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東京スポーツ杯2歳ステークス

東京スポーツ杯2歳ステークス

2000年東京スポーツ杯3歳ステークス
開催地	東京競馬場
施行日	2011年11月19日
施行時期	11月中旬 - 下旬
(原則5回東京5日目)
格付け	GIII
1着賞金	3200万円
賞金総額	6100万円
距離	芝1800m
出走条件	サラブレッド系2歳(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	馬齢(55kg、牝馬1kg減)
第1回施行日	1996年11月17日

東京スポーツ杯2歳ステークス(とうきょうスポーツはい2さいステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝1800mで施行する2歳馬限定の重賞(GIII)競走である。

東京スポーツ杯2歳ステークス 概要
1959年に3歳(現2歳)の競走馬によるオープン競走・東京3歳ステークスの名称で創設されたのが始まり。当初は東京競馬場・芝1400mで施行されていた。
1968年に名称を府中3歳ステークスに変更、1984年には距離を現行の芝1800mとした。
1996年に本競走は2歳重賞競走の整備により、重賞(GIII)に格上げされ、更に混合競走に指定され外国産馬が出走可能になり、また指定交流競走にもなったため、朝日杯フューチュリティステークス出走候補の地方馬が出走資格を得られるようになった。翌1997年からは東京スポーツより寄贈杯を受け東京スポーツ杯3歳ステークス、そして2001年には競走馬の年齢表示の変更により現競走名に改称された。2010年からは国際競走に指定され、外国調教馬の出走も可能になっている。
例年第5回東京競馬の時期に施行されており、同開催に設けられている京王杯2歳ステークスとともに朝日杯フューチュリティステークスへの前哨戦に位置付けられている。ただし格付・距離の面で差別化が図られており、前者が芝1400mなのに対し当競走は2歳戦としては長めの距離ということから3歳クラシック競走を見据えての出走が想定されている。
これまで出走馬からのクラシック競走の優勝馬としては、1997年の皐月賞と東京優駿(日本ダービー)に勝利したサニーブライアン(当競走は13頭中7着)、2006年の皐月賞と日本ダービーに勝利したメイショウサムソン(当競走は11頭中2着)がいる。一方重賞昇格後の歴代優勝馬であるキングヘイロー、アドマイヤコジーン、アドマイヤマックス、ナカヤマフェスタ、ローズキングダムはクラシック競走に勝利することは出来なかったが、古馬の平地GI制覇を果たしている。ただしナカヤマフェスタが宝塚記念を、ローズキングダムが繰り上がりでジャパンカップを制したのに対し、前の3頭はいずれも短距離の競走である。
また、2005年から2007年にかけて、馬主として関口房朗が3連覇を達成した。重賞格付け後としては初。それ以前も含めると1983年から1985年の和田共弘に次ぐ2人目。
出走資格はサラブレッド系2歳のJRA所属馬、朝日杯フューチュリティステークス出走候補の地方馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は馬齢重量で牡馬・セン馬が55kg、牝馬は54kgである。
2011年現在の総額賞金は6,100万円で、1着賞金:3,200万円、2着賞金:1,300万円、3着賞金:800万円、4着賞金:480万円、5着賞金:320万円と定められている。

東京スポーツ杯2歳ステークス 歴史
1959年 - 東京競馬場の芝1400mの3歳(現2歳)の混合競走・別定重量のオープン特別競走「東京3歳ステークス」として施行。
1967年 - 東京競馬場の改修工事のため開催休止。
1968年 - 競走名を府中3歳ステークスに変更。
1970年 - 施行距離を芝1600mに変更。
1977年 - 出馬投票の結果3頭立てとなったため、競走を取りやめ[1]。
1981年 - 施行距離を芝1400mに変更。
1984年 - 施行距離を芝1800mに変更。
1995年 - 特別指定競走に指定。
1996年 - 東京競馬場の芝1800mの3歳(現2歳)限定の混合競走・指定交流競走の馬齢重量の重賞(GIII)競走「府中3歳ステークス」として創設(地方馬は2頭まで出走可能)。
1997年 - 東京スポーツから寄贈杯を受けて「東京スポーツ杯3歳ステークス」に名称変更。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件を「3歳」から「2歳」に変更。
競走名を東京スポーツ杯2歳ステークスに変更。
2002年 - 東京競馬場の改修工事による振替開催により、中山競馬場の芝1800mで施行。
2003年 - 武豊が騎手として史上初の連覇。
2005年 - フサイチリシャールが2歳コースレコード1分46秒9で優勝。
2006年 - 松田国英が調教師として史上初の連覇。
2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴い、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2010年 - 国際競走に指定され、外国調教馬は9頭まで出走可能となる。このため、重賞格付け表記をGIIIに戻す。

東京スポーツ杯2歳ステークス 歴代優勝馬
優勝馬の馬齢は2000年以前も現表記を用いる。
東京3歳ステークス [編集]
施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
1959年11月29日	マツカゼオー	牡2	1:25.9	蛯名武五郎	藤本冨良	長山善武
1960年11月27日	ハクシヨウ	牡2	1:27.2	保田隆芳	尾形藤吉	西博
1961年11月26日	カネツセーキ	牡2	1:25.4	伊藤竹男	久保田金造	カネツ競走馬(株)
1962年11月23日	グレートヨルカ	牡2	1:25.6	保田隆芳	尾形藤吉	小野晃
1963年11月24日	フラミンゴ	牝2	1:26.0	吉永正人	松山吉三郎	三好貞雄
1964年11月29日	メジロマンゲツ	牝2	1:25.4	加賀武見	阿部正太郎	北野豊吉
1965年11月28日	ヒロイサミ	牡2	1:27.4	野平祐二	野平省三	勝川玉子
1966年11月3日	ヤマニンカップ	牡2	1:27.3	藤本勝彦	藤本冨良	土井宏二

東京スポーツ杯2歳ステークス 府中3歳ステークス
施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
1968年11月23日	スズサヤカ	牡2	1:25.5	増沢末夫	森末之助	小紫芳夫
1969年11月23日	スイノオーザ	牡2	1:28.5	大久保哲男	久保田金造	桑島すい
1970年11月23日	ヤシマライデン	牡2	1:38.4	伊藤正徳	尾形藤吉	小林庄平
1971年11月21日	スズボクサー	牡2	1:38.0	小林常泰	森末之助	小紫芳夫
1972年11月26日	ナスノチグサ	牝2	1:37.4	中島啓之	稲葉幸夫	那須野牧場
1973年11月25日	カネミクニ	牡2	1:37.3	加賀武見	阿部正太郎	金指利明
1974年11月23日	シャトードシンボリ	牡2	1:38.7	池上昌弘	保田隆芳	和田共弘
1975年11月22日	スピリットスワプス	牡2	1:41.0	中野栄治	荒木静雄	ローヤル(株)
1976年11月21日	マルゼンスキー	牡2	1:37.9	中野渡清一	本郷重彦	橋本善吉
1977年11月19日	競走取りやめ
1978年11月19日	シーバードパーク	牝2	1:38.1	小迫次男	本郷重彦	(株)ホースマン
1979年11月18日	リキウエーブ	牝2	1:40.3	嶋田功	山岡寿恵次	鬼嶋力也
1980年11月16日	ヘーゼルブロンド	牝2	1:36.7	横山富雄	森安弘昭	カネツ競走馬(株)
1981年10月17日	トウショウペガサス	牡2	1:23.1	中島啓之	奥平真治	トウショウ産業(株)
1982年10月23日	デアリングパワー	牡2	1:24.8	加藤和宏	二本柳俊夫	山形尚枝
1983年10月22日	コンラートシンボリ	牡2	1:26.3	岡部幸雄	田中和夫	和田共弘
1984年11月18日	シリウスシンボリ	牡2	1:50.1	加藤和宏	二本柳俊夫	和田共弘
1985年11月17日	スイートナディア	牝2	1:50.7	柴田政人	野平祐二	和田共弘
1986年11月16日	サクラロータリー	牡2	1:49.7	小島太	境征勝	(株)さくらコマース
1987年11月28日	コクサイトリプル	牡2	1:49.5	柴田政人	稗田敏男	芦部博子
1988年11月26日	サクラホクトオー	牡2	1:48.6	小島太	境勝太郎	さくらコマース
1989年11月25日	アサヒパシィオン	牝2	1:48.6	中舘英二	石毛善衛	寺内倉蔵
1990年11月18日	サクラヤマトオー	牡2	1:51.2	小島太	境勝太郎	さくらコマース
1991年11月17日	マチカネタンホイザ	牡2	1:49.5	岡部幸雄	伊藤雄二	細川益男
1992年11月22日	シュアリーウィン	牡2	1:49.1	小島貞博	戸山為夫	森岡一郎
1993年11月21日	アイネスサウザー	牡2	1:51.2	横山典弘	本郷一彦	小林正明
1994年11月20日	ホッカイルソー	牡2	1:49.6	蛯名正義	田中清隆	北海牧場
1995年11月19日	バブルガムフェロー	牡2	1:50.0	岡部幸雄	藤沢和雄	(有)社台レースホース

東京スポーツ杯2歳ステークス 重賞格付け以後
国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1996年11月17日	ゴッドスピード	牡2	1:49.7	石橋守	瀬戸口勉	近藤俊典
第2回	1997年11月15日	キングヘイロー	牡2	1:48.0	福永祐一	坂口正大	浅川吉男
第3回	1998年11月21日	アドマイヤコジーン	牡2	1:49.5	南井克巳	橋田満	近藤利一
第4回	1999年11月20日	ジョウテンブレーヴ	牡2	1:48.6	蛯名正義	相沢郁	田邉久男
第5回	2000年11月18日	タガノテイオー	牡2	1:48.5	藤田伸二	松田博資	八木良司
第6回	2001年11月17日	アドマイヤマックス	牡2	1:48.2	福永祐一	橋田満	近藤利一
第7回	2002年11月16日	ブルーイレヴン	牡2	1:50.2	武豊	角居勝彦	金子真人
第8回	2003年11月22日	アドマイヤビッグ	牡2	1:48.9	武豊	橋田満	近藤利一
第9回	2004年11月20日	スムースバリトン	牡2	1:48.2	蛯名正義	国枝栄	金子真人
第10回	2005年11月19日	フサイチリシャール	牡2	1:46.9	福永祐一	松田国英	関口房朗
第11回	2006年11月18日	フサイチホウオー	牡2	1:48.7	安藤勝己	松田国英	関口房朗
第12回	2007年11月17日	フサイチアソート	牡2	1:47.4	横山典弘	岩戸孝樹	関口房朗
第13回	2008年11月22日	ナカヤマフェスタ	牡2	1:47.7	蛯名正義	二ノ宮敬宇	和泉信子
第14回	2009年11月21日	ローズキングダム	牡2	1:48.2	小牧太	橋口弘次郎	(有)サンデーレーシング
第15回	2010年11月20日	サダムパテック	牡2	1:47.3	C.スミヨン	西園正都	大西定

東京スポーツ杯2歳ステークスからの朝日杯フューチュリティステークス優勝馬
オープン特別時から朝日杯フューチュリティステークス(朝日杯3歳ステークス)の前哨戦の1競走として施行されているが13頭が同年の朝日杯フューチュリティステークス(朝日杯3歳ステークス)を制覇している。
回数	馬名	性齢	着順	備考
 	マツカゼオー	牡2	1着	
 	ハクシヨウ	牡2	1着	第28回東京優駿優勝
 	カネツセーキ	牡2	1着	
 	グレートヨルカ	牡2	1着	第24回菊花賞優勝
 	マルゼンスキー	牡2	1着	
 	リンドタイヨー	牡2	2着	
 	サクラホクトオー	牡2	1着	
 	バブルガムフェロー	牡2	1着	第114回天皇賞優勝
第3回	アドマイヤコジーン	牡2	1着	第52回安田記念優勝
第10回	フサイチリシャール	牡2	1着	
第11回	ドリームジャーニー	牡2	3着	第50回宝塚記念・第54回有馬記念優勝
第12回	ゴスホークケン	牡2	4着	
第14回	ローズキングダム	牡2	1着	第30回ジャパンカップ優勝

タップダンスシチー

タップダンスシチー

現役期間	2000 - 2005年
英字表記	Tap Dance City

性別	牡
毛色	鹿毛
生誕	1997年3月16日(14歳)
抹消日	2006年1月6日
父	Pleasant Tap
母	All Dance
母の父	Northern Dancer
生国	 アメリカ合衆国
(ケンタッキー州)
生産	Echo Valley Horse Farm
& Swettenham Stud
馬主	(株)友駿ホースクラブ
調教師	佐々木晶三(栗東)
競走成績
生涯成績	42戦12勝
  中央:41戦12勝
  日本国外:1戦0勝
獲得賞金	10億8422万1000円
WTRR	L123(2003年)
L120(2004年)

タップダンスシチーは、日本で活躍した元競走馬、種牡馬。
5歳(現表記、以下同じ)の秋から8歳の春にかけて、GI2勝(2003年ジャパンカップ・2004年宝塚記念)を含む重賞7勝を挙げるなど、大器晩成型の競走馬であった。獲得賞金(付加賞含む)は日本歴代7位[注 1]で、外国産馬では唯一の10億円ホースである。

タップダンスシチー デビュー前
本馬は「シチー」の冠名で知られ、一口馬主のクラブ法人である友駿ホースクラブの所有となり、募集価格は一口6万円×500口で3000万円であったが、最終的にはその36倍の賞金を稼ぐこととなる。
本格化は5歳秋になったころからであったが、佐々木晶三調教師は最初に馬を見たときに「重賞の1つや2つは勝てると思った」、と引退式(後述)のなかでコメントしている。

タップダンスシチー 戦績
3〜4歳(2000 - 2001年)
当初競走馬としてのデビューは1999年秋になるはずだったが、手綱につまづいた際に舌を噛み、舌がちぎれそうになるほどの重傷を負った。そのためデビューは翌2000年3月にずれ込んだ。デビュー戦は9着に敗れたが2戦目で初勝利を挙げ、4戦目の重賞京都新聞杯ではアグネスフライト[注 2]の3着に健闘した。その後は条件戦を走り、12月に格上の900万下条件戦を優勝したが、GI競走とは無縁だった。翌2001年は条件クラス、オープンクラスのレースで堅実な走りを見せたが勝利を挙げることはできなかった。

タップダンスシチー 5歳(2002年)
2002年、1000万下クラスからの格上挑戦[注 3]となった日経新春杯で6番人気ながら3着に入り、その後1000万下・1600万下の競走に連勝。さらに続く日経賞でも2着に入り、デビューから19戦目でオープン馬となった[注 4]。9月、朝日チャレンジカップに優勝し、デビュー23戦目にして重賞初制覇を達成。このとき騎乗した佐藤哲三は本馬の主戦騎手となり、その後引退するまでの全競走に騎乗した。その後は京都大賞典3着、アルゼンチン共和国杯3着、京阪杯5着[注 5]と勝てないレースが続いたが、GI初挑戦となった有馬記念では向こう正面からロングスパートをかけて先頭に立ち、2着に粘った。このころを境に、「先行して押し切る」というレーススタイル(後述)が確立されていった。

タップダンスシチー 6歳(2003年)
2003年の初戦には東京競馬場リニューアル記念[注 6]が選ばれた。調教師の佐々木はタップダンスシチーの本格化を確信していたが、ファンの間では前年の有馬記念で単勝13番人気だった同馬の2着をフロック視する向きが根強く、人気は7番人気にとどまった。しかし、2001年優駿牝馬優勝馬のレディパステルに2馬身差を付けて優勝。続く金鯱賞も優勝した。
宝塚記念でヒシミラクルの3着に敗れたあと、夏期休養を経て京都大賞典に出走。レースでは、2000年10月の競走(デビュー7戦目)以来となる逃げの戦法をとり、ヒシミラクルを抑えて優勝した。レース後、陣営は天皇賞(秋)には出走させず、目標をジャパンカップに絞って調整を進め、同競走が行われる時期には佐々木が「生涯最高」というほどの状態に仕上がった[注 7]。レースでは1番枠から先頭に立つと徐々に後続馬との差を広げ、最終的には2着のザッツザプレンティに9馬身差[注 8]を付けて優勝。初めてのGI制覇を成し遂げた[注 9]。
続く有馬記念ではGI2連勝を狙ったものの、ハイペースで飛ばすザッツザプレンティ・アクティブバイオに主導権を握られ、さらに第4コーナーではまくってきたリンカーンに交わされるなど、ちぐはぐな競馬になってしまいシンボリクリスエスの8着に敗れた。

タップダンスシチー 7歳(2004年)
年明け初戦の金鯱賞では、前年と同じように逃げ馬を捕らえて第3〜第4コーナーで先頭に立ち、サイレンススズカが保持していたレコードタイムを0秒3更新して優勝。同競走の連覇を達成した。続く宝塚記念は単勝1番人気に支持された[注 10]。レースでは序盤は3、4番手を追走し、第3コーナー手前で逃げるローエングリンを交わして先頭に立つとそのまま後続馬の追撃を交わし、2着のシルクフェイマスに2馬身の着差をつけて優勝。2分11秒1のレースレコードを記録してGI競走2勝目を飾った。
宝塚記念優勝を受け、陣営はかねてから計画していた凱旋門賞出走を決定した。調教師の佐々木は9月26日発の飛行機でタップダンスシチーをフランスへ輸送し、翌週の10月3日に行われる凱旋門賞に出走する計画を立てた。しかしチャーターする予定であった飛行機が故障により離陸できないアクシデントに見舞われ、輸送が不可能となった。佐々木は一度は遠征を断念したものの一口馬主の会員には出走を望む声が多く、10月1日発の飛行機で輸送するスケジュールで遠征を敢行。レースでは終始2〜3番手を先行し、ゴールまで残り800〜600メートルの「フォルス・ストレート(偽りの直線)」では先頭に並びかけたが直線で力尽き、Bago(バゴ)の17着に敗れた。
帰国後は検疫の影響で調整が遅れ、陣営が「7割の出来」「あと2週間欲しい」[4]という状態で有馬記念に出走した。レースでは好スタートを切って逃げを打つと、道中の1ハロン(200メートル)ごとのラップタイムは11秒台を連発し、もっとも遅いラップでも12秒4[5]と、「スタートから緩みのないペースで逃げて後続に脚(スタミナ)を使わせる」展開に持ち込み、勝利したゼンノロブロイが記録した2分29秒5の日本レコードから2分の1馬身(0秒1)差の2着に健闘した。

タップダンスシチー 8歳(2005年)
翌2005年も現役を続行。初戦の金鯱賞を逃げ切り、セカイオー[注 15]以来となる平地の同一重賞3連覇の快挙を達成した[注 16]。続く宝塚記念では史上初の連覇および、8歳馬による平地GI制覇を狙い、単勝オッズ1.9倍の1番人気に推されたが、レースの3日前に厩舎内でほかの馬に蹴られ、重度の外傷を負うアクシデントに見舞われた。調教師の佐々木は出走取消も考えたがオーナーサイドとの協議の結果出走することになった。レースでは逃げたコスモバルクを第3コーナー過ぎから捕まえに掛かったが、前年のようにあっさり交わすことができず、直線で力尽きて牝馬のスイープトウショウから1秒2離れた7着に終わった。佐々木いわく、レース後タップダンスシチーは走る気を失い、体調も下降線をたどった。
後半シーズンは調整の遅れから前哨戦を使わずに天皇賞(秋)に出走したが、一度も先頭に立つことなく9着に敗れた。続くジャパンカップではスタートからの1000メートルを58秒3、2000メートルでも1分57秒7のハイペースで逃げ、残り200メートル手前まで先頭という見せ場を作ったが、優勝したアルカセットから1秒差の10着に敗れた。4年連続での出走となった有馬記念では逃げを打ったものの、第4コーナーでコスモバルクに並びかけられると失速し、勝利したハーツクライから1秒4差の12着に敗れた。タップダンスシチーはこのレースを最後に競走馬を引退することが決定しており、有馬記念当日の中山競馬場で最終競走終了後、2003年ジャパンカップ優勝時の1番ゼッケンを着けて引退式を行った。

タップダンスシチー 競走成績
年/月/日	競馬場	競走名	格/
クラス	距離	騎手	重量	着
順	人気/
頭数	単勝
オッズ	タイム
(上がり3F)	馬
場	1着馬(2着馬)	タイム
差
2000/  3/  4	阪神	4歳新馬		芝2000	四位洋文	55	9	6/13	11.8	2:10.5 (38.5)	稍	ミラーダ	+2.2
3/19	阪神	4歳新馬		芝2200	四位洋文	55	1	4/  9	15.6	2:18.4 (35.5)	良	(カガミパラダイス)	-0.0
4/15	阪神	若草S	OP	芝2200	四位洋文	55	5	7/12	19.2	2:18.7 (35.1)	良	アグネスフライト	+0.3
5/  6	京都	京都新聞杯	GIII	芝2000	四位洋文	55	3	5/14	13.7	2:00.3 (35.6)	良	アグネスフライト	+0.5
6/  4	中京	白百合S	900万	芝1800	熊沢重文	55	7	2/13	4.0	1:49.2 (36.3)	良	ジンワラベウタ	+0.9
6/18	阪神	野苺賞	500万	芝2200	熊沢重文	55	5	2/13	4.5	2:17.2 (34.7)	良	ホワイトハピネス	+0.7
10/29	京都	4歳上500万下		芝2400	四位洋文	55	4	5/14	8.6	2:27.3 (36.5)	重	ハートランドヒリュ	+0.4
11/18	京都	八瀬特別	900万	芝2400	幸英明	52	2	4/  8	6.9	2:28.4 (35.0)	良	ホワイトハピネス	+0.2
12/  9	中京	天竜川特別	900万	芝2500	松田大作	53	1	2/10	3.0	2:31.4 (36.2)	良	(ボヘミアンチェリー)	-0.3
2001/  1/  8	京都	万葉S	OP	芝3000	四位洋文	54	5	3/10	5.2	3:09.3 (35.4)	稍	トシザブイ	+0.6
2/18	小倉	関門橋S	1600万	芝2000	中舘英二	53	3	2/12	4.1	2:02.8 (36.6)	良	ファイトコマンダー	+0.2
3/25	阪神	但馬S	1600万	芝2000	安藤勝己	54	2	3/11	4.6	2:00.0 (35.5)	良	ファイトコマンダー	+0.4
4/  7	阪神	大阪-ハンブルクC	OP	芝2500	四位洋文	53	5	2/11	4.7	2:33.8 (34.8)	良	メジロサンドラ	+0.5
12/  8	阪神	3歳上1000万下		芝2000	四位洋文	57	4	4/  9	9.7	2:01.3 (35.6)	良	ダイタクバートラム	+0.6
12/23	阪神	江坂特別	1000万	芝2500	四位洋文	57	2	3/16	5.1	2:33.5 (35.5)	良	シャープキック	+0.2
2002/  1/13	京都	日経新春杯	GII	芝2400	川原正一	52	3	6/12	16.1	2:26.6 (34.4)	良	トップコマンダー	+0.2
2/  9	京都	春日特別	1000万	芝1800	武豊	57	1	1/12	1.9	1:46.9 (35.0)	良	(アスカツヨシ)	-0.2
3/  2	阪神	御堂筋S	1600万	芝2200	O.ペリエ	57	1	1/11	1.8	2:12.3 (35.7)	良	(アクティブバイオ)	-0.6
3/23	中山	日経賞	GII	芝2500	勝浦正樹	57	2	3/  8	9.6	2:37.0 (34.5)	良	アクティブバイオ	+0.0
4/21	東京	メトロポリタンS	OP	芝2300	勝浦正樹	56	3	1/11	3.7	2:21.2 (36.8)	稍	ツルマルボーイ	+0.5
5/18	東京	目黒記念	GII	芝2500	勝浦正樹	56	5	8/18	18.4	2:32.4 (37.8)	重	トシザブイ	+0.6
7/21	函館	函館記念	GIII	芝2000	四位洋文	56	8	7/16	11.9	2:06.2 (38.9)	良	ヤマニンリスペクト	+1.1
9/  7	阪神	朝日チャレンジC	GIII	芝2000	佐藤哲三	56	1	5/10	9.6	1:58.1 (35.2)	良	(イブキガバメント)	-0.0
10/  6	京都	京都大賞典	GII	芝2400	佐藤哲三	57	3	3/  8	8.9	2:24.0 (34.5)	良	ナリタトップロード	+0.4
11/  3	中山	アルゼンチン共和国杯	GII	芝2500	佐藤哲三	57	3	2/11	3.5	2:31.4 (35.4)	良	サンライズジェガー	+0.8
11/23	京都	京阪杯	GIII	芝1800	佐藤哲三	57	5	6/15	13.6	1:45.7 (35.3)	良	サイドワインダー	+0.4
12/22	中山	有馬記念	GI	芝2500	佐藤哲三	57	2	13/14	86.3	2:32.7 (35.9)	稍	シンボリクリスエス	+0.1
2003/  4/26	東京	東京競馬場
リニューアル記念	OP	芝2400	佐藤哲三	58	1	7/13	11.3	2:23.7 (34.6)	良	(レディパステル)	-0.3
5/31	中京	金鯱賞	GII	芝2000	佐藤哲三	57	1	4/14	5.8	1:58.9 (35.8)	稍	(ツルマルボーイ)	-0.1
6/29	阪神	宝塚記念	GI	芝2200	佐藤哲三	58	3	4/17	9.3	2:12.2 (37.0)	良	ヒシミラクル	+0.2
10/12	京都	京都大賞典	GII	芝2400	佐藤哲三	58	1	1/  9	2.2	2:26.6 (34.0)	良	(ヒシミラクル)	-0.2
11/30	東京	ジャパンC	GI	芝2400	佐藤哲三	57	1	4/18	13.8	2:28.7 (37.4)	重	(ザッツザプレンティ)	-1.5
12/28	中山	有馬記念	GI	芝2500	佐藤哲三	57	8	2/12	3.9	2:32.8 (37.8)	良	シンボリクリスエス	+2.3
2004/  5/29	中京	金鯱賞	GII	芝2000	佐藤哲三	59	1	1/12	2.3	1:57.5 (35.3)	良	(ブルーイレヴン)	-0.0
6/27	阪神	宝塚記念	GI	芝2200	佐藤哲三	58	1	1/15	3.5	2:11.1 (36.1)	良	(シルクフェイマス)	-0.3
10/  3	ロンシャン	凱旋門賞	G1	芝2400	佐藤哲三	59.5	17	--/19	----	2:27.8(不明)	良	Bago	+2.8
12/26	中山	有馬記念	GI	芝2500	佐藤哲三	57	2	3/15	8.8	2:29.6 (35.7)	良	ゼンノロブロイ	+0.1
2005/  5/28	中京	金鯱賞	GII	芝2000	佐藤哲三	59	1	1/10	1.4	1:58.9 (33.8)	良	(ヴィータローザ)	-0.4
6/26	阪神	宝塚記念	GI	芝2200	佐藤哲三	58	7	1/15	1.9	2:12.7 (37.3)	良	スイープトウショウ	+1.2
10/30	東京	天皇賞(秋)	GI	芝2000	佐藤哲三	58	9	6/18	14.1	2:00.6 (33.9)	良	ヘヴンリーロマンス	+0.5
11/27	東京	ジャパンC	GI	芝2400	佐藤哲三	57	10	7/18	17.2	2:23.1 (37.3)	良	アルカセット	+1.0
12/25	中山	有馬記念	GI	芝2500	佐藤哲三	57	12	5/16	19.7	2:33.3 (36.9)	良	ハーツクライ	+1.4
通算成績 - 42戦12勝(うち海外1戦0勝)、2着6回、3着7回、着外17回(うち海外1回)

タップダンスシチー 引退後
2006年1月6日付でJRAの競走馬登録が抹消され、ブリーダーズ・スタリオン・ステーション(北海道日高町、旧門別町)で種牡馬となった。シンジケートは組まれず、競走馬時代と同じく友駿ホースクラブの所有馬として種牡馬入りした。クラブ馬であるため、種付料が競走馬時代の賞金と同様に、一口馬主に分配される初めてのケースになった。種付料は30〜80万円(支払い時期などにより異なる)[注と安価に設定され、2006年は163頭、2007年は127頭、2008年は77頭、2009年は50頭推移した。
2008年7月8日に行われた八戸市場2008では、産駒のシュバルブラン2007が牡馬の最高価格となる693万円で、同じく産駒のボールドテスコ2007が牝馬の最高価格となる598万5000円で取引されている。
初年度産駒は2009年にデビューし、同年7月3日の浦和競馬第2競走で、アールパラダンス(牝)が中央競馬・地方競馬通じての産駒初勝利を挙げた。また、同年11月15日の東京競馬第1競走では、ケイアイツバキ(牝)が中央競馬での産駒初勝利を挙げた。しかし、中央での勝ち星はこの1勝のみで、総合的には初年度の産駒成績は不振を極めた。この影響から、翌2010年の種付け頭数は6頭、2011年には1頭と激減してしまう。そのため、この年の種付けを最後に種牡馬を引退し、去勢手術を施された後乗馬に転用[10]。ノーザンホースパークでの訓練を経て、2011年10月からは福島県天栄村のノーザンファーム天栄でスタッフの乗馬訓練用の練習馬となった[11]。

タップダンスシチー 代表産駒
タッチデュール(ジュニアクラウン)
ギンガセブン(関東オークス-JpnII 3着)
タップダンスシチー レーススタイル
2003・2004年金鯱賞、2003年ジャパンカップ、2004年宝塚記念、同年有馬記念のように「スタートから緩みのないペースで引っ張る」競馬を持ち味とした。この戦法は道中でもラップが落ちず、ペースが適度に速くなりやすいので、自身も3度のレコード勝ちを記録し、敗れたレースでも、逃げまたは先行しレースを作った2004年有馬記念や2005年ジャパンカップではコースレコードでの決着となるなど、勝ちタイムが速くなることが多かった。
この戦法は2002年(5歳)暮れの有馬記念から見られるようになったが、これは瞬発力に欠けるところがあるものの、スピードの持続力に優れていて、「無理に抑えると機嫌を損なう」気性だったためであった。優勝した2004年宝塚記念では、3コーナー手前(残り900メートル程度)で先頭に立ってそのまま逃げ切り、優れたスピードの持続力があることを証明しているが、これは瞬発力に欠けるために、相手を引き付け、後続馬のスパートに合わせてレースをするタイプの馬ではないことも示しており、良くも悪くも自分のペースでレースを進めていた。
また、重い馬場やある程度の重い斤量でも苦にせず走れるというのも特徴であるが、2003年ジャパンカップに勝利するまでは、重馬場での実績は2戦して4着・5着であった。

タップダンスシチー エピソード
重賞初制覇が5歳秋と本格化までには時間がかかったが、佐々木は「パドックで、名前の通りタップダンスを踊っている」[1]ため、レース前に消耗していたからと述べている。そのため、パドックでは2人引き(2人に馬を引いてもらうこと)をしていたが、2003年(6歳)の京都大賞典では気性難が解消されて1人引きができるようになり、「タップダンスを踊らなくなった」ことで、佐々木は「本物になった」と思ったという。
通算で18回連対(12勝・2着6回)したが、その相手(1着または2着)にサンデーサイレンス産駒が入ったことは2004年有馬記念(1着ゼンノロブロイ)と2005年金鯱賞(2着ヴィータローザ)の2回しかない。
GI競走には11回出走したが、複数回出走した以下の競走では、いずれの年でも同じ枠に入っている。
宝塚記念(2003 - 2005年) - 8枠
ジャパンカップ(2003・2005年) - 1枠
有馬記念(2002 - 2005年) - 5枠

タップダンスシチー 血統表
タップダンスシチーの血統 リボー系/Nasrullah5×5=6.25%、Polynesian5×5=6.25%
父

Pleasant Tap 1987
鹿毛 アメリカ	Pleasant Colony 1978
黒鹿毛 アメリカ	His Majesty 1968	Ribot
Flower Bowl
Sun Colony 1968	Sunrise Flight
Colonia
Never Knock 1979
黒鹿毛 アメリカ	Stage Door Johnny 1965	Prince John
Peroxide Blonde
Never Hula 1969	Never Bend
Hula Hula
母

All Dance 1978
鹿毛 アメリカ	Northern Dancer 1961
鹿毛 カナダ	Nearctic 1954	Nearco
Lady Angela
Natalma 1957	Native Dancer
Almahmoud
All Rainbows 1973
鹿毛 アメリカ	Bold Hour 1964	Bold Ruler
Seven Thirty
Miss Carmie 1966	T.V. Lark
Twice Over F-No.23-b
半兄 - クリプトシチー(牡・1995年生、父Cryptoclearance)
JRA3勝、おもな勝ち鞍:1999年初夢賞(900万下)
叔母 - Winning Colors(牝・1985年生、父Caro)
米8勝、おもな勝ち鞍:1988年サンタアニタオークス・サンタアニタダービー・ケンタッキーダービー(以上米G1)
また、近親には三代母Miss Carmieを四代母として同じくするディープスカイ(2008年NHKマイルカップ・東京優駿)がいる。

太組不二男

太組 不二雄(たくみ ふじお、1964年12月15日 - )は、日本の競馬評論家。
本人ブログではプロフィールが「競馬予想家」となっている。広島県出身。東洋大学卒業。元・俳優、コメディアンで、旧芸名は太組富士雄、たくみふぢお。
太組 不二雄 略歴
初期は役者として活動をしていたが、鳴かず飛ばずでお笑い芸人に路線変更をする。
かつては太組富士雄、たくみふぢおを芸名として使用していたが、現在は太組不二雄を芸名として使用している。太組という名字は本名で、先祖が大工であった。競馬予想を公の場で語る芸人の走りである。
以前は、爆笑問題等の所属している芸能事務所・タイタンに所属し、現GO・JOの阪田マサノブと「PART TIME ガンジー」というコンビで活動していた。
メディア出演時は常に頭にタオルを巻いており、「タオル」というニックネームで呼ばれる場合もある。タオルの理由はキャラ付けと頭髪を隠していると推定されている(共演者水上学の発言より)。
過去に植毛手術と開頭手術を行った経験がある。
既婚者で子供がおり、予想家紹介VTRでは背景におもちゃが置いてある。
太組 不二雄 競馬
競馬お笑いグループ・UMAPのメンバーであったが、その後、強制脱会させられる。
『競馬予想TV!』(フジテレビTWO)では常連予想家の一人であり、キレキャラとして出演しているが、暴走することもしばしばで、あまり番組の進行を妨げない芸風の司会者見栄晴に「うるさい!」と制止されるほどである。
その自己主張の強いうるさいキャラ故に共演者とのバトルも多い。他の予想家に対し横から「それじゃあ素人だよ。」「そんなの無いよ!」「来るわけないだろ!」「センスがない!」等の攻撃的発言も珍しくなく、それらの発言を受けカチンときた水上学からは「ダボハゼ野郎」、「ギックリ顔」、「ハゲ隠し」と反撃されたこともある。
また熱くなると、予想の内容から逸脱した、他の出演者の細かい揚げ足を取り始め、番組の進行に影響を与えることもしばしばである。
自らの主張をするときに「なぜならば…」という口癖がある。
前述のように、番組内ではトラブルメーカーのような印象を受けるが、そのことによって番組の議論が盛り上がるのも事実である。
また、まれに比較的おとなしい予想家の集まった回(市丸博司や、水上学が同時にいない場合)などは自ら率先して話題をリードする場合もある。
そういう意味では、番組に対しての一定の役割を果たしている。
予想が低迷していた時期もあったが、2006-2007年シーズンには、初めて番組内で「狙い目」のタイトルを獲得した。
「馬群マスター」という独自の予想方法を用いる。ペースメーカーになる馬を予測して、第4コーナーでの馬群の形を分類し、そのパターンにあった勝ち馬を予想するものである。また最近はムーブ馬(レース距離や戦法を経ることによって、惨敗していた馬が、次に激走するという概念。所謂、ショック予想。)という概念も活用しはじめている。
それ以前は、メガネをかけて頭を七三にした背広姿、オレンジのセーター等の衣装で、分度器やイラストを用いて写真での馬体チェックや、調教VTRでの判断を行っていた。
当時は予想方法が極めて曖昧な上に、次々と理論を変更していた。当然、成果が出るはずもなく、新理論開発も含め番組から1年間の休養を強いられることになる。
太組 不二雄 エピソード
親交の深いBOOMER河田の誕生パーティには、太組が来ると他の芸人が来なくなるとの理由で呼ばれなかった。
元相方の阪田マサノブからは、「あいつと付き合うと運気が下がる」と絶縁状をつきつけられ、現在に至るまで口をきいてもらえない。
「競馬予想TV!」出演者とは関係が深く、開頭手術での入院時に共演者の水上学と小林弘明が見舞いに来ている。
同番組の狙い目のコーナーで万馬券1点買いで大儲けしたときに、冗談でたかってきた見栄晴に対して、その理由(奢ってもらった事がない)を言い放ち、金銭にシビアな一面をのぞかせた。
爆笑問題の太田光が、自身のラジオ番組にて「他人の話を聴かない身勝手で嫌な人間」の例えとして何度か太組の名前を出している。太田特有のジョークの可能性もあるが、当時から一貫して、このキャラクターであったことがうかがえる。
長年POGゲームをやっていたが、今まで重賞勝ち馬はおらず順位の方も低迷していた。しかし、2008-2009年度でセイウンワンダーとアプレザンレーヴを指名して、重賞勝ちとG1勝ち指名の両方を達成できた。
写真を見ての馬体診断では、トラックマンでもある橋浜保子に「そんなの見える加減で(写真の光)全然、参考になりませんよ。」と嘲笑される。
現在、自身の競馬予想での根幹である「馬群マスター」ではダート競馬を予想するのは不可能なため、番組の予想対象レースがダート戦の週では競馬予想TV!には出演させてもらえていない。
番組の女性アシスタントを呼び捨て(ファーストネーム)にしている。
最近ではタオルをあまり付けなくなった。
太組 不二雄 出演
バラエティー [編集]
TBS・シャッフル・爆乳悶スター
大爆笑問題
対爆笑問題(ジュース君として出演)
テレビドラマ [編集]
親子ジグザグ (1987年、TBS系)
ママは幽霊がお好き (1988年、TBS系)
教師びんびん物語II (1989年、フジテレビ系)
予備校ブギ (1990年、TBS系)
しゃぼん玉 (1991年、CX系)
家栽の人 (1993年、TBS系)
ひとつ屋根の下 (1993年、CX系)

エリザベス女王杯に出走するダンシングレインは、英オークスとドイツ版オークスを勝っている馬なんですね。

英国の第233回オークス(GI、芝・左約2400メートル)が6月3日午後(日本時間同日深夜)、
ロンドン郊外のエプソム競馬場で13頭によって争われ、J・ムルタ騎乗の7番人気ダンシングレイン(愛国産、英=W・ハガス、父デインヒルダンサー)が2分41秒73(良)で優勝した。
1着賞金18万4502・5ポンド(約2435万円)。初戦2着後2戦目で勝ち上がり、続く準重賞2着を経ての挑戦だった。調教師、騎手ともに英オークス初制覇。3/4馬身差2着に2番人気ワンダーオブワンダーズ。

 ドイツ版オークスの第153回ディアーナ賞(GI、芝右2200メートル)が8月7日午後(日本時間同日深夜)、デュッセルドルフ競馬場で16頭によって争われ、K・ファロン騎乗の英国オークス馬ダンシングレイン(愛国産、英=W・ハッガス、父デインヒルダンサー)が
2分20秒32(重)で1番人気に応えた。1着賞金23万ユーロ(約2576万円)。6戦3勝、GI2勝目。前走は愛オークスで5着だった。3馬身差2着に3番人気ジュママ。
これはこれは、結構な穴馬かも、ですね。

アルゼンチン共和国杯、トレイルブレイザー重賞初制覇おめでとう!!池江調教師は3週連続重賞勝ち!!!

トレイルブレイザー重賞初制覇、おめでとうございます!!
ゼンノロブロイ産駒の今年初の重賞制覇でもありますね!

トレイルブレイザーは、まさに故・大迫忍オーナーの遺志を実らせたと言ってもいいくらいの活躍ぶりですね。
かつて、ゼンノロブロイが本格化し、天皇賞秋を勝ってGⅠ馬になったとき、
故・大迫忍オーナーは、既に末期ガンで床に伏せていて表彰台の馬主席は空席でした。
ゼンノロブロイの息子や娘が活躍しているのを見て、故・大迫忍オーナーも天国で喜んでいるでしょう!

格上挑戦の身で重賞制覇とは大したものです。さすが安藤さんがビートブラックではなくトレイルブレイザーを選んだだけのことはありますね。
安藤さんの騎乗も素晴らしかった。なんと土日騎乗4レースで2勝、3着1回です。ほぼ完璧ですね。
次走はJCや香港ヴァーズも視野に入っているようです。どこまで伸びていくのか、期待大ですね。



トーセンジョーダン、秋の天皇賞レコード勝ち!!島川オーナー初G1!!

トーセンジョーダン、見事な差仕切り勝ちで天皇賞・秋のタイトルを奪取しましたね。

前週の菊花賞での史上7頭目の三冠馬を生み出した池江寿調教師が、またG1馬を誕生させました。
しかも日本レコードタイムのおまけつき。
それにしても外人騎手は、大一番にめっぽう強いですね。
特にイタリア勢は、デムーロにリスポリ、そしてピンナと、日本の騎手を蹴散らしてくれる。

リスポリ、ピンナは、両方とも初来日短期免許最終日にG1初勝利を成し遂げちゃうんだから、
どんだけ世界のレベルは高いんだろう・・・

トーセンジョーダン

トーセンジョーダンの主な勝ち鞍は、2011年秋の天皇賞、2010年のアルゼンチン共和国杯、2011年のアメリカジョッキークラブカップ、札幌記念。
馬名は冠名+人名。
トーセンジョーダンの戦績
2008年
デビュー戦は11月1日、京都芝2000mの新馬戦。中団でレースを進めるも6着だった。2戦目の福島芝2000mで初勝利を飾った(タイムの2:02.7は福島の芝2000mの基準タイム(福島の2歳芝2000mのレースはトーセンジョーダンが勝ったレースが初めてだったためレコードタイムではない。)を記録)。その後中山の500万下の葉牡丹賞とオープンのホープフルステークスを連勝した。
2009年
初戦は共同通信杯で先行するも2着惜敗となったもののクラシック候補として名乗りをあげた。しかしその後裂蹄が見つかり結局クラシックへの出走はならなかった。復帰は11月の京都のアンドロメダステークスで休み明けながら2着に健闘。しかし中日新聞杯では追い込むも4着に敗れた。

2010年 
半年の休養後、準オープンに降級した初戦の函館の五稜郭ステークスは5着に敗れたものの、続く漁火ステークスで人気に応えて勝利し、再びオープン入り。続く東京のアイルランドトロフィーも父池江泰郎が管理するトゥザグローリーに競り勝ち、アルゼンチン共和国杯も直線差しきり3連勝で重賞初制覇した。有馬記念はスローの逃げで粘り5着に入り込んだ。

2011年 
初戦のアメリカジョッキークラブカップでは中団待機から徐々に進出すると、最後の直線で逃げ粘ったミヤビランベリを捕らえて重賞2勝目をあげた。その後阪神大賞典に出走予定だったが、右肩ハ行のため出走取消となった。宝塚記念では後方に待機するも直線伸びきれず9着に敗れた。その後2ヶ月休養の後、札幌記念に出走。ゴール前でアクシオン、レッドディザイアとの接戦を制して重賞3勝目を挙げた。
秋の天皇賞は、シルポートの強引な逃げにより、先行馬が最後の直線で脚をなくす中、
中段後方より、ビンナ騎手の華麗な追いに答えて、グングンほかの馬を突き放し、最後は、ダークシャドウとの
競り合いを制して優勝した。
トーセンジョーダン競走成績
競走日	競馬場	競走名	格	距離(馬場)	頭数	枠番	馬番	オッズ(人気)	着順	タイム(上り3F)	着差	騎手	斤量	1着馬(2着馬)
2008.11.1	京都	2歳新馬		芝2000m(良)	14	3	4	6.5(4人)	6着	2:04.6(35.3)	0.5	武豊	55kg	ファミリズム
11.16	福島	2歳未勝利		芝2000m(良)	16	7	13	3.4(1人)	1着	2:02.7(37.0)	-0.2	北村友一	55kg	(キアラ)
12.6	中山	葉牡丹賞		芝2000m(良)	9	3	3	4.6(2人)	1着	2:00.5(35.4)	-0.2	O.ペリエ	55kg	(セイクリッドバレー)
12.28	中山	ホープフルS	OP	芝2000m(良)	13	2	2	2.0(1人)	1着	2:00.4(35.4)	-0.4	O.ペリエ	56kg	(アラシヲヨブオトコ)
2009.2.8	東京	共同通信杯	GIII	芝1800m(良)	15	2	3	4.1(2人)	2着	1:47.6(34.4)	0.3	松岡正海	56kg	ブレイクランアウト
11.14	京都	アンドロメダS	OP	芝2000m(重)	17	3	6	4.6(2人)	2着	2:00.7(34.9)	0.2	C.スミヨン	54kg	ナムラクレセント
12.12	中京	中日新聞杯	GIII	芝2000m(良)	15	8	15	3.4(2人)	4着	1:58.0(35.4)	0.6	C.スミヨン	55kg	アーネストリー
2010.7.4	函館	五稜郭S		芝2000m(良)	10	4	4	3.3(1人)	5着	2:02.2(35.4)	0.4	藤岡佑介	58.5kg	マイネルキーロフ
7.31	函館	漁火S		芝1800m(良)	14	6	9	1.7(1人)	1着	1:49.4(35.3)	-0.2	D.ホワイト	57kg	(ミッキーパンプキン)
10.16	東京	アイルランドT	OP	芝2000m(良)	14	6	9	3.6(2人)	1着	1:59.2(33.6)	-0.1	内田博幸	56kg	(トゥザグローリー)
11.7	東京	アルゼンチン共和国杯	GII	芝2500m(良)	18	1	2	3.1(1人)	1着	2:30.0(35.2)	-0.3	三浦皇成	57kg	(ジャミール)
12.26	中山	有馬記念	GI	芝2500m(良)	15	2	4	20.0(7人)	5着	2:32.9(34.9)	0.3	三浦皇成	57kg	ヴィクトワールピサ
2011.1.23	中山	AJCC	GII	芝2200m(良)	11	6	6	1.9(1人)	1着	2:14.2(34.7)	-0.1	内田博幸	58kg	(ミヤビランベリ)
3.20	阪神	阪神大賞典	GII	芝3000m(良)	13	7	11	-	取消	-	-	内田博幸	58kg	ナムラクレセント
6.26	阪神	宝塚記念	GI	芝2200m(良)	16	7	13	45.9(9人)	9着	2:11.2(35.2)	1.1	N.ピンナ	58kg	アーネストリー
8.21	札幌	札幌記念	GII	芝2000m(良)	13	8	13	3.0(1人)	1着	2:00.4(34.5)	0.0	福永祐一	57kg	(アクシオン)

ディープインパクト血統

ディープインパクト血統
ディープインパクト血統背景

父サンデーサイレンス
父サンデーサイレンスはケンタッキーダービーやブリーダーズカップ・クラシックを制した競走馬。13年連続で日本のリーディングサイアーに輝き、GI馬を多数輩出するなど、日本競馬史上に残る種牡馬である。
母ウインドインハーヘアは競走馬時代にドイツG1のアラルポカルに優勝し、エプソムオークスでも2着に入る活躍をした。
半姉に、5歳の6月という遅いデビューながらデビューから無傷の5連勝をし、2003年のスプリンターズステークスで4着に入ったレディブロンド(父シーキングザゴールド Seeking the Gold、6戦5勝)、全兄に2004年のスプリングステークスを制したブラックタイド、全弟に2005年の東京スポーツ杯2歳ステークス3着のオンファイア、半弟に2006年のホープフルステークスを制したニュービギニング(父アグネスタキオン)がいる。
曾祖母ハイクレア (Highclere) はエリザベス女王が所有し、1000ギニー、ディアヌ賞[注 20]を勝ちキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスで2着に入った名牝だった。このハイクレアの一族には1989年のエプソムダービーなどを制したナシュワン (Nashwan) 、2002年のドバイシーマクラシックなどに勝ったネイエフ (Nayef) がいるほか、2003年のNHKマイルカップなどを制したウインクリューガー、2006年のマーメイドステークスを制したソリッドプラチナムといった日本で活躍した競走馬もいる

ディープインパクトと対戦した競走馬の故障

ディープインパクトと対戦した競走馬の故障
ディープインパクトが勝ったGI競走の2着馬は7頭いるが、うち6頭(シックスセンス、インティライミ、アドマイヤジャパン、リンカーン、ナリタセンチュリー、ドリームパスポート)がそこから1年以内に故障を発症している。

このことは雑誌『AERA』の2006年10月2日号でも「ディープインパクトの呪い」として取り上げられた。ちなみに、日本国内で唯一ディープインパクトに勝利したハーツクライも、上述の通り、翌年に喘鳴症を発症し引退に追い込まれている。

また、凱旋門賞でディープインパクトを破ったレイルリンクも翌年骨折、さらに腱を痛めて引退している。
唯一、健常な競走馬生活を送ったのはポップロックで、のちにアイルランドにレースの場を移して2010年(9歳)まで現役を続けたが、最後にはレース中に屈腱炎を発症して引退となり、「ディープインパクトの(GI競走)2着馬は決してGIを勝つことができない」というもう一つのジンクスについても打ち破ることは叶わなかった。

ディープインパクト ファンの少年の自殺

ディープインパクト 交通面での影響
交通面での影響としては、京阪電気鉄道において、菊花賞当日の京都競馬場の最寄り駅である京阪本線淀駅ではディープインパクトの三冠達成を見てから帰宅した競馬ファンで、菊花賞終了後にプラットホームが混雑し、急行列車の臨時停車や臨時列車を大増発したものの、それでも捌き切れずにホーム上の安全性確保と混雑緩和の観点から急遽特急列車を4本のみ臨時停車させた。

さらに競馬場付近を走る京阪宇治バス宇治淀線などの路線バスや周辺道路も当日は混みに混み合って渋滞が解けたのは宇治淀線の最終バス発車間際の午後10時ごろだったというエピソードもある。
ディープインパクト ファンの少年の自殺
2006年10月11日に福岡県に住むディープインパクトファンの中学二年生がいじめを苦に自殺したが、その中に「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたい」と遺書に書かれていたことが報道された。

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