菊花賞の歴史
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1938年12月11日 テツモン 牡3 3:16 0/5 伊藤正四郎 尾形藤吉 松山隆郎
第2回 1939年10月29日 マルタケ 牡3 3:22 0/5 清水茂次 清水茂次 榎壽逸
第3回 1940年11月3日 テツザクラ 牡3 3:17 3/5 伊藤勝吉 伊藤勝吉 三宅孝之介
第4回 1941年10月26日 セントライト 牡3 3:22 3/5 小西喜蔵 田中和一郎 加藤雄策
第5回 1942年11月8日 ハヤタケ 牡3 3:16 3/5 佐藤勇 岩井健吉 伊藤祐之
第6回 1943年11月14日 クリフジ 牝3 3:19 3/5 前田長吉 尾形藤吉 栗林友二
第7回 1946年12月1日 アヅマライ 牡3 3:26 4/5 武田文吾 高橋直三 熊谷新太郎
第8回 1947年10月19日 ブラウニー 牝3 3:16 0/5 土門健司 武輔彦 仙石襄
第9回 1948年11月23日 ニユーフオード 牡3 3:13 3/5 武田文吾 小川佐助 吉木三郎
第10回 1949年11月3日 トサミドリ 牡3 3:14 3/5 浅野武志 望月与一郎 斉藤健二郎
第11回 1950年10月29日 ハイレコード 牡3 3:09 1/5 浅見国一 武田文吾 山田常太郎
第12回 1951年11月3日 トラツクオー 牡3 3:11 1/5 小林稔 久保田金造 岩本政一
第13回 1952年11月23日 セントオー 牡3 3:10 1/5 梅内慶蔵 新堂捨蔵 三木福一
第14回 1953年11月23日 ハクリヨウ 牡3 3:09 1/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第15回 1954年11月23日 ダイナナホウシユウ 牡3 3:09 1/5 上田三千夫 上田武司 上田清次郎
第16回 1955年11月23日 メイヂヒカリ 牡3 3:09 1/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第17回 1956年11月18日 キタノオー 牡3 3:09 3/5 勝尾竹男 久保田金造 田中留治
第18回 1957年11月17日 ラプソデー 牡3 3:16 0/5 矢倉義勇 小西喜蔵 椎野浅五郎
第19回 1958年11月16日 コマヒカリ 牡3 3:10 0/5 浅見国一 橋本輝雄 鈴木一平
第20回 1959年11月15日 ハククラマ 牡3 3:07.7 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第21回 1960年11月13日 キタノオーザ 牡3 3:15.1 伊藤竹男 久保田金造 田中清司
第22回 1961年11月19日 アズマテンラン 牡3 3:15.4 野平好男 二本柳俊夫 堀平四郎
第23回 1962年11月25日 ヒロキミ 牡3 3:10.7 高松三太 二本柳俊夫 相馬恵胤
第24回 1963年11月17日 グレートヨルカ 牡3 3:09.5 保田隆芳 尾形藤吉 小野晃
第25回 1964年11月15日 シンザン 牡3 3:13.8 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第26回 1965年11月14日 ダイコーター 牡3 3:13.4 栗田勝 上田武司 上田清次郎
第27回 1966年11月13日 ナスノコトブキ 牡3 3:08.5 森安弘明 稲葉秀男 那須野牧場
第28回 1967年11月12日 ニツトエイト 牡3 3:14.5 伊藤竹男 矢倉玉男 太田和芳郎
第29回 1968年11月17日 アサカオー 牡3 3:09.0 加賀武見 中村広 浅香源二
第30回 1969年11月16日 アカネテンリュウ 牡3 3:15.3 丸目敏栄 橋本輝雄 関野栄一
第31回 1970年11月15日 ダテテンリュウ 牡3 3:10.4 宇田明彦 星川泉士 浅野千恵子
第32回 1971年11月14日 ニホンピロムーテー 牡3 3:13.6 福永洋一 服部正利 小林保
第33回 1972年11月12日 イシノヒカル 牡3 3:11.6 増沢末夫 浅野武志 石嶋清仁
第34回 1973年11月11日 タケホープ 牡3 3:14.2 武邦彦 稲葉幸夫 近藤たけ
第35回 1974年11月10日 キタノカチドキ 牡3 3:11.9 武邦彦 服部正利 初田豊
第36回 1975年11月9日 コクサイプリンス 牡3 3:11.1 中島啓之 稗田敏男 芦部博子
第37回 1976年11月14日 グリーングラス 牡3 3:09.9 安田富男 中野隆良 半沢吉四郎
第38回 1977年11月13日 プレストウコウ 牡3 3:07.6 郷原洋行 加藤朝治郎 渡辺喜八郎
第39回 1978年11月12日 インターグシケン 牡3 3:06.2 武邦彦 日迫良一 松岡正雄
第40回 1979年11月11日 ハシハーミット 牡3 3:07.5 河内洋 内藤繁春 (株)シンザンクラブ
第41回 1980年11月9日 ノースガスト 牡3 3:06.1 田島良保 二分久男 鈴木忠男
第42回 1981年11月8日 ミナガワマンナ 牡3 3:07.1 菅原泰夫 仲住芳雄 寺内倉蔵
第43回 1982年11月14日 ホリスキー 牡3 3:05.4 菅原泰夫 本郷重彦 堀川三之助
第44回 1983年11月13日 ミスターシービー 牡3 3:08.1 吉永正人 松山康久 (株)丸沼温泉ホテル
第45回 1984年11月11日 シンボリルドルフ 牡3 3:06.8 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第46回 1985年11月10日 ミホシンザン 牡3 3:08.1 柴田政人 田中朋次郎 堤勘時
第47回 1986年11月9日 メジロデュレン 牡3 3:09.2 村本善之 池江泰郎 メジロ商事(株)
第48回 1987年11月8日 サクラスターオー 牡3 3:08.0 東信二 平井雄二 (株)さくらコマース
第49回 1988年11月6日 スーパークリーク 牡3 3:07.3 武豊 伊藤修司 木倉誠
第50回 1989年11月5日 バンブービギン 牡3 3:07.7 南井克巳 布施正 竹田辰一
第51回 1990年11月4日 メジロマックイーン 牡3 3:06.2 内田浩一 池江泰郎 メジロ商事(株)
第52回 1991年11月3日 レオダーバン 牡3 3:09.5 岡部幸雄 奥平真治 田中竜雨
第53回 1992年11月8日 ライスシャワー 牡3 3:05.0 的場均 飯塚好次 栗林英雄
第54回 1993年11月7日 ビワハヤヒデ 牡3 3:04.7 岡部幸雄 浜田光正 (有)ビワ
第55回 1994年11月6日 ナリタブライアン 牡3 3:04.6 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第56回 1995年11月5日 マヤノトップガン 牡3 3:04.4 田原成貴 坂口正大 田所祐
第57回 1996年11月3日 ダンスインザダーク 牡3 3:05.1 武豊 橋口弘次郎 (有)社台レースホース
第58回 1997年11月2日 マチカネフクキタル 牡3 3:07.7 南井克巳 二分久男 細川益男
第59回 1998年11月8日 セイウンスカイ 牡3 3:03.2 横山典弘 保田一隆 西山牧場
第60回 1999年11月7日 ナリタトップロード 牡3 3:07.6 渡辺薫彦 沖芳夫 山路秀則
第61回 2000年10月22日 エアシャカール 牡3 3:04.7 武豊 森秀行 (株)ラッキーフィールド
第62回 2001年10月21日 マンハッタンカフェ 牡3 3:07.2 蛯名正義 小島太 西川清
第63回 2002年10月20日 ヒシミラクル 牡3 3:05.9 角田晃一 佐山優 阿部雅一郎
第64回 2003年10月26日 ザッツザプレンティ 牡3 3:04.8 安藤勝己 橋口弘次郎 (有)社台レースホース
第65回 2004年10月24日 デルタブルース 牡3 3:05.7 岩田康誠 角居勝彦 (有)サンデーレーシング
第66回 2005年10月23日 ディープインパクト 牡3 3:04.6 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第67回 2006年10月22日 ソングオブウインド 牡3 3:02.7 武幸四郎 浅見秀一 (有)社台レースホース
第68回 2007年10月21日 アサクサキングス 牡3 3:05.1 四位洋文 大久保龍志 田原慶子
第69回 2008年10月26日 オウケンブルースリ 牡3 3:05.7 内田博幸 音無秀孝 福井明
第70回 2009年10月25日 スリーロールス 牡3 3:03.5 浜中俊 武宏平 永井商事(株)
第71回 2010年10月24日 ビッグウィーク 牡3 3:06.1 川田将雅 長浜博之 谷水雄三
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菊花賞の歴史
1938年 - 4歳(現3歳)の牡馬・牝馬の競走馬による定量(牡馬55kg・牝馬53kg)の重賞競走として「第1回京都農林省賞典4歳呼馬」が創設され、京都競馬場・芝3000mで施行された。
1940年 - 負担斤量を牡馬57kg・牝馬55.5kgにそれぞれ変更。
1941年 - セントライトが史上初のクラシック三冠を達成。
1944年 「長距離特殊競走」名称で能力判定競走として施行されるが、競走中に全出走馬がコースを間違えたため競走不成立(当該項を参照)。
1945年 - 第二次世界大戦により中止。
1950年 - 二冠馬クモノハナが2着に敗れる。
1953年 - 二冠馬ボストニアンが5着に敗れる。
1959年 - この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1953年 - 二冠馬コダマが2着に敗れる。
1961年 - アズマテンランが持込馬として史上初の制覇。
1962年
当競走で史上最多の23頭が出走。
二本柳俊夫が調教師として史上初の連覇。
1963年 - 二冠馬メイズイが6着に敗れる。
1964年 - シンザンが2頭目のクラシック三冠を達成。
1965年 - 栗田勝が騎手として史上初の連覇。
1970年 - 二冠馬タニノムーティエが11着に敗れる。
1973年 - 元地方大井所属のハイセイコーがタケホープに2度目の敗走。
1974年 - 武邦彦が騎手として2人目の連覇。
1975年 - ヤマゼントップが第1コーナーでコースから外れて外ラチに激突、鞍上久保敏文が落馬。
1976年 - 12番人気のグリーングラスがトウショウボーイ・テンポイントを破り優勝。
1977年 - プレストウコウが芦毛馬として史上初の3歳クラシック制覇。
1979年 - 京都競馬場のスタンド改築工事による振替開催により、阪神競馬場の芝3000mで施行。
1982年 - 菅原泰夫が騎手として3人目の連覇。
1983年 - ミスターシービーが3頭目のクラシック三冠を達成。
1984年
グレード制施行によりGIに格付け。
シンボリルドルフがデビューから無敗で4頭目のクラシック三冠を達成。
1987年 - 施行時期をエリザベス女王杯と交換。
1992年 - 二冠馬ミホノブルボンが2着に敗れる。
1993年 - ビワハヤヒデが持込馬として史上2頭目の制覇。
1994年 - ナリタブライアンが5頭目のクラシック三冠を達成。
1995年
指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。
ダンスパートナーが牝馬として18年振りの出走、1番人気に支持される(結果は5着)。
1998年 - セイウンスカイが当時の芝3000mの世界レコード3:03.2で優勝。
2003年
負担重量を定量から馬齢重量に変更。
二冠馬ネオユニヴァースが3着に敗れる。
2004年
当年のみ「日本中央競馬会創立50周年記念 菊花賞」として施行。
岩田康誠がJRA史上初の地方競馬所属騎手によるクラシック競走制覇。
2005年
外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。
ディープインパクトがデビューから無敗で6頭目のクラシック三冠を達成。
二冠馬メイショウサムソンが4着に敗れる。
2007年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。
2009年 - ポルカマズルカが牝馬としてダンスパートナー以来14年ぶりに出走(結果は17着)。
2010年 - 国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となる。
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菊花賞のコース
スタートは第3コーナー前。外回り第3コーナー付近の通称「淀の坂」を2度越えるためスタミナが要求される。加えて1周目正面スタンド前では観客の大歓声が上がることが多く、それに動揺しない精神力も求められる。2009年現在、菊花賞以前に3歳以下の競走馬に芝3000m以上のオープン競走は用意されておらず菊花賞の芝3000mは全出走馬にとってまさしく未知の領域となっている。
菊花賞トライアル競走
競走名 格付 団体 施行競馬場 施行距離
セントライト記念 GII 中央 中山競馬場 芝2200m
神戸新聞杯 GII 中央 阪神競馬場 芝2400m
いずれの競走も3着までの牡馬・牝馬(内国産馬・外国産馬問わず)の入着馬に優先出走権が与えられる。2001年から制限付きで外国産馬にも出走が認められている。2007年は6頭まで(各年度の変遷は外国産馬#中央競馬のクラシック・天皇賞における出走制限を参照)。
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菊花賞(きくかしょう、きっかしょう)とは日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の芝3000mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。
正賞は内閣総理大臣賞、朝日新聞社賞、日本馬主協会連合会会長賞。
2005年菊花賞・2周目4コーナーカーブの攻防
1938年にイギリス最古のクラシック競走のセントレジャーステークスを範として、京都農林省賞典4歳呼馬の名称で創設された4歳(現3歳)の競走馬による重賞競走。
1939年に創設された横濱農林省賞典4歳呼馬(皐月賞)と1932年から施行されている東京優駿競走(日本ダービー)と共に日本のクラシック三冠競走を確立した。
1948年より現在の名称である菊花賞に変更。
京都競馬場のスタンド改築工事による振替開催により、1979年に阪神競馬場で施行された以外は一貫して京都競馬場の芝3000mで行われている。
1995年に指定交流競走となり地方馬の出走が、2001年からは外国産馬の出走が可能となった。
2010年からは国際競走に指定され、外国調教馬の出走も可能になっている。
牡馬クラシック三冠競走の最終戦として行われている重賞(GI)競走で、「最も速い馬が勝つ」皐月賞、「最も運のある馬が勝つ」東京優駿に対し、本競走は3000mの長丁場を走りぬくことから「最も強い馬が勝つ」と称され、その謳い文句の通り牡馬3歳(旧4歳)の最強馬を決める競走として位置付けられている。
しかし1987年以降、天皇賞(秋)に3歳馬の出走が可能になったため長距離適性のない一部の有力馬が芝3000mの菊花賞を回避して芝2000mの天皇賞(秋)に出走する傾向も増えてきており、2007年から2010年までの4年はダービー馬不在の菊花賞となっている。
春のクラシックに出走できなかった競走馬が多く活躍しておりグリーングラス、スーパークリーク、メジロマックイーン、マヤノトップガン、マンハッタンカフェ、ヒシミラクル、デルタブルースなど後の八大競走・GIや海外G1も制した名馬の初重賞勝ちの競走ともなっている。
現在の優勝レイは緑色の地に金色の文字で、レース名に関連して白菊の模様が3箇所にあしらわれている。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)牡馬・牝馬のJRA所属馬、春のクラシック競走またはNHKマイルカップで2着以内、菊花賞トライアル競走で3着以内に入った地方競馬所属馬、及び外国調教馬(9頭まで、JRA所属の外国産馬も含める)。
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現在の川崎競馬場の地に最初に競馬場ができたのは、1906年のことである。板垣退助を中心とした京浜競馬倶楽部によって競馬が開催された。ところが、1908年に政府が馬券発売禁止令を公布して馬券の発売を禁止したため、競馬を開催できなくなってしまった。実質的な開催日数はわずか15日だけであったという。跡地には当時の川崎町長によって富士瓦斯紡績の工場が誘致され、1915年に操業を開始する。工場であった時代の1930年には、工場の労働争議を支援するため、煙突男が出現して世間の話題となった。その後、1939年に工場は東京電気(現・東芝)に譲渡されたが、太平洋戦争中の空襲により焼失し、戦後再び競馬場が復活することになった[8]。
川崎競馬場 アクセス
京急大師線港町駅から徒歩1分(競馬開催時には電車が増発される)
JR川崎駅東口・京急川崎駅から無料送迎バス。
羽田京急バス
川崎鶴見臨港バス
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川崎競馬場 ポイントサービス
2007年10月8日より来場するたびにポイントがもらえる「カツマルくんカード」を無料で発行している。
カード発行条件は20歳以上で、身分を証明するもの(運転免許証や保険証など)を持って、1号スタンド1階のファン案内所にある申込用紙に必要事項を記入して提出する。1回来場すると、「来場回数」が加算され、「カツマルくんポイント」=10ポイント(重賞レース開催日は20ポイント)、ヤマダ電機で使用できる「ヤマダ引換ポイント」=50ポイント(重賞レース開催日も50ポイント)がそれぞれもらえる。
なお、ポイントは各入場門およびファン案内所にあるポイントカードリーダーにカツマルくんカードを投入すると加算される。ただし、ポイント加算は川崎競馬開催中の1日につき1回で、有効期限は最後にポイントを加算した日から1年間である。
貯めたカツマルくんポイントに応じて川崎競馬場の特別観覧席のチケットやオリジナルグッズもしくは商品(ハム詰め合わせなど)と交換ができる。また、PeX(ペックス)ポイント[6][7]に交換することもできる。
ヤマダ引換ポイントの使用については下記の手続きが必要である。
カツマルくんカードとヤマダ電機のポイントカードを持ってファン案内所に行き、ヤマダポイント引換券をもらう。
ヤマダ電機のポイントカードとヤマダポイント引換券を持って全国にあるヤマダ電機またはダイクマのレジに行き、ポイントを加算してもらう。なお、ポイント引換期間は引換券をもらった翌日から3週間以内である。
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川崎競馬場 エピソード
競馬場としてはコースの奥行きが無い構造である事から、向正面や3コーナーなどの仕掛け所をスタンドから一目瞭然に見渡す事が可能である。
「牝馬の川崎」という異名がある。これは大レースに牝馬限定戦が多いことと、サブタイトルを含めてレース名に名を残す3頭(キヨフジ・ロジータ・ホクトベガ)がいずれも牝馬であることに由来する。
1995年の年末には、テレビ番組に関連する企画イベントとしてポニー競馬のGIレースを開催した。
2004年11月25日には、映画「レディ・ジョーカー」のロケがここで行われたことを記念した競走「レディ・ジョーカーカップ」が開催された。
表彰式では、合田刑事役の徳重聡がプレゼンターとして登場した。
2006年にはジャパンブリーディングファームズカップ(JBC)が開催された。
11月2日(夜間開催・マイル)と3日(昼間開催・クラシック)の2日間に分けての開催となった。ただし、コース形態の問題で競馬場に1200m戦の距離設定が無いことから、JBCスプリントは1600mのJBCマイルとして開催された。
また2000m戦の場合フルゲートが12頭であり、14頭の出走枠を確保するためJBCクラシックは2100mとなった。
定期的に毛色限定競走を実施している。
年末には芦毛・白毛馬限定競走のホワイトホース賞(開催時期によってはホワイトクリスマス賞)が行われる。他に青毛・青鹿毛・黒鹿毛馬のレースくろうま賞、栗毛限定のゴールデンホース賞が行われている。
なお、ホワイトホース賞ではレース名にちなんで、くじ引きで入場者にウイスキーのホワイトホースのプレゼントが行われた事もある。
場内食堂の食べ物が豊富なことでも知られる。
ちなみに、現在では競馬場内で名物と銘打ってたんめんを提供する店舗が複数存在するが、場内タンメン屋の実質的な元祖と言えるタンメン専門店の「国広」は2004年3月31日に閉店しており、現存しない。(店主の引退によるもの。
現在は同じ場所に別の店主が出店。)
所属騎手は年々少なくなってきているが、今野忠成が南関東リーディング上位に立ったり、中央競馬でも活躍する他、ベテランの森下博や金子正彦、中堅の酒井忍に若手の山崎誠士、町田直希も他場や中央競馬で騎乗しては結果を残すなど、川崎本場や川崎競馬以外でも川崎所属騎手の活躍は目立っている。
2008年10月31日より今までの南関東4競馬場ホームページとは別に、川崎競馬場独自のホームページを開設した。今までも携帯電話によるオンラインクーポン(携帯電話サイト「競馬総合チャンネル」との提携による)で入場料が無料になったが、11月3日開催より「無料入場券」を印刷して競馬場入場門で渡せば同じく無料になる。
同競馬場での開催や場外発売が行われない週末では、馬場内駐車場を利用したフリーマーケットがしばしば開催されている。また馬場内駐車場は近隣の川崎競輪場が開催されている時にも利用されている(競輪場までの無料送迎バスあり)。
2010年6月の開催より個人協賛競走が実施されている。実施には最低5人グループ(1人1万円、計5万円の費用)での申し込みが必要で、1開催につき2競走程度実施されている。
なお南関東4競馬場では初の個人協賛競走実施場となった[5]。
同じく2010年からは『クラシックジュニアカップ』という「出走馬の父が中央競馬の牡馬クラシック三冠(皐月賞・東京優駿・菊花賞)優勝馬」のみという競走が行われている。
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川崎競馬場 小向厩舎
川崎競馬場は施設が狭いために厩舎が併設されておらず、厩舎は幸区小向仲野町の多摩川沿いの一画にある。
また、厩舎地区と多摩沿線道路を挟んだ向かい側の多摩川の河川敷に1周1200mの調教用のダートコースがあり、調教はこのコースで行われる(地図上では川崎競馬練習馬場と表記されている)。
馬がコースと厩舎を行き来する際は、厩舎前の多摩沿線道路を横断することになる。
厩舎前には横断歩道と押しボタン式信号機が設置されており、信号が青に変わった際には馬が警備員の誘導で横断歩道を渡って馬場へ行き来している(なお、今のところ馬と車の接触事故は発生していない)。
調教用コースは公開の河川敷であるため、土手や河川敷から調教風景を眺めることができる。
また、走路等禁止された区画でなければ内馬場に相当する区画にも立ち入ることができる。
調教用コースは左回りで使用する日と右回りで使用する日が1日おきに定められている。
このコースは台風や大雨で多摩川が増水するとしばしば水没するのが関係者の悩みの種だという。
2007年9月7日に台風9号が首都圏に上陸した際には多摩川の増水でコースが水没、同月12日からの開催に出走を予定していた馬は川崎競馬場で調教せざるを得なくなった。
しかし、河川敷ゆえに川風が吹いているため、都市部のトレセンというイメージの割には空気が綺麗であり、これが川崎から南関東のトップクラスの馬が出る原動力の一つになっていると評する競馬関係者もいる。
かつては小向厩舎地区の馬房数不足を補うために調教師が競馬場周辺に独自の厩舎(外厩)を開設することが認められていたが、調教師の人数が減ったため2001年11月にこの形の外厩制度は廃止された。
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川崎競馬場 場外発売所
ジョイホース横浜(会員制) - 横浜市中区桜木町1-1ぴおシティ7F(2010年12月13日開設)
自場の管理としては初の場外勝馬投票券発売所となる。
その他の詳細は大井競馬場#場外馬券売場を参照。
大井競馬場・船橋競馬場・浦和競馬場
オフト後楽園・ひたちなか・大郷・新潟
オープス中郷・オープス磐梯
三条場外発売所
益田場外発売所
ニュートラックかみのやま・松山・いいたて
川崎競馬場 主な競走
川崎競馬場 ダートグレード競走
川崎記念(統一JpnI)
関東オークス(統一JpnII)
エンプレス杯(キヨフジ記念)(統一JpnII)
ホクトベガメモリアルスパーキングレディーカップ(統一JpnIII)
全日本2歳優駿(統一JpnI)
2006年にはジャパンブリーディングファームズカップが開催された。
重賞競走 [編集]
ロジータ記念(SI、2011年から地方交流となる)
報知オールスターカップ(SIII)
クラウンカップ(SIII、開催時期変更のため2010年度は施行なし)
川崎マイラーズ(SIII)
スパーキングサマーカップ(SIII)
戸塚記念(SIII、2011年からSII)
ローレル賞(SIII、2011年から地方交流となる)
鎌倉記念(SIII、2007年から地方交流)
川崎競馬場 騎手交流戦
佐々木竹見カップ・ジョッキーズグランプリ(2003年から開催中)
川崎競馬場 JRA2歳認定競走
(JRA認定)新馬(認定初出走:2,000,000円)
川崎競馬場 所属騎手
小向厩舎内を行き交う競走馬
伊藤裕人(いとう ひろと)
岩城方元(いわき まさゆき)
金子正彦(かねこ まさひこ)
今野忠成(こんの ただなり)
郷間勇太(ごうま ゆうた)
酒井忍(さかい しのぶ)
佐藤博紀(さとう ひろのり)
山林堂信彦(さんりんどう のぶひこ)
田中涼(たなか りょう)
中地雄一(なかち ゆういち)
拜原靖之(はいばら やすゆき)
藤江渉(ふじえ わたる)
本田紀忠(ほんだ のりただ)
前住和寿(まえずみ かずとし)
増田充宏(ますだ みつひろ)
町田直希(まちだ なおき)
森下博(もりした ひろし)
山崎誠士(やまざき せいじ)
山野勝也(やまの かつや)
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川崎競馬場 コース概要
馬場:1周1200m 左回り平坦、砂厚8.5cm
直線(4コーナーからゴール板まで): 300m
コース幅: 25m
距離設定: 900m、1400m、1500m、1600m、2000m、2100m
最大出走頭数(フルゲート): 1500m、1600m、2100mは14頭、それ以外は12頭である。
ダートコースの砂は従来は仙台産のものが使用されていたが、2011年5月から青森産の砂に入れ替えられている。
川崎競馬場 施設概要
川崎競馬場パドック
スタンド
1号スタンド(1983年12月竣工)、2号スタンド(1997年4月竣工)、3号スタンド(1971年3月竣工)があるが3号スタンドは2010年11月から外向きのグッズ売場を除いて閉鎖されている[2]。
指定席は1号スタンド4階(特別観覧席B 2000円)、2号スタンド3階(指定席 1000円)、4階(特別観覧席A 2500円)にある(ただし、2011年度は節電対策のため2号スタンド3階の指定席は閉鎖されている)。指定席についてはCNプレイガイドで事前予約可能となっている。
2号スタンド1階には、日本最多勝利数の記録を持つ佐々木竹見元騎手を記念するギャラリーが設置されている。
川崎競馬場 ナイター
ナイター競馬の開催場で、1995年より「カワサキ・スパーキングナイター」という名称で実施している。
2002年8月よりナイター競走期間中の最終競走発走予定時刻が20時50分となった。2006年7月現在、大井競馬場と並んで最終競走の発走予定時刻は日本のナイター競走施行場(他種公営競技含む)で2番目に遅い(最も遅いのは高知競馬場で20時55分)。
2004年の年末開催には薄暮競走である「クリスマス・プチナイター」を実施した。
2009年より12月開催を通常のナイター開催より1時間程繰り上げて発走(第1レース14時台、最終レース19時40分)する「セミナイター」で実施。
川崎競馬場 敷地
全国の競馬場で最も敷地面積が狭く、全国の競馬場で唯一向正面の奥に大型ビジョンが設置されている(簡単に言うならば競艇場などと同様のレイアウトである)。このため、内馬場の芝生スタンドからも大型ビジョンによりオッズなどの情報を容易に取得する事ができる。
その後、2006年に東京競馬場に設置されたターフビジョンが面積660m²で、世界最大となっていたが、川崎ではキングビジョンと旧大型映像装置の筐体を一体的に活用して、2009年6月に改めて世界最大面積1152m²の「川崎ドリームビジョン」として再整備され[3]、2010年にギネス・ワールド・レコーズに認定された(2011年現在はドバイのメイダン競馬場のものが最大である。)。メーカーは富士通フロンテック。
フルゲート14頭立ての競走でも馬単の全オッズが1画面で表示可能である。
内馬場地区の東半分は一般駐車場となっている。
また西半分は投票所と芝生スタンドとして開放され、メインスタンド側とは地下通路で繋がっている。なお、芝生スタンドの芝は施設所有者であるよみうりランドのゴルフ場のノウハウを用いた手入れが行き届いている。
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