ディープインパクト 競走馬引退後
2006年12月25日付で競走馬登録が抹消され、2007年から北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。それからディープインパクトは、父サンデーサイレンスやノーザンテースト、リアルシャダイが過ごした「功労馬厩舎」と呼ばれている厩舎で過ごすことになった。同スタリオンでの担当厩務員はノーザンテーストを担当していた森田敬治である。
2007年2月14日には社台スタリオンステーションで引退後初めての一般公開が行われ、会場には約1200人のファンが集まった[47]。以後は同スタリオンで繋養される一部の内国産種牡馬と同様、放牧地にいる間の一般見学が可能になっているが、本馬にのみ専門の警備員が付き添う形になっている。
2008年5月8日、平成20年度顕彰馬選出投票において競馬担当記者による投票で186票中164票(得票率86.6パーセント)を獲得し、28頭目の顕彰馬(競馬殿堂入り)に選出された。それを記念してJRA競馬博物館の1階メモリアルホールにおいて「祝 ディープインパクト号殿堂入り記念展」が5月17日より開催され、馬主服の複製や東京優駿とジャパンカップ優勝時に装着した蹄鉄などが展示された。
2010年5月2日に京都競馬場で第12競走として開催されるJRAプレミアムレース「京都ゴールデンプレミアム」の人気投票において当馬が最多得票を獲得し、「ディープインパクトメモリアル」の副名称を付与して開催された。
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ディープインパクト 日本帰国からジャパンカップまで
ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた。
その後、調教師の池江によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、規定により同競走が開催される東京競馬場で着地検査が行われた。
10月11日には2006年限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した。
この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。
しかしそのわずか数日後の10月19日、凱旋門賞のレース後に実施された理化学検査でフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出されたことがJRAによって発表された。
そして11月16日、正式に凱旋門賞失格が通告された(禁止薬物問題についてはディープインパクト禁止薬物検出事件を参照)。
天皇賞(秋)は、帰国して日が浅い中で出走させるのは馬がかわいそうだということで回避が決定され、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込むこととなった。
迎えた11月26日のジャパンカップでは2005年の有馬記念以来のハーツクライとの再戦となった。同レースは海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。
ディープインパクトの単勝支持率は61.2パーセント(オッズは1.3倍)で、日本国内で走ったレースの中ではもっとも低かったが、これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。レースはスローペースとなったが、ディープインパクトは終始最後方で待機し道中を進めた。
そして直線に向くと内に入った他馬を大外から一気に捲くり、ドリームパスポートに2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。
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ディープインパクトの凱旋門賞
ディープインパクトは、凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年7月2日にマイクロチップが埋め込まれた[27]。これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが(2006年に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。
ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートとともに出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した[27]。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。
10月1 日の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。直前の各ブックメーカーのオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった。この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか[30]、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた[31]。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。
レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2~3番手でレースを進め、ゴールから300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線を向いてからハミを取らなかった。ギアが一段上がらなかった」と語っている[33]。そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄と柴田政人は斤量とヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している[36]。また、ライターの江面弘也はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎の3頭[注 10]に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている
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ディープインパクト 阪神大賞典から宝塚記念まで
1月23日に行われた前年のJRA賞授賞式において、オーナーの金子が「夏にヨーロッパでいいレースがあれば使いたい」と発言し、海外遠征を行う意向が示された。
海外遠征については2月、調教師の池江によって、春は阪神大賞典から天皇賞(春)へ向かい、天皇賞(春)の後にイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスとフランスの凱旋門賞のどちらに出走するか決定すると発表された[25]。
2006年の初戦となった阪神大賞典は初めて経験する稍重馬場だったが、レースでは3コーナーで進出を開始して4コーナーで先頭に並ぶと、最後の直線でデルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず、決勝戦手前では武豊が抑える余裕を見せ3馬身半の差で優勝。
そして3コーナー手前の残り1000メートル地点からロングスパートを開始して[注 7]先行馬を交わしていくと、ゆっくり下ることがセオリーとされる下り坂でもスパートを続け、4コーナーで早くも先頭に立った。直線では、出走馬中最速となる上がり3ハロン33秒5の脚を使ってそのまま先頭を維持し、2着のリンカーンに3馬身半の差をつけ優勝した。
勝ち時計の3分13秒4はレコードタイムで、1997年の第115回天皇賞においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレコードを1秒更新した。2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは、生まれた)時代が悪かった。
レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。
5月8日、調教師の池江によって凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され[注 8][7]、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念[注 9]に出走することとなった。
事前に行われたファン投票では89,864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2パーセント(オッズは1.1倍)をマークした。当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたが、道中後方2番手追走から残り700メートル地点で進出を開始すると、直線では馬場外目を伸び、2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。
そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円馬となった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。
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ディープインパクト 三冠達成、有馬記念での初黒星
東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日に札幌競馬場に移動し[19]、それから約2か月間は同競馬場で調整された[20]。放牧に出されずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった[19]。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた[20]。
秋初戦となった神戸新聞杯は、最後方から2番手の位置でレースを進めたが、直線に向くと先頭に立ち、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコード。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。
ディープインパクト2005年10月23日、京都競馬場にて、菊花賞
そして三冠のかかった2005年10月23日の第66回菊花賞。京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せた[21]。ディープインパクトの単勝支持率は79.03パーセントとなり、単勝式オッズは1.0倍(100円元返し)となった。この単勝支持率は菊花賞としては1963年のメイズイ(6着)の83.2パーセントに次ぐ史上2位[注 5]、グレード制施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった[注 6]。レースでは、好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かったため、馬群の内側に入った。その後中団で落ち着き、直線では先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。なお、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」は2005年のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。
第50回有馬記念(2005年12月25日、中山競馬場にて撮影。ハーツクライの2着に敗れ、デビュー戦からの連勝記録が「7」で途絶える)
菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、ジャパンカップと有馬記念のどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した[22]。事前のファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年比129.6パーセントとなる16万2409人もの大観衆[23]が押し寄せた。古馬とは初対決となったものの、単勝式オッズは1.3倍を記録した。しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している[24](レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。
2005年の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。
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ディープインパクト(Deep Impact、2002年3月25日 - )は日本の競走馬、種牡馬。
2008年にはJRA顕彰馬に選出された。
ディープインパクト デビュー前
ディープインパクト ノーザンファーム時代
ディープインパクトは2002年3月25日[注 1]に北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれた。
ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと証言している。
0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、金子真人に7000万円で落札された。
馬体の薄さが嫌われたのか、上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目[注 3]の落札価格だった。購入した金子はこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた[2]。
ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した[3]。関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。
場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった[4]。ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い蹄(身体的特徴の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと証言している。
1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた[3]。小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した[5]。
その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(身体的特徴の項目を参照)。一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった。
ディープインパクト 池江泰郎厩舎に入厩
ディープインパクトは2004年4月15日に早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた[7]。そして同年9月8日、栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩し、池江敏行調教助手と市川明彦厩務員が担当することになった。
市川は初めてディープインパクトを見た時に馬体が小さい上にかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという。
入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。
それにもかかわらず、汗もかかずにまったく疲れた様子がなかった。このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている。
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TCK女王盃 歴代優勝馬
回数 施行日 優勝馬 性齢 所属 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1998年2月4日 トミケンクイン 牝4 笠松 2:07.3 川原正一 荒川友司
第2回 1999年1月20日 ケープリズバーン 牝4 JRA 2:08.0 熊沢重文 池江泰郎
第3回 2000年2月3日 ヤマノリアル 牝4 船橋 2:06.9 張田京 後藤稔
第4回 2001年1月31日 ベラミロード 牝5 宇都宮 2:06.4 内田利雄 室井康雄
第5回 2002年1月23日 レディバラード 牝5 JRA 2:06.8 藤田伸二 山内研二
第6回 2003年2月5日 ネームヴァリュー 牝5 船橋 2:06.7 佐藤隆 川島正行
第7回 2004年1月21日 レマーズガール 牝4 JRA 1:53.1 武豊 湯浅三郎
第8回 2005年1月19日 レマーズガール 牝5 JRA 1:52.7 武豊 湯浅三郎
第9回 2006年1月18日 グラッブユアハート 牝6 JRA 1:53:8 安藤勝己 畠山吉宏
第10回 2007年1月24日 サウンドザビーチ 牝6 JRA 1:52:7 勝浦正樹 藤原辰雄
第11回 2008年1月16日 ラピッドオレンジ 牝5 JRA 1:54:1 内田博幸 小笠倫弘
第12回 2009年1月21日 ヤマトマリオン 牝6 JRA 1:53:3 幸英明 安達昭夫
第13回 2010年1月20日 ユキチャン 牝5 川崎 1:52:9 今野忠成 山崎尋美
第14回 2011年2月2日 ラヴェリータ 牝5 JRA 1:52:4 M.デムーロ 松元茂樹
TCK女王盃からのエンプレス杯優勝馬
2003年からエンプレス杯の前哨戦として施行されているが4頭がエンプレス杯を制覇している。
回数 馬名 性齢 所属 着順 備考
第7回 レマーズガール 牝4 JRA 1着 2005年は3着
第8回 プルザトリガー 牝6 船橋 10着
第10回 トーセンジョウオー 牝6 JRA 2着
第11回 サヨウナラ 牝7 JRA 4着
第14回 ラヴェリータ 牝5 JRA 1着 2010年は2着
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TCK女王盃 歴史
1998年 - 大井競馬場のダート2000mの5歳(現4歳)から10歳(現9歳)の牝馬限定・中央競馬・地方競馬全国指定交流の別定重賞(統一GIII・南関東G2)競走、TCK女王盃として創設。
施行距離をダート1800mに変更。
2005年
レマーズガールが史上初の連覇。
武豊が騎手として史上初の連覇。
湯浅三郎が調教師として史上初の連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIIIに変更。なお、南関東グレードは併記しないことになった。
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TCK女王盃(ティーシーケーじょおうはい)は、特別区競馬組合が大井競馬場のダート1800mで施行する地方競馬の重賞(統一JpnIII)競走である。
TCKは大井競馬の愛称である東京シティ競馬 (Tokyo City Keiba) の略称。
元々はダイヤモンドレディー賞としてサラブレッド系5歳(現4歳)以上牝馬による準重賞競走として創設。
1998年に5歳(現4歳)から10歳(現9歳)の牝馬限定の別定の中央・地方全国指定交流の重賞競走として格上げとともに現在の競走名に改称された。第1回は大井競馬場のダート2000mで施行された。
2004年より出走条件を4歳(旧5歳)以上牝馬限定、施行距離をダート1800mに変更された。
ダートを得意とする古馬の牝馬が冬場に出走できる重賞競走で本競走以外には、エンプレス杯しか無く、エンプレス杯の前哨戦の位置付けとされ、地方所属馬に限り上位2着入賞馬はその年のエンプレス杯の優先出走権が与えられる。
負担重量は53kgを基本とし、施行日当日から5日前以前までの総獲得賞金額が4歳4,500万円毎、5歳5,000万円毎、6歳以上5,500万円毎に1kgの負担が課せられる。なお2011年現在、ダートグレード競走において負担重量が賞金別定であるのは本競走のみである。
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東京盃(とうきょうはい)歴代優勝馬
回数 施行日 優勝馬 性齢 所属 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1967年7月11日 アオイライコー 牡7 大井 1:12.5 渥美忠男 森田正一
第2回 1968年7月25日 オリコ 牝5 川崎 1:12.3 佐々木竹見 三橋三吉
第3回 1969年9月21日 ヤシマナシヨナル 牡5 大井 1:11.1 福永二三雄 中野要
第4回 1970年9月23日 リユウトキツ 牡3 川崎 1:12.4 佐々木吉郷 新貝一雄
第5回 1971年10月1日 オーナーズシユン 牡6 川崎 1:11.9 佐々木竹見 大沼五郎
第6回 1972年10月13日 ライトフアスト 牡4 大井 1:12.1 日尾米造 須田明雄
第7回 1973年9月21日 オーナーズタイフウ 牡3 川崎 1:12.8 佐々木竹見 照沼一二
第8回 1974年10月4日 イナリトウザイ 牝3 大井 1:10.5 佐々木竹見 三坂博
第9回 1975年9月29日 オサイチテユーダ 牝3 大井 1:12.3 高橋三郎 高岩隆
第10回 1976年9月28日 オリオンタイガー 牡4 船橋 1:11.8 佐藤隆 吉田馨
第11回 1977年9月19日 トドロキヒリユウ 牡3 大井 1:11.1 岡部盛雄 岡部猛
第12回 1978年9月12日 トドロキヒリユウ 牡4 大井 1:12.0 岡部盛雄 岡部猛
第13回 1979年9月27日 エビチカラ 牡6 大井 1:11.9 山田秀太郎 武森辰己
第14回 1980年9月18日 カオルダケ 牝5 大井 1:10.2 赤嶺本浩 須田明雄
第15回 1981年9月29日 タイムリーヒツト 牡4 大井 1:11.0 高橋三郎 田中利衛
第16回 1982年9月29日 レイクルイーズ 牝3 大井 1:11.2 山崎尋美 大山一男
第17回 1983年9月14日 スズユウ 牡5 大井 1:13.4 石川綱夫 朝倉文四郎
第18回 1984年9月19日 スズユウ 牡6 大井 1:12.4 石川綱夫 朝倉文四郎
第19回 1985年9月16日 マルゼンスター 牡5 大井 1:11.7 高橋三郎 大塚三郎
第20回 1986年9月19日 ハナキオー 牡3 大井 1:13.1 堀千亜樹 武森辰己
第21回 1987年9月15日 テツノヒリユウ 牡4 大井 1:13.6 秋吉和美 大山末治
第22回 1988年9月21日 イーグルシヤトー 牝5 大井 1:12.2 堀千亜樹 大山二三夫
第23回 1989年9月26日 ジングウブレーブ 牡4 大井 1:13.5 鈴木啓之 飯野貞次
第24回 1990年9月27日 ヒロツルチカラ 牡3 大井 1:14.3 的場文男 渥美忠男
第25回 1991年9月26日 テツノヒリユウ 牡8 大井 1:12.7 鷹見浩 大山末治
第26回 1992年9月30日 ナイキゴージャス 牡3 大井 1:12.7 的場文男 長沼正義
第27回 1993年9月27日 ハナセール 牡5 大井 1:11.5 高橋三郎 物井栄
第28回 1994年9月27日 サクラハイスピード 牡6 船橋 1:12.1 佐藤隆 川島正行
第29回 1995年9月27日 サクラハイスピード 牡7 船橋 1:12.0 佐藤隆 川島正行
第30回 1996年9月26日 トキオクラフティー 牝3 JRA 1:12.2 横山典弘 池江泰郎
第31回 1997年10月2日 カガヤキローマン 牡4 大井 1:11.8 石崎隆之 高柳恒男
第32回 1998年9月30日 カガヤキローマン 牡5 大井 1:11.7 森下博 高柳恒男
第33回 1999年9月23日 サカモトデュラブ 牡6 水沢 1:12.5 阿部英俊 伊藤和
第34回 2000年9月27日 ベラミロード 牝4 宇都宮 1:10.2 内田利雄 室井康雄
第35回 2001年9月27日 ノボジャック 牡4 JRA 1:10.9 蛯名正義 森秀行
第36回 2002年9月25日 アインアイン 牝5 大井 1:10.8 市村誠 赤間清松
第37回 2003年10月9日 ハタノアドニス 牡7 大井 1:10.6 内田博幸 高橋三郎
第38回 2004年9月29日 マイネルセレクト 牡5 JRA 1:10.9 武豊 中村均
第39回 2005年10月5日 アグネスジェダイ 牡3 JRA 1:11.2 小牧太 森秀行
第40回 2006年10月4日 リミットレスビッド 牡7 JRA 1:11.1 岩田康誠 加用正
第41回 2007年10月3日 リミットレスビッド 牡8 JRA 1:11.3 内田博幸 加用正
第42回 2008年10月8日 フジノウェーブ 牡6 大井 1:11.6 御神本訓史 高橋三郎
第43回 2009年9月30日 バンブーエール 牡6 JRA 1:11.3 松岡正海 安達昭夫
第44回 2010年10月6日 サマーウインド 牡5 JRA 1:10.6 藤岡佑介 庄野靖志
第45回 2011年9月28日 スーニ 牡5 JRA 1:10.9 川田将雅 吉田直弘
第46回 2012年10月3日 ラブミーチャン 牝5 笠松 1:11.2 濱口楠彦 柳江仁
第47回 2013年10月2日 タイセイレジェンド 牡6 JRA 1:11.0 内田博幸 矢作芳人
第48回 2014年10月1日 ノーザンリバー 牡6 JRA 1:10.2 蛯名正義 浅見秀一
第49回 2015年9月30日 ダノンレジェンド 牡5 JRA 1:10.9 M.デムーロ 村山明
第50回 2016年9月22日 ドリームバレンチノ牡9 JRA 1:11.9 岩田康誠 加用正
東京盃(とうきょうはい)からのJBCスプリント優勝馬
2001年からJBCスプリントのトライアル競走として施行され、6頭がJBCスプリントを制していますね。
回数 馬名 性齢 所属 着順
第35回 ノボジャック 牡4 JRA 1着
第37回 サウスヴィグラス 牡7 JRA 2着
第38回 マイネルセレクト 牡5 JRA 1着
第43回 スーニ 牡3 JRA 2着
第44回 サマーウインド 牡5 JRA 1着
第45回 スーニ 牡5 JRA 1着
第46回 タイセイレジェンド 牡5 JRA 2着
第48回 ドリームバレンチノ 牡7 JRA 2着
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