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抽せん馬

抽せん馬(ちゅうせんば)は、日本中央競馬会(JRA)がセリ市で馬を購入し、その後北海道にある日高育成牧場(浦河郡浦河町)と宮崎県にある宮崎育成牧場(宮崎市)で競走馬としての訓練を受けた後、希望する馬主にウェーバー(ドラフト会議)とほぼ同じ抽せん方式で販売された馬のことである。かつてはクジ馬とも呼ばれた。2003年度からはJRA育成馬と呼ばれている。

中央競馬の定義では抽せん馬を抽に丸囲みで表記してマル抽と呼び、セリ市で購入された他の競走馬(市場取引馬)を市に丸囲みで表記してマル市と呼び、両者を区別していたが、2003年よりその区別が無くなり、市場取引馬に統一されることとなった。

なお、総務省が、馬主が均等に馬を購入できる方式に改めるように勧告を出したことを受け[1]、2004年度で抽せん会による配布システムを廃止した。2005年度からは、トレーニングセールなどで売却することとしている。JRA主催のトレーニングセールは「JRAブリーズアップセール」と題して毎年4月に中山競馬場(年により異なる。2007年は阪神競馬場)で行われる。

なお、「抽選馬」は新聞協会の定める代用表記であり、一般的には本項目名のとおり「抽せん馬」と表記する。なお、本来の漢字表記は抽籤馬(籤は「くじ」の字)である。

呼馬

呼馬(よびうま)とは、馬主が自ら購入した競走馬のこと。かつて抽せん馬の対義語として用いられ、呼馬限定の競走も行われていた。

著名な抽せん馬


スターロツチ(牝、1960年優駿牝馬(オークス)、有馬記念、1961年京王杯オータムハンデキャップ)
タカツバキ(牡、1969年きさらぎ賞)
ファイブホープ(牝、1978年優駿牝馬(オークス))
ユウミロク(牝、1987年カブトヤマ記念)
コーセイ(牝、1986年テレビ東京賞3歳牝馬ステークス、1987年報知杯4歳牝馬特別、1988年七夕賞、1989年中山記念)
イソノルーブル(牝、1991年報知杯4歳牝馬特別、優駿牝馬(オークス))
ユーセイフェアリー(牝、1992年阪神牝馬特別)
イナズマタカオー(牡、1994年中日スポーツ賞4歳ステークス、1995年北九州記念、1996年中京記念)
アインブライド(牝、1997年阪神3歳牝馬ステークス)
タムロチェリー(牝、2001年阪神ジュベナイルフィリーズ、小倉2歳ステークス)
ジョウテンブレーヴ(牡、1999年東京スポーツ杯3歳ステークス、2000年京阪杯、2001年マイラーズカップ、2002年エプソムカップ)
ホットシークレット(騸、2000年・2002年ステイヤーズステークス、2001年目黒記念)
イシヤクマッハ(牡、2001年グランシャリオカップ)
エースインザレース(牡、2002年兵庫ジュニアグランプリ)
キングデール(牡、1999年サラブレッドチャレンジカップ)
ナスダックパワー(牡、2001年ユニコーンステークス)
ミヤギロドリゴ(牡、2001年福島記念)

この他、重賞制覇こそなかったものの、中央競馬で5勝を挙げたタニノシスターは、牝馬でありながら日本ダービー(東京優駿)馬となったウオッカを輩出している。

中央競馬のアングロアラブ系競走は長らく抽せん馬限定で行われ、地方競馬などからの移籍は認めなかった。

地方競馬の抽せん馬

地方競馬にも抽せん馬制度は存在するが、中央競馬と異なるのはセリ市で競走馬を購入するのは馬主会で、それを抽せんして馬主が所有する。「補助馬」「奨励馬」とも。かつては、地方競馬主催者が競走馬を購入したこともある。

代表的な例が、大井競馬がオーストラリアから購入した「濠抽」である。代表的な馬としてはオパールオーキツト、ミッドファームなどが知られる。タケシバオー、ハイセイコーの母系も濠抽である。

名称は似ているが、濠抽と似て非なるものに「濠洋」がある。濠洋は、戦前にオーストラリアから輸入された血統不明の馬である。濠抽はサラブレッドと交配される限りサラブレッドであるが、濠洋はどこまでサラブレッドと交配を重ねてもサラ系である。日本のサラ系種の大半は、アングロアラブの系統と濠用の系統であるといわれ、サラ系種として皐月賞および日本ダービーを制したヒカルイマイは、濠洋の系統に連なるといわれているが、不詳。

なお、濠抽は濠サラと呼ばれることもあり、その方が一般的であるが、濠洋も誤って濠サラといわれることもあるようである。言語においてことばが一般化し流通量が多くなるほど語義が拡散する一例である。

抽せん馬脚注

^ セリ市での購入金額に差が生じるため。

着差

競馬の競走における着差(ちゃくさ)とはある馬がゴールに到達した時点と他の馬がゴールに到達した時点の差を、馬の体を単位とした距離で表示したものである。1馬身は約2.4m。それ以下の単位としてハナ差(約20cm)、アタマ差(約40cm)、クビ差(約80cm)など。ばんえい競走では用いられない。

着差概要

平地競走や障害競走などでは、伝統的にゴールの差を時間では表示しない。元来、競馬は到達時間を争うものではなく到達順位を競うものであり、ひとつの競走に参加している競走馬に序列をつけるのは到達順位で事足りる。時間の計測が必要になるのは、その競走に参加していない別の馬との比較が求められる場合である。

サラブレッドの全力疾走は時速70kmに達し、10分の1秒で2mほども進む。接戦となった場合、目視による差が10cmであったとすると時間に直すと1000分の5秒ほどである。17世紀から18世紀に現在の競馬のスタイルが確立されたころにはまだ100分の1秒、1000分の1秒を精確に計測する手段がない。このため目視によって計測がなされ、馬の体を基準に差を表示する方法が定着した。

20世紀の前半に目視に変わって写真判定が採用され、時計の測定技術も進歩したにもかかわらず現在もゴールの差を表示する場合は馬の体が基準となり時間によっては表さない。日本では10分の1秒での計測が公式なものであり、公式なタイムは一緒であっても場合によっては1m前後の差が発生する。1位馬と最下位馬のタイムは精確に計測されているがそれ以外の着順の馬の公式タイムは計測によるものではなく、写真に基づいた計算値である。

競馬は技術の進歩を受け入れないわけではなく、調教時の走破タイムの測定にはレーザーによる測定が用いられている。
一方でばんえい競走では着差は用いられず、全てを走破時間で表示する。ばんえい競走ではそりの最後端が決勝線を通過した際にゴールとなるが走路上および決勝線で競走馬が息を入れるために止まってしまうため、馬の体を基準に他馬との到着順位をつけることができないからである。

日本の着差の表示

日本の平地競走や障害競走では着差は原則として審判による目視によって判定されるが、着差が少ない場合は写真判定が行わる。写真判定はフォトチャートカメラという特殊なカメラを使用し写真には1000分の6秒ごとにスリットが入れられ、このスリットの数を基準に着差が決定される。スリットの数による基準は絶対的なものではなく、そのときのスピードなどによって多少の相違がある。フォトチャートカメラによる撮影自体はすべての競走で行われ、競走後に発表される走破タイムの測定に用いられる。

競馬においては、ゴールとは馬体の一部が決勝線に到達した瞬間を差す。通常、これは競走馬の鼻の先ということになる。ばんえい競走の場合はゴールはそりの最後端が決勝線を通過したときである(ただし前述のように着差が用いられることはない)。
着差が短いものから次のようになっている。

同着 – 写真によっても肉眼では差が確認できないもの – タイム差は0
ハナ差(鼻差) – スリットの数は3 – タイム差は0
アタマ差(頭差) – スリットの数は6 – タイム差は0
クビ差(首差、頸差) – スリットの数は12 – タイム差は0~1/10秒
1/2馬身(半馬身) – スリットの数は24 – タイム差は1/10秒
3/4馬身 – スリットの数は30 – タイム差は1/10~2/10秒
1馬身 – スリットの数は33 – タイム差は2/10秒
1 1/4馬身(1馬身と1/4) – スリットの数は37 – タイム差は2/10秒
1 1/2馬身(1馬身と1/2) – タイム差は2/10~3/10秒
1 3/4馬身(1馬身と3/4) – タイム差は3/10秒
2馬身 – タイム差は3/10秒
2 1/2馬身 – タイム差は4/10秒
3馬身 – タイム差は5/10秒
3 1/2馬身 – タイム差は6/10秒
4馬身 – タイム差は7/10秒
5馬身 – タイム差は8/10~9/10秒
6馬身 – タイム差は1秒
7馬身 – タイム差は11/10~12/10秒
8馬身 – タイム差は13/10秒
9馬身 – タイム差は14/10~15/10秒
10馬身 – タイム差は16/10秒
大差 – タイム差は17/10秒以上

4馬身以上は端数を数えない。たとえば「6馬身とクビ差」のような上記以外の「着差」は存在しない。ただし降着制度に基づく降着馬や失格馬が出た場合は、6馬身+ハナ差などとなる。また、公式には11馬身以上の差はすべて「大差」と表示する。
厳密に言えば競走馬のスピードによって違いはあるが、約5~6馬身が1秒に相当する。

短頭差、短首差

優勝決定戦

大正以前の日本では1着が同着となった場合、馬主の希望によって1着馬を1頭とするための優勝決定戦が行われることがあった。優勝決定戦は1着同着馬のすべての馬主が実施を希望にする場合に行われた。たとえば2頭が同着となった場合、双方が希望する場合には優勝決定戦が行われ一方のみが希望する場合は希望した馬主の馬が1着(希望しなかった馬主の馬は2着)となり双方が希望しなかった場合には賞金を折半するといった処理がなされた。

デッドヒート


日本語では通例「デッドヒート(dead heat)」といえば「激しい争い」のような意味で使われているが、本来は「同着」を表す競馬用語である。これは、19世紀まで盛んだったヒートレース(ヒート戦、ヒート競走ともいう)という競走形態に由来する。ヒート戦は1回のレースを1ヒートと呼び同じ馬たちが複数ヒート走り、ある馬が2ヒート連続で勝った時点でその馬の勝利とする勝ち抜き方式である。1着同着となった場合は勝ち馬が決まらないため、そのヒートは無駄なヒートになってしまうことから「デッドヒート」といわれた。

着差とレーティング

国際競走馬格付け委員会が毎年7月と12月に発表するワールド・サラブレッド・ランキングでは、一競走における競走馬間の能力比較について、「1馬身差=約2ポンド」の原則を適用している。

しかし、海外では11馬身以上の着差についても正確に計測されるのに対し、日本では15馬身であろうと20馬身であろうと公式にはすべて「大差」と表記されるため、上位入線馬間にそのような着差が生じた場合の扱いが日本と海外では異なり、不平等である(たとえ日本で大差勝ちをしても、正確な計測がなされずに「11馬身」として実際より少なく処理されてしまう)との批判もある。

特筆すべき着差の例

ランダルース [編集]
ランダルース
品種 サラブレッド
性別 牝
毛色 鹿毛
生誕 1980年
死没 1982年11月28日
父 シアトルスルー
母 ストリップポーカー
生国 アメリカ合衆国
生産 スペンドスリフトファーム
馬主 バリー・ビール
ロイド・フレンチ
調教師 ウェイン・ルーカス
競走成績
生涯成績 5戦5勝
獲得賞金 37万2365ドル
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1980年生まれのアメリカ産牝馬、ランダルース(Landaluce)は2歳の時にアメリカのハリウッドパーク競馬場で開催されるハリウッドラッシーステークス(アメリカG2)で21馬身差で優勝した。これは同競馬場での最大着差である。
ランダルースはアメリカの三冠馬シアトルスルーの初年度産駒でデビューから3ヶ月の間に5連勝で最高格のG1であるオークリーフステークスに優勝し、シアトルスルーの子供としては最初のG1競走優勝馬となった。ランダルースは1ヵ月後に伝染病で急死した。生涯で2着につけた着差の合計は46馬身。G1競走は僅か1勝であるにもかかわらず、その年のアメリカ2歳牝馬チャンピオン(エクリプス賞)に選ばれた。
ランダルースはタイキブリザードやパラダイスクリークの近親である。ハリウッドラッシーステークスは今ではランダルースステークスと改名されている。

セクレタリアト

20世紀のアメリカ名馬100選で20世紀で2番目に偉大な競走馬に選ばれたセクレタリアトは1970年生まれのアメリカ産牡馬で、1973年にアメリカの三冠を達成した。三冠目のベルモントステークスで2着に31馬身の大差をつけた。この競走は競馬の世界では大差の例としてよく引き合いに出される。このときの走破タイムは世界レコードで2006年現在、破られていない。詳細はセクレタリアト参照。

着差関連項目

タイムオーバー (競馬)
写真判定
降着制度

父内国産馬

父内国産馬(ちちないこくさんば)とは、父馬がサラブレッド系の内国産馬(日本国内で生産された馬)であり、自らも内国産馬であるサラブレッド系の競走馬に対し、日本中央競馬会(JRA)が2007年まで与えていた分類呼称である。出走表においては○の中に「父」と書いた記号を用いて示されたため、俗にマル父(マルチチ)と呼ばれることも多かった。

2008年以降は父内国産馬とそれ以外の日本産馬を区別しないため、マル父の表記はなくなった。但し、レーシングプログラムには馬名の左上に「父内国産馬」と表記されている。

父内国産馬の優遇の歴史

かつて、1980年代までは、内国産種牡馬は非常に少なく(シンザン、メジロアサマ、トウショウボーイなどごく限られていた)、外国から輸入された種牡馬の産駒が多数を占めていた事情もあり、JRAでは日本国内における血統の発展や生産振興を目的に父内国産馬を優遇してきた。

具体的には父内国産馬のみが出走できる競走を設けたり、特別競走以外の下級条件戦において父内国産馬が入着した場合に「父内国産馬奨励賞」の名目で賞金を加算したりといった措置がとられていた。また、その年度で優秀な成績をおさめた人馬を表彰するJRA賞においては「最優秀父内国産馬」という部門も設けられている。

父内国産馬限定の重賞競走としては愛知杯、カブトヤマ記念、中日新聞杯の3競走が永らく施行されてきたが、2004年度よりカブトヤマ記念は福島牝馬ステークスに衣替えし、愛知杯も牝馬限定戦に改められたため、2004年度以降においては中日新聞杯のみが父内国産馬限定重賞競走となった。

しかし、1980年代半ばから、前述の外国から輸入された種牡馬(主にサンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンなど)の産駒で、日本で好成績を残した馬の多くが種牡馬となり、これらの内国産種牡馬産駒数も増加していき、日本の競馬環境への適合度から、GIII(JpnIII) – GII(JpnII)クラスの重賞レースの制覇はもとより、中にはGI(JpnI)クラスのレースを複数制覇した馬も出現するようになった。

制度の末期の2005年頃には、外国産馬の出走可能な混合レースで、マル父の表記がされた馬が出走馬の半数以上を占めることも多くなった。制度末年の2007年には、タニノギムレット産駒のウオッカが牝馬による64年ぶりの東京優駿(日本ダービー)制覇(親子制覇でもある)を成し遂げ、引退までにGIレース7勝を挙げている。

このような状況からか、2008年以降、JRAは上記重賞を含む父内国産馬限定競走および市場取引馬限定競走を廃止し、あわせて「父内国産馬奨励賞」も廃止されたことから、出馬表から「マル父」「マル市」の表記が消えた[1]。なお、中日新聞杯は混合競走に変更となった。

父内国産馬が外国産馬である場合

かつては内国産種牡馬の仔はほぼ全て父内国産馬であったが、フジキセキのように日本国内で生産された馬が日本国外で種牡馬として供用されるケースもあり、このように父が内国産馬でありながら、日本国外で出産された馬は「父内国産馬」として扱われず、外国産馬として扱われ、父内国産馬限定競走に出走することはできなかった。ただし、表記は父内国産を示す「マル父」、外国産を示す「マル外」の両方の記号が付与された。

父親が内国産ながら日本国外で生まれた競走馬の代表例として、2010年・2011年の高松宮記念などに勝利したキンシャサノキセキ(父フジキセキのオーストラリア産)が挙げられる。

タイムオーバー

タイムオーバー(Time Over)とは競馬の競走において、1着に入線した馬から一定の時間をおいて決勝線(ゴール板)を踏破した競走馬に対して一定期間の出走停止処分を科すことである。

タイムオーバー中央競馬

タイムオーバー適用時間

重賞および国際競走以外で採用されている。年々強化されており、徐々にそのハードルは高くなりつつある。
距離 芝コースでの適用秒数 ダートコースでの適用秒数
1,400m未満 3秒
(3秒) 4秒
(4秒)
1,400m以上
2000m未満 4秒
(3秒) 5秒
(4秒)
2,000m以上 5秒
(4秒) 6秒
(5秒)
カッコ内は秋季競馬(通常9月)における3歳未勝利戦の適用秒数

タイムオーバー制裁

未勝利馬に対しては、タイムオーバー1回目は1ヶ月、2回目は2ヶ月、3回目以上は3ヶ月の出走停止。
それ以外は一律で1ヶ月の出走停止。

但し競走中の疾病や競走中の他馬の影響を受けて遅れて入線した場合などで裁決委員がやむを得ないと認めた場合は、出走停止処置を行わない場合がある(例:2010年1月11日の中山競馬場第4レースにおける9頭落馬事故で落馬に巻き込まれて遅れて入線したナンヨービクトリーは「他馬の影響を受けた」として出走停止処置を除外されている)。

国際グレードレース・重賞競走のほかにも、レコードタイムが更新された競走及びすべての障害競走はタイムオーバーは適用されない。
上記の出走停止措置は平地競走のみに適用され、平地のタイムオーバーで出走停止中の馬も障害競走には出走できる。

タイムオーバーエピソード

ダイユウサクは初戦勝ち馬から遅れること13秒という惨敗だったが、当時の規定により初戦馬はタイムオーバーの適用を除外されていたため問題は無かった。しかし二戦目も勝ち馬に7秒3遅れ、その際には出走停止処分(当時は全馬一律で一ヶ月)を受けた。