟であるナスノヒエンであり、GI(級)レースにおいて初めて(2010年6月現在、未だに唯一)となる全姉弟による1・2着を記録した。なお、ナスノヒエンは1973年春の競走を勝利している。
中山大障害 その他のエピソード
阿部幸太郎が『中央競馬ワイド中継』のレギュラー時代、中山大障害コース4100mを自分の足で走ってさらには障害は乗り越えて完走するという特集VTRが制作された。後に競馬開催が台風・降雪等で中止となった際に穴埋めとして放映された。 有馬記念などの大レース開催日に大障害コースの一部を観客席として開放するケースや、ファンサービスの一環として実際に大障害コースの一部に入れる機会を設けるケースもある。
中山大障害 歴史
1934年秋 - 「大障碍特別競走」の名称で別定戦として創設。出走馬4頭中3頭が完走した。 1935年 - この年より年2回施行される(1947年と1956年を除く)。同年春にレース名が「中山大障碍特別」に改められ、秋からは農林省賞典が下賜され、「農林省賞典障碍」となる。 1938年秋 - 「小倉農林省賞典障碍」創設に伴い、「中山農林省賞典障碍」に改称される。 1943年秋 - 農林省と商工省の一部が合併し「農商省」が設置されたことに伴い、「中山農商省賞典障碍」に改称される。 1944年 - 中山競馬場閉鎖に伴い、春季に東京で能力検定競走「農商省賞典障碍」として施行される。 1947年秋 - 戦後「小倉農林省賞典障碍」が廃止、及び再び農林省が設置されたことに伴い名称が「農林省賞典障碍」にもどる。 1948年 春 - 過去の優勝馬が出走可能となる。 秋 - 競走名が「中山大障碍」に変更される。 1950年 - この年のみ過去の優勝馬が出走不可となる。 1951年春 - 過去の優勝馬の斤量は2kg増となる。 1953年春 - NHKによってテレビ中継され、日本初の競馬のテレビ中継となった。 1954年秋 - 競走名が「農林省賞典中山大障碍」に変更される。 1957年 - 秋の競走に限り4歳馬(現・3歳馬)の出走が可能となる。 1966年春 - 中山大障碍1勝毎に2kg増に変更される[2]。 1969年春 - 出走馬ロイタンの実質的な馬主が出走馬バスターに禁止薬物のカフェインを含む抹茶を摂取させようと企み、バスターが出走取消に追い込まれる事件が起こった(バスター事件)。 1970年 - 「障碍」から「障害」へ漢字表記が変更され「農林省賞典中山大障害」となる。 1971年秋 - 馬インフルエンザ蔓延の影響で開催中止。 1972年春 流行性の馬インフルエンザの影響により6月に順延開催。 中山大障害優勝馬は2kg増。及び収得賞金による斤量規定が廃止される。 出走馬ダテハクタカがパドック周回中に何者かに濃硫酸をかけられ右目を負傷し、競走除外となる事件が起こった(ダテハクタカ#ダテハクタカ事件)。 1976年春 - 再び中山大障害1勝毎に2kg増に変更される。 1978年秋 - 農林省の名称変更により「農林水産省賞典中山大障害」となる。 1988年春 - 中山競馬場の改修工事で東京競馬場で行われたため東京大障害として施行された。東京大障害は過去に使用されたことがない距離4000mで施行され、第3コーナーから逆回りで1周した後に襷コースに入り第2コーナーから順回りで直線に向かった。障害飛越数は17。 1989年春 - 混合競走に指定。 1993年秋 - 混合競走に指定。 1999年 グレード制導入によりJ・GIに格付け。 負担重量を定量として年1回施行。春のレースを中山グランドジャンプに移行。 2000年 - 創設以来初めて出走可能頭数上限の16頭で行われる。 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。 2002年 - ギルデッドエージが優勝し、ニュージーランドから短期免許で騎乗したロシェル・ロケットがJRA史上初の女性騎手による重賞制覇を果たした。 2003年 - 積雪のため中止・延期となり、2004年に1月(代替開催)と12月で2回行われた。 2005年 - テイエムドラゴンが1着となり、1968年のタジマオーザ以来37年ぶりに3歳馬が優勝した(2着も3歳馬のメルシーエイタイム)。 2009年 - キングジョイがJ・GIに格付け及び年1回施行において史上初の連覇。 2011年 - 国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。
中山大障害 歴代優勝馬
中山大障害(春) 回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主 第2回 1935年4月7日 イサハヤ 牡6 5:09 4/5 秋山辰治 川崎敬次郎 真藤慎太郎 第4回 1936年4月5日 ジユピターユートピア 牡5 5:01 4/5 中口儀一郎 大久保房松 小林国威 第6回 1937年4月4日 フソウ 牡4 4:57 1/5 平井寅雄 稲葉秀男 中村勝五郎 第8回 1938年4月10日 トクタカ 牡5 4:59 0/5 内藤潔 尾形景造 山中清兵衛 第10回 1939年4月9日 コクオー 牝5 5:03 4/5 松永光雄 土田順三 村上菊松 第12回 1940年4月19日 キヨクジツ 牡6 4:55 4/5 古賀嘉蔵 尾形景造 高杉晋 第14回 1941年4月20日 ライハルオン 牝6 4:53 1/5 中野才一 佐藤重治 伊藤盛治 第16回 1942年4月26日 ホウカツピータ 牡5 5:07 2/5 本田昌雄 稗田虎伊 経塚彌三 第18回 1943年5月2日 モトクマ 牡5 5:03 4/5 平井稔 稲葉幸夫 門井鍋四郎 第21回 1948年4月3日 フクレイ 牡5 4:08 1/5 田畑志郎 古賀嘉蔵 西博 第23回 1949年5月1日 カミカゼ 牡4 4:50 3/5 高松三太 柏谷富衛 小野ムメ 第25回 1950年5月5日 エイシヤイン 牡6 5:00 2/5 小森園正義 久保田彦之 伊藤市平 第27回 1951年5月20日 ツキヤス 牝4 4:43 4/5 古山良司 上村大治郎 高須銀次郎 第29回 1952年6月8日 カツシロ 牡4 4:44 4/5 富田六郎 見上恒芳 松村政雄 第31回 1953年6月28日 ハクオー 牡4 4:45 3/5 斉藤義美 松元正雄 西村光之助 第33回 1954年6月20日 ギンザクラ 牡4 4:50 3/5 富田六郎 見上恒芳 鈴江チヨ 第35回 1955年6月26日 キタノイヅミ 牡4 4:43 1/5 勝尾竹男 久保田金造 田中留治 第38回 1957年6月30日 クロシオ 牡4 4.52 0/5 長池辰三 大久保末吉 渡辺美弥子 第40回 1958年6月29日 ケニイモア 牝5 4:47 0/5 目時重男 武輔彦 ジョー・エス 第42回 1959年6月28日 オータジマ 牡4 4:43 0/5 高屋次郎 古賀嘉蔵 田島将光 第44回 1960年6月26日 ロールメリー 牝5 4:49.5 古賀一隆 古賀嘉蔵 豊島美王麿 第46回 1961年4月23日 クニハヤ 牡6 4:45.0 加賀武見 阿部正太郎 日下邦雄 第48回 1962年4月22日 フエニツクス 牡5 4:54.2 田村駿仁 二本柳俊夫 河野魁 第50回 1963年6月23日 ゴールデンオーザ 牡4 4:46.2 関口薫 中村広 川俣トシエ 第52回 1964年3月15日 フジノオー 牡5 4:45.5 横山富雄 橋本輝雄 藤井一雄 第54回 1965年4月11日 フジノオー 牡6 4:49.2 横山富雄 橋本輝雄 藤井一雄 第56回 1966年4月24日 アドミラル 牡4 5:04.0 小泉明東 尾形藤吉 永田雅一 第58回 1967年6月11日 クニハヤヒメ 牝4 4:52.1 関口健太郎 阿部正太郎 日下邦雄 第60回 1968年4月7日 フジノホマレ 牡8 4:53.4 横山富雄 橋本輝雄 藤井一雄 第62回 1969年6月29日 ホンマルシロー 牡4 4:58.9 千田能照 勝又忠 原田享 第64回 1970年4月5日 ハセタカラ 牡4 4:50.9 法理弘 阿部正太郎 長南鶴雄 第66回 1971年5月5日 ナスノセイラン 牝5 4:48.6 金井国男 稲葉秀男 那須野牧場 第68回 1972年6月4日 ナスノセイラン 牝6 4:53.0 柴崎勇 稲葉秀男 那須野牧場 第70回 1973年4月8日 ナスノヒエン 牡5 4:45.1 金井国男 稲葉秀男 那須野牧場 第72回 1974年4月7日 グランドマーチス 牡5 4:48.4 寺井千万基 伊藤修司 大久保興産(株) 第74回 1975年4月6日 グランドマーチス 牡6 4:40.3 寺井千万基 伊藤修司 大久保興産(株) 第76回 1976年4月11日 エリモイーグル 牡5 4:38.9 渡辺修一 大久保末吉 井上芳春 第78回 1977年4月10日 バローネターフ 牡5 4:44.3 三浦春美 矢野進 (有)ターフ・スポート 第80回 1978年4月9日 ファンドリナイロ 牡6 4:42.1 広松孝司 須貝彦三 水戸富雄 第82回 1979年4月8日 バローネターフ 牡7 4:38.5 根本康広 矢野進 (有)ターフ・スポート 第84回 1980年4月6日 オキノサコン 牡6 4:49.5 星野忍 八木沢勝美 沖崎エイ、沖崎藤吉郎 第86回 1981年4月5日 ナカミショウグン 牡5 4:47.4 根本康広 八木沢勝美 中村美俊 第88回 1982年4月11日 キングスポイント 牡5 4:44.1 小島貞博 小川佐助 高田久成 第90回 1983年4月10日 オキノサキガケ 牡5 4:41.8 星野忍 佐藤林次郎 沖崎エイ、沖崎藤吉郎 第92回 1984年4月8日 メジロジュピター 牡6 4:41.9 池添兼雄 大久保洋吉 メジロ商事(株) 第94回 1985年4月7日 ブルーフラール 牝5 4:43.1 成田均 大久保勝之 栗林英雄 第96回 1986年4月6日 ライバコウハク 牡7 4:44.9 大江原哲 松元正雄 坂本盛正、上水清氏 第98回 1987年4月12日 メジロアンタレス 牡8 4:44.2 成田均 大久保洋吉 メジロ商事(株) 第100回 1988年4月10日 メジロアイガー 牡5 4:34.6 臼井武 尾形充弘 (有)メジロ牧場 第102回 1989年4月9日 キョウエイウオリア 牡10 4:46.8 星野忍 中村均 松岡正雄 第104回 1990年4月7日 パンフレット 牡5 4:39.5 嘉堂信雄 田中良平 小田切有一 第106回 1991年4月6日 シンコウアンクレー 牡5 4:38.1 田中剛 二本柳俊一 安田修 第108回 1992年4月11日 シンボリクリエンス 牡7 4:41.7 大江原哲 境征勝 シンボリ牧場 第110回 1993年4月10日 メジログッテン 牡6 4:38.5 押田年郎 大久保正陽 (有)メジロ牧場 第112回 1994年4月9日 ブロードマインド 牡6 4:40.7 牧之瀬幸夫 矢野進 吉田照哉 第114回 1995年4月8日 ダイカツストーム 牡5 4:44.1 中竹和也 中村好夫 志賀泰吉 第116回 1996年4月6日 ポレール 牡5 4:41.2 星野忍 岩元市三 林進 第118回 1997年4月12日 ポレール 牡6 4:43.1 出津孝一 岩元市三 林進 第120回 1998年4月18日 ノーザンレインボー 牡8 4:46.2 田中剛 鈴木康弘 吉田照哉 以後、中山グランドジャンプに移行。
中山大障害 中山大障害(秋)
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主 第1回 1934年12月5日 キンテン 牡5 5:21 1/5 稲葉幸夫 稲葉秀男 肥田金一郎 第3回 1935年10月20日 オーシス 牡4 5:02 2/5 佐藤修 杉浦照 石川義明 第5回 1936年10月18日 トーナメント 牡4 4:57 1/5 中野吉太郎 杉浦照 石川義明 第7回 1937年10月17日 キンテキ 牡4 5:01 0/5 古賀嘉蔵 尾形景造 高井治兵衛 第9回 1938年11月27日 リードアン 牝4 5:06 0/5 稲葉幸夫 藤本冨良 大川義雄 第11回 1939年12月3日 シヤインモア 牝4 4:55 1/5 内藤潔 尾形景造 土田荘助 第13回 1940年12月8日 スタミナ 牝5 4:59 0/5 岩下密政 田村仁三郎 豊島美王麿 第15回 1941年12月7日 ゼーアドラー 牡5 4:55 0/5 古賀嘉蔵 尾形景造 片山哲雄 第17回 1942年11月29日 バイエル 牝4 5:08 3/5 富田竹次郎 布施季三 高橋錬逸 第19回 1943年11月28日 カミワカ 牡5 5:05 1/5 岩下密政 田村仁三郎 豊島美王麿 第20回 1947年12月14日 ニユージヤパン 牡4 4:07 3/5 小桧山悦雄 鈴木信太郎 豊島美王麿 第22回 1948年11月3日 ブルーホマレ 牡4 4:47 0/5 吉野勇 大久保房松 久保邦造 第24回 1949年12月4日 ブランドライト 牡5 4:58 3/5 坂内光雄 尾形藤吉 川内安忠 第26回 1950年12月7日 アシガラヤマ 牡4 4:54 1/5 吉野勇 平井寅雄 川島政子 第28回 1951年12月16日 ミツタヱ 牝5 4:51 0/5 渡辺正人 東原玉造 河野信一 第30回 1952年12月21日 サチヒカリ 牡4 4:50 3/5 坂本栄三郎 小西喜蔵 石原利貞 第32回 1953年11月1日 モモタロウ 牡5 4:49 4/5 野平幸雄 田中和一郎 舟橋聖一 第34回 1954年11月3日 アラワシ 牡4 4:54 1/5 伊藤英治 望月与一郎 高橋なつ 第36回 1955年11月3日 シマユキ 牡5 4:47 1/5 飯塚好次 松山吉三郎 小野仁助 第37回 1956年11月18日 ハクレイ 牝4 4:54 4/5 目時重男 尾形藤吉 西博 第39回 1957年10月20日 ヤマカブト 牝5 4:46 1/5 坂本栄三郎 小西喜蔵 山之内喜代子 第41回 1958年10月12日 ケニイモア 牝5 4:44 4/5 目時重男 武輔彦 ジョー・エス 第43回 1959年10月11日 ハルボー 牡4 4:43.8 本田昌雄 田中朋次郎 加藤春雄 第45回 1960年10月9日 ロールメリー 牝5 4:46.9 古賀一隆 古賀嘉蔵 豊島美王麿 第47回 1961年10月15日 トサキング 牡4 4:48.4 瀬戸口勉 上田武司 上田清次郎 第49回 1962年10月7日 ライトリア 牡6 4:43.1 坂内光雄 藤本冨良 伊藤久雄 第51回 1963年10月20日 フジノオー 牡4 4:46.9 横山富雄 橋本輝雄 藤井一雄 第53回 1964年10月11日 フジノオー 牡5 4:49.7 横山富雄 橋本輝雄 藤井一雄 第55回 1965年10月17日 ミスハツクモ 牝5 4:54.4 前田禎 鈴木清 勝又豊次郎 第57回 1966年12月4日 ホウラン 牝4 4:56.1 金井国男 稲葉秀男 河野通 第59回 1967年12月3日 ヤマニンダイヤ 牡5 4:48.1 鶴留明雄 諏訪佐市 土井宏二 第61回 1968年12月29日 タジマオーザ 牡3 4:56.6 津田昭 佐藤勝美 (株)田島牧場 第63回 1969年12月28日 マウントブゼン 牝4 4:55.1 山田広士 野平省三 山田福太郎 第65回 1970年12月27日 リクオー 牡4 4:58.4 千田能照 勝又忠 矢沢註二 第67回 1971年12月25日 開催中止 第69回 1972年12月24日 マスヒロ 牝4 5:02.8 成島正規 阿部正太郎 増山栄一 第71回 1973年12月23日 クリユタカ 牡5 4:44.7 法理弘 阿部正太郎 栗林友二 第73回 1974年12月22日 グランドマーチス 牡5 4:40.2 寺井千万基 伊藤修司 大久保興産(株) 第75回 1975年12月21日 グランドマーチス 牡6 4:42.5 法理弘 伊藤修司 大久保興産(株) 第77回 1976年12月26日 サクラオンリー 牡8 4:45.1 平井雄二 久保田彦之 (株)さくらコマース 第79回 1977年12月25日 バローネターフ 牡5 4:39.7 三浦春美 矢野進 (有)ターフ・スポート 第81回 1978年12月24日 バローネターフ 牡6 4:43.6 小柳由春 矢野進 (有)ターフ・スポート 第83回 1979年12月23日 バローネターフ 牡7 4:43.7 根本康広 矢野進 (有)ターフ・スポート 第85回 1980年12月20日 カチウマタロー 牡5 4:49.4 田中剛 柄崎義信 島崎竜五郎 第87回 1981年12月19日 テキサスワイポン 牡7 4:42.1 今岡正 二分久男 渡辺孝男 第89回 1982年12月25日 キングスポイント 牡5 4:42.6 小島貞博 小川佐助 高田久成 第91回 1983年12月24日 オキノサキガケ 牡5 4:41.9 星野忍 佐藤林次郎 沖崎エイ、沖崎藤吉郎 第93回 1984年12月22日 メジロアンタレス 牡5 4:39.1 牧之瀬幸夫 大久保洋吉 メジロ商事(株) 第95回 1985年12月21日 オンワードボルガ 牡4 4:46.9 田中剛 二本柳俊夫 樫山純三 第97回 1986年12月20日 ハッピールイス 牡4 4:45.6 中竹和也 吉田三郎 マエコウファーム(有) 第99回 1987年12月26日 シノンシンボリ 牡8 4:39.4 牧之瀬幸夫 大和田稔 和田共弘 第101回 1988年12月24日 ヤマニンアピール 騸5 4:39.0 岡冨俊一 中村均 土井宏二 第103回 1989年12月23日 メジロマスキット 牝4 4:39.0 臼井武 尾形充弘 (有)メジロ牧場 第105回 1990年12月22日 ワカタイショウ 牡5 4;38.9 星野忍 嶋田功 渡辺喜八郎 第107回 1991年12月21日 シンボリモントルー 牡6 4:37.2 成田均 田中和夫 シンボリ牧場 第109回 1992年12月26日 シンボリクリエンス 牡7 4:38.3 大江原哲 境征勝 シンボリ牧場 第111回 1993年12月25日 ブロードマインド 牡5 4:42.0 牧之瀬幸夫 矢野進 吉田照哉 第113回 1994年12月17日 ローズムーン 牝5 4:40.6 五十嵐久 田村駿仁 (株)大東牧場 第115回 1995年12月16日 フジノスラッガー 牡5 4:44.9 臼井武 和田正道 中村寛俊 第117回 1996年12月14日 ポレール 牡5 4:44.0 星野忍 岩元市三 林進 第119回 1997年12月13日 ケイティタイガー 牡8 4:45.5 嘉堂信雄 吉岡八郎 瀧本和義 第121回 1998年12月19日 ビクトリーアップ 騸5 4:44.1 横山義行 吉永正人 (有)池ばた
中山大障害 J・GIに格付けされてからの歴代優勝馬
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主 第122回 1999年12月18日 ゴッドスピード 牡5 4:42.6 西谷誠 瀬戸口勉 坪野谷和平 第123回 2000年12月23日 ランドパワー 牡5 4:40.7 金折知則 福島勝 木村善一 第124回 2001年12月22日 ユウフヨウホウ 牡4 4:44.1 今村康成 松元茂樹 (株)アイテツ 第125回 2002年12月21日 ギルデッドエージ 牡5 4:51.6 R.ロケット 松元茂樹 (有)ノースヒルズマネジメント 第126回 2004年1月10日 ブランディス 騸7 4:40.9 大江原隆 藤原辰雄 (有)サンデーレーシング 第127回 2004年12月25日 メルシータカオー 騸5 4:37.6 出津孝一 武宏平 永井康郎 第128回 2005年12月24日 テイエムドラゴン 牡3 4:39.9 白浜雄造 小島貞博 竹園正繼 第129回 2006年12月23日 マルカラスカル 牡4 4:41.0 西谷誠 瀬戸口勉 河長産業(株) 第130回 2007年12月22日 メルシーエイタイム 牡5 4:39.7 横山義行 武宏平 永井康郎 第131回 2008年12月27日 キングジョイ 牡6 4:45.0 高田潤 増本豊 松岡隆雄 第132回 2009年12月26日 キングジョイ 牡7 4:41.7 西谷誠 増本豊 松岡隆雄 第133回 2010年12月25日 バシケーン 牡5 4:46.1 蓑島靖典 高橋義博 石橋英郎
競走名:第1回 「大障碍特別」、第2回「中山大障碍特別」、第3~8、20、21回 「農林省賞典障碍」、第9~18回 「中山農林省賞典障碍」、第19回 「中山農商省賞典障碍」、第100回 「東京大障害」 距離:第16~19回 4240m、第20、21回 3350m、第55~68回 4200m、第100回 4000m 勝時計:第1~42回 1/5秒表示、第43回~ 1/10秒表示