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コスモオオゾラの中山金杯1週前、びっしり追い切られましたね。

コスモオオゾラの日刊スポーツ賞中山金杯での完全復活を期待したいなあ。

1月5日の中山金杯(G3、芝2000メートル)に出走するコスモオオゾラ(牡4、高橋博)は28日、ウッドコースでびっしり追われましたね。
柴田大知騎手がまたがり、6ハロン85秒3-12秒3のタイムです。

「もっと走れる馬。前走も状態は悪くなかったけど、あまり反応してくれませんでした。変わってきてほしい」とは柴田大知騎手。

 骨折明けで急仕上げだった菊花賞17着はまあ仕方なかったとしても2戦目の金鯱賞11着は不本意でしょう。
なにしろ弥生賞を勝ち、皐月賞4着と相性が抜群の中山2000メートルですから期待したいなあ。

コスモオオゾラってどんな馬?

生誕 2009年2月17日(3歳)
登録日 2011年9月1日
父 ロージズインメイ
母 マイネシャローナ
母の父 コマンダーインチーフ

馬主 ビッグレッドファーム
調教師 高橋義博(美浦)

コスモオオゾラ競走成績

生涯成績 9戦3勝
獲得賞金 9016万5000円
勝ち鞍 GII:弥生賞(2012年)

コスモオオゾラの経歴

コスモオオゾラ2011年
デビューは9月25日の中山の芝1600m戦。13頭立てで最低人気だったが直線伸びて4着に健闘した。次走の10月16日の東京の芝1800mの未勝利戦は重馬場ながら先行で粘り差のない2着に入る。

そして11月5日の同じ東京の芝2000m未勝利戦は先行から直線抜け出して3戦目初勝利となった。昇級した12月3日の500万下の葉牡丹賞は不良馬場ながら直線差しきって2連勝となった。

コスモオオゾラ2012年
初戦となった共同通信杯は先行するも伸びを欠き5着に敗れる。そして弥生賞は人気になったアダムスピークの馬場に苦しむのを横目に直線差しきり、重賞初制覇を飾った。

鞍上の柴田大知は1997年のエアガッツ以来約15年ぶりの平地重賞制覇。調教師の高橋義博もこれが平地重賞初制覇。
ロージズインメイ産駒にとってもこれがJRA重賞初制覇となった。

そして4月15日の皐月賞では道中好位追走も直線伸び切れずゴールドシップの4着に敗れる。5月27日の日本ダービーは中団追走も直線伸び切れず6着に敗れる。レース後、両第1指骨剥離骨折が判明し、休養することとなった。
休養あけとなった菊花賞はいいところなく17着惨敗となった。

コスモオオゾラ 競走成績
競走日      競馬場 競走名 格 距離 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 タイム(上り3F) 着差 騎手 斤量 1着馬(2着馬)
2011.9.25 中山      2歳新馬 芝1600m(良) 13 7 11 216.0(13人) 4着 1:38.4 (34.2) 0.4 中谷雄太 54kg アルフレード
10.16      東京 2歳未勝利 芝1800m(重) 6 2 2 9.7(5人) 2着 1:52.0 (34.3) 0.0 中谷雄太 55kg ハードロッカー
11.5      東京 2歳未勝利 芝2000m(良) 12 6 7 2.6(2人) 1着 2:03.2 (34.2) -0.3 中谷雄太 55kg (スーパームーン)
12.3      中山 葉牡丹賞 500万下 芝2000m(不) 14 7 12 11.3(6人) 1着 2:04.5 (36.9) -0.1 中谷雄太 55kg (メイショウカドマツ)
2012.2.12 東京 共同通信杯 GIII 芝1800m(良) 11 7 9 32.2(7人) 5着 1:48.9 (34.0) 0.6 柴田大知 56kg ゴールドシップ
3.4      中山 弥生賞 GII 芝2000m(稍) 15 3 5 29.1(9人) 1着 2:03.9 (35.0) -0.2 柴田大知 56kg (トリップ)
4.15      中山 皐月賞 GI 芝2000m(稍) 18 7 15 18.5(6人) 4着 2:01.8 (36.4) 0.5 柴田大知 57kg ゴールドシップ
5.27      東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 18 4 7 44.1(10人) 6着 2:24.1 (34.1) 0.3 柴田大知 57kg ディープブリランテ
10.21      京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 18 6 12 39.8(9人) 17着 3:10.2 (42.6) 7.3 岩田康誠 57kg ゴールドシップ

コスモオオゾラ 血統表

コスモオオゾラの血統 (ヘイロー系 / Raise a Native 9.38% 5x5x5、Halo 9.38% 4×5、Hail to Reason 6.25% 5×5、Northern Dancer 6.25% 5×5)


*ロージズインメイ
Roses in May
2000 青鹿毛 Devil His Due
1989 黒鹿毛 Devil’s Bag Halo
Ballade
Plenty O’Toole Raise a Cup
Li’l Puss
Tell a Secret
1977 黒鹿毛 Speak John Prince John
Nuit de Folies
Secret Retreat Clandestine
Retirement


マイネシャローナ 2002
鹿毛 *コマンダーインチーフ
Commander in Chief
1990 鹿毛 *ダンシングブレーヴ Lyphard
Navajo Princess
Slightly Dangerous Roberto
Where You Lead
*ザナック
The Knack
1993 黒鹿毛 Machiavellian Mr. Prospector
Coup de Folie
Once In My Life Lomond
No Disgrace F-No.11-e

10月7日(日)にフランスのロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞に出走予定のオルフェーヴルの調教は!?

 10月7日(日)にフランスのロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞に出走を予定している日本馬の調教状況及び関係者のコメントは以下の通り。

★凱旋門賞(国際G1 芝・2400m)
 オルフェーヴル (牡4歳 栗東・池江泰寿厩舎)
 アヴェンティーノ(牡8歳 栗東・池江泰寿厩舎)

<今日の調教状況>
 調教コース:ラモルレー調教場 坂路(ダートコース)
 調教内容:一本目 ハッキング(軽めのキャンター)800m
      二本目 キャンター1200m

●池江泰寿調教師のコメント
 オルフェーヴルについて
「今日で調教も3日目となり、環境にも大分慣れてきたようでここまで順調にきています。今週土曜日には800mを1ハロン15秒くらいのペースでの調教を行う予定です。来週月曜日にはC.スミヨン騎手に調教をお願いしており、水曜日には芝コースでの追い切りを予定しています。」
 アヴェンティーノについて
「アヴェンティーノも順調にきており、環境に十分馴染んでいるようです。アヴェンティーノがいるおかげでオルフェーヴルが落ち着いていられるところもあり、彼の存在は頼もしい限りです。」

(JRA発表のリリースによる)

「消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」で島田明宏氏がJRA賞馬事文化賞を受賞!

JRAは、馬事文化賞に島田明宏氏著「消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」を選出しました。


消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」の概略

 史上最年少の20歳3か月で日本ダービーを制した前田長吉騎手の伝記。

1942年(昭和17年)春季にデビュー、その2年後の秋に徴兵され、満州に出征、戦後はシベリアに抑留、強制労働により1946年(昭和21年)2月、23歳で夭逝した。

これまで彼の人生、特に競馬界での活躍は、戦争の混乱期の短期間であったため、資料が散逸し、聞き取り調査の対象者が鬼籍に入られ、その多くが謎に包まれていた。

著者が「私のライフワークというべき作品をお届けできることを嬉しく思う」と巻頭に記しているとおり、まさに足かけ5年の歳月をかけて長吉の人生を明らかにした労作。

・受賞の理由
 受賞作の「消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」は、1943年にクリフジに騎乗しダービージョッキーとなった前田長吉の人生を丹念に調べ上げ、今まで謎に包まれていた同騎手の人生を世に知らしめた点が評価されました。

また、近代競馬150周年を迎えた今年、その150年の中で日本がもっとも苦難に直面した第二次世界大戦中の競馬の模様、またその戦争に翻弄された騎手・前田長吉の悲運を興味深く描いた点も併せて評価されました。


・島田明宏氏のコメント
「競馬の文章を書き始めて20年以上となりますが、ずっと意識していた賞でした。自分としては遠いものと思っていたので、今回の受賞は非常に嬉しいの一言です。競馬に関する物語をこれからもずっと書き続けていきたいと思います。」


島田 明宏(しまだ あきひろ、1964年11月2日 – )は日本のライター。北海道札幌市生まれ。専門・得意分野は競馬、インタビュー、書評、紀行文など。作家・伊集院静を私淑している。

島田 明宏プロフィール

北海道札幌西高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部政治学科中退。 高校在学時サッカー札幌選抜メンバーとして国体予選に出場するも、右膝前十字じん帯断裂のため選手生活を断念。 早大在学中より執筆活動開始。テレビ朝日『プレステージ』、フジテレビ『FNN DATE LINE』、ニッポン放送の早朝番組などの構成を担当。ほぼ同時期に雑誌「GORO」「ホットドッグ・プレス」などでライター業を始める。

島田 明宏 執筆活動

島田 明宏 ノンフィクション

1987年秋から1年ほど東京中日スポーツのレース課で仕事をする。

1990年夏から武豊騎手のアメリカ遠征に同行するようになり、「Number」「別冊宝島」「競馬の達人」「おもしろ競馬塾」「ヤングマガジン」「週刊文春」「週刊アサヒ芸能」などで競馬関連の原稿を書くようになる。

並行して男性誌や自動車専門誌でF1やWRC (世界ラリー選手権)などモータースポーツ関係の取材記事、「週刊朝日」「DIME」「プレジデント」「週刊ポスト」などでノンフィクション、書評などを書く。「大人の休日倶楽部ジパング」で「益子焼紀行」「早春の鎌倉紀行」など紀行文を執筆。

島田 明宏 小説、漫画原作

集英社「青春と読書」1998年10月号に「鞍上のバレット」、1999年5月号に「ラストステッキ」、同年9月号に「ジイさんの半マイル」、日本中央競馬会「優駿」2006年6月号に「青い鞭」などの短編小説を寄稿。

学研「4年の学習」で子ども向けの物語「竹のムチがくれた夢」「まぼろしの鬼」「ナイス・ストレート」などを執筆。
講談社「BE・LOVEパフェ」に「たった一度の駒くらべ」、集英社「週刊ヤングジャンプ増刊『漫革』」に「のりこののりは法律の法」など漫画の原作を書く。

島田 明宏 連載エッセイ

「週刊競馬ブック」で「競馬は本音で」、その後「競馬ことのは」を隔週連載。「一筆啓上」も年数回。
「スポーツ報知」でGI予想コラムを連載中。
「UMAJIN」で「UMAJIN eye」、その後「島田明宏のフォーカス」を連載中。

島田 明宏 文庫解説

むかい風(伊集院静、集英社文庫、1998)
眺めのいい人(伊集院静、ゴマ文庫、2007)

島田 明宏 著書

わたしの馬が、ターフを走る(オーエス出版社、1994)
「武豊」の瞬間(集英社、1997 のち文庫、1999)
凶走(講談社、1999)
ありゃ馬こりゃ馬で勝ち馬を探せ!(講談社、1999)
蛯名正義フォトエッセイ 冷めて、静かに、熱くなれ(講談社、2000)
武豊対談集 頂上を駆ける(ザ・マサダ、2000 のち廣済堂文庫、2002)
武豊インタビュー集 戴冠(廣済堂出版、2002)
武豊インタビュー集 美技(廣済堂出版、2003)
武豊インタビュー集 躍動(廣済堂出版、2004)
ディープインパクト 無敗の三冠馬の真実(廣済堂出版、2005)
ありがとう、ディープインパクト 最強馬伝説完結(廣済堂出版、2007)
武豊インタビュー集スペシャル 勝負篇(廣済堂文庫、2007)
武豊インタビュー集スペシャル 名馬篇(廣済堂文庫、2007)
伝説の名ジョッキー 歴史をつくった天才たちの光と影(ゴマブックス、2008)
ウオッカ物語 競馬史に残る美しき名牝(廣済堂出版、2010)
消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡(白夜書房、2011)

島田 明宏 訳書

きらめく瞳に会った(ボブ・コンスタンデュロス著、山海堂、1993)

島田 明宏 賞歴

2009年 – 「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨[1]
2012年  「消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」で馬事文化賞
島田 明宏 脚注

^ 第26回さきがけ文学賞(秋田魁新報社)

もう誰もドリームジャーニーの弟と呼ばないオルフェーヴル!年度代表馬おめでとう!!

オルフェーヴル!文句なしの年度代表馬、おめでとうございます。
現役最強牝馬、最強世代を押し退けての受賞ですからね。今年も大活躍を期待します。

もう誰もドリームジャーニーの弟と呼ばなくないでしょう。
今年はオルフェーヴルの全弟がデビューしますので、この馬も自分の名前で皆に覚えられるような競走馬になるkとを祈ります。

日本中央競馬会(JRA)は、2011年度のJRA賞でオルフェーヴル(栗東・池江泰寿きゅう舎)が年度代表馬に決まったと発表しました。

オルフェーヴルは史上7頭目の3歳クラシック三冠馬。有馬記念も制覇。オルフェーヴルは最優秀3歳牡馬も受賞。

最優秀4歳以上牡馬は、日本馬としてドバイ・ワールドカップを初めて制したヴィクトワールピサ。
最優秀4歳以上牝馬には、ジャパンカップ優勝でGI通算6勝目を挙げ、有馬記念を最後に引退したブエナビスタ。 

アドマイヤコスモス、骨折ですね・・・。もう少し早く競争中止にできなかったかな・・・。

1月5日、中山競馬場で開催された中山金杯で、16着に敗れたアドマイヤコスモスは右第3中手骨複骨折を発症していたそうです。

中手骨複骨折・・・。
これは、通常だと予後不良になるケースですね。
もしかすると、競争能力は喪失するかもしれませんが、これだけの馬です、何とか命だけでも助かって欲しい。

恐らくアドマイヤコスモスは骨折していながらも頑張ってしまったのでしょう。
4コーナーに入ってもアドマイヤコスモスは怪我した方の脚をかばって逆手前で走ってましたからね。
そして直線の坂を登り切ったところでは脚がガクガクしていました・・・。

正直、もう少し早く止めることが出来なかったのかと思います。
直線の半ばではもう馬は脚をかばって走っているのがわかりますから、騎手は異常が分かるはずです。


アドマイヤコスモスは父アドマイヤマックス、母アドマイヤラピス(母父Be My Guest)という血統で、半兄に中山金杯を連覇したアドマイヤフジなどがいる。名古屋で2連勝した後、中央に再転入。そこから5連勝、前走の福島記念(GIII、芝2000m)で重賞初制覇を飾っており、中山金杯では圧倒的な1番人気に推されていました。

京都金杯、公開予想で軸にしショウリュウムーンは4着!小牧騎手コメントの通り、3着は欲しかったです。

京都金杯、レース後の騎手コメント

・ショウリュウムーン 4着 小牧騎手 3着は欲しかった。理想のポジションを取れたし、ちょうどいいところだった。最後も伸びているんだけど。

 ・アスカトップレディ 3着 酒井騎手 
1600メートルだったらしっかりこれると分かった。ただ外枠だったので、なかなか前に壁を作れなかった。それでも最後の手ごたえからして、かわせると思ったんですが。


・オセアニアボス 7着 武豊騎手 スタートが以前より出なくなっている。それでポジションが後ろになってしまった。ペースが速くなったので、いいかなと思ったんだけどね。最内の進路を取れて伸びているが。1400メートルがベストかな。

・ブリッツェン 9着 秋山騎手 いい馬でした。うまくかみあえば、もっとやれそうです。

・ヤマカツハクリュウ 10着 川須騎手 テンは押していって、ポジションを取りに行きました。その分、最後はダラダラという感じになってしまいました。

・オースミスパーク 11着 川島騎手 何が何でも行ってくれという指示だったんですが、シルポートが速かったので…。最後は盛り返していました。
 

上原博之師、東西金杯で見事に馬券に絡みました!ダイワメジャーを育てた厩舎ですから、今年は期待大ですね!

中山金杯のダイワファルコンは、惜しくも2着。京都金杯マイネルラクリマは、余裕の勝利。

管理する上原博之師は、中央大学卒のインテリ調教師。昨年は21勝で調教師リーディングで48位。開業20年目で今年ブレイクするかもしれません。注目します。


上原博之

出身地 茨城県土浦市
(出生は千葉県我孫子市)
生年月日 1957年1月25日(54歳)
所属団体 日本中央競馬会
初免許年 1993年(1994年開業)
重賞勝利 19勝
G1級勝利 5勝
経歴
所属 柄崎義信(1980年 – 1983年、調教助手)
和田正道(1983年 – 1993年、調教助手)
美浦T.C.(1994年 – 現在)

上原 博之(うえはら ひろゆき、1957年1月25日 – )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する調教師。主な管理馬にGI競走で5勝を挙げたダイワメジャーがいる。所属場は美浦トレーニングセンター。茨城県土浦市出身、茨城県立土浦第三高等学校を経て中央大学法学部卒。

上原 博之 経歴

1957年、千葉県我孫子市に生まれる。1歳の時に茨城県土浦市に転居し、以後土浦で育った。父親は農協系の団体職員で獣医師資格を持ち、この影響もあって幼少の頃から動物好きだった。

土浦第三高等学校では父の勧めで馬術部に所属。3年次には主将を務め、1974年の茨城国体では県代表選手として個人準優勝、団体で優勝を経験している。高校卒業後は馬術選手としての推薦で中央大学に進み、ここでも3、4年次に主将を務めた。大学時代は4年次に出場した関東大学馬術選手権で優勝、全日本学生選手権では個人3位、団体5位の成績を残した。

就職先には日本中央競馬会を希望していたが採用されず、留年を選択した後に乗馬インストラクターの資格を取得するためイギリスに留学。4ヶ月間の研修を経て帰国の翌春に大学を卒業し、静岡県御殿場市のホテル兼乗馬クラブにアシスタントマネージャー兼インストラクターとして就職した。しかし半年後、恋人(後の妻)と美浦トレーニングセンターを見学に訪れた際、知己であった獣医師に競走馬の調教に携わることを勧められ、直後に日本中央競馬会の調教助手資格を取得。1980年11月、紹介を受けた同場所属の調教師・柄崎義信厩舎に入った。

柄崎厩舎で3年過ごした後、和田正道厩舎へ移籍。ドバイでの研修などを経て調教師を志すようになり、1993年に通算5度目の受験で調教師免許を取得した。


上原 博之 調教師時代

1994年3月、茨城県美浦トレーニングセンターに自身の厩舎を開業。初勝利は同期開業調教師の中で最も遅く、同年7月3日の札幌開催における未勝利戦をノーブルグラスで勝ったのが最初となった。

しかし以後は順調に勝利を重ね、当年13勝を挙げた。翌1995年7月には初勝利馬ノーブルグラスが札幌スプリントステークスを制し、重賞初勝利を挙げる。当年は重賞2勝を含む24勝を挙げ、関東の優秀調教師賞を受賞。以後毎年概ね15-20勝前後の成績を維持する中堅厩舎として定着している。

2004年、管理馬ダイワメジャーが皐月賞を制し、GI競走およびクラシック競走初制覇を果たす。同馬は後に競走能力に影響を及ぼす喘鳴症を発症して低迷に陥ったが、手術を施した後は立て直すことに成功し、2007年末の引退までに5つのGI競走に優勝した。

同馬に代表されるように、「ダイワ」を冠名とする有力馬主・大城敬三所有馬の関東における主戦厩舎を担っている。また、自身の管理馬が出走しないGI競走当日には、テレビの競馬中継で解説者としての出演もこなす。

上原 博之 調教師成績

     日付     競馬場・開催 競走名        馬名   頭数 人気 着順 

初出走1994年3月5日 2回中山3日12R 5歳上500万下 メイスンボサツ 16頭 12 11着
初勝利 1994年7月3日 1回札幌8日3R 4歳未勝利 ノーブルグラス 8頭 1 1着
重賞初出走 1994年4月9日 3回中山5日9R 中山大障害(春) ロンゲット 6頭 5 5着
重賞初勝利 1995年7月16日 2回札幌4日11R 札幌スプリントS ノーブルグラス 16頭 9 1着
GI初出走 1995年10月29日 4回東京8日10R 天皇賞(秋) スガノオージ 17頭 8 15着
GI初勝利 2004年4月18日 3回中山8日11R 皐月賞 ダイワメジャー 18頭 10 1着


上原 博之 主な管理馬

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
ノーブルグラス(1995・1996年札幌スプリントステークス)
スガノオージ(1995年毎日王冠 1996年カブトヤマ記念)
ダイワルージュ(2000年新潟3歳ステークス)
ダイワメジャー(2004年皐月賞、2006年天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ、2007年安田記念、マイルチャンピオンシップなど重賞8勝)
フェリシア(2004年フェアリーステークス)
ショウナンタキオン(2005年新潟2歳ステークス)
プレミアムボックス(2008年オーシャンステークス 2009年CBC賞、京阪杯)
ダイワワイルドボア(2008年セントライト記念)

松岡騎手、年明け早々痛いですね。せっかく京都金杯を勝ったのに左足骨折ですか!

松岡騎手1月5日の京都12Rで落馬、骨折です。
せっかく1年ぶりに重賞(京都金杯)を勝って、幸先の良い2012年だったのに、残念ですね。

とにかく命に別状なくて良かったです。

パトロールフィルムでは、仰向けに地面に落ちてそのまま騎乗馬に踏まれたように見えました。
もろに胸部から腹部あたりを怪我したようだったので心配しましたが、不幸中の幸いでしたね。

体調を万全にして、是非、早く復帰して欲しいですね。

それにしてもこれで約1年間で3度目の骨折です。昨年は勝ち星がいきなり半分になったり、流れが悪過ぎますね。
この骨折から立ち直って、運気も上昇させてもらいたいです。

ファーストスター、天馬賞楽勝!

2012年1月3日、帯広競馬場で行われた第5回天馬賞(5歳上、ダート200m、1着賞金90万円)は、藤本匠騎手騎乗の6番人気ファーストスターが、優勝しましたね。おめでとうございます!


ファーストスター(牡5)
父:ニュートリノ
母:ナナエコトブキ
母父:ヤマサリュウ
厩舎:ばんえい・長部幸光
通算成績:98戦20勝(重賞1勝)

スターシップ、南関重賞の報知オールスターCを勝ちましたあ!!

2012年1月3日、川崎競馬場で行われた第48回報知オールスターカップ(4歳上・ダ2100m、1着賞金1500万円)は、
石崎駿騎手騎乗のスターシップが優勝しましたね。

強かったです。
今日はまだ馬体が重かったので、まだまだ本調子でなかったと思います。
川崎記念が目標でしょう。やれると思います!

スターシップ(牡8)
父:クロフネ
母:フラワーフェア
母父:ジャッジアンジェルーチ
厩舎:船橋・出川克己
成績:38戦7勝(重賞1勝)

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