柴山雄一 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

柴山雄一

中学校3年生の時に、競馬学校に関するドキュメンタリー番組を見た母親から騎手を勧められ、JRAの競馬学校の願書も母親が勝手に取り寄せたという。この母親の勧めが契機となり騎手を志すようになった。

しかし、12期生入学試験の時から競馬学校を受験するも、3年連続で不合格となった。最初の受験時には福永祐一や細江純子らと一緒になり、次の年には武幸四郎や勝浦正樹らと、最後の年には酒井学や池添謙一らと一緒に受験した。

その後、当時アルバイトをしていた滋賀県の牧場から笠松競馬場を紹介され、高校3年生の1学期で学校を中退し、受験先を地方競馬教養センターに切り替えて騎手を目指していくこととなった。

柴山雄一 笠松時代

1998年にデビュー。

2004年に同じ笠松競馬出身の安藤勝己の勧めもあり、JRAの騎手免許試験を受験する。
地方競馬騎手に対しては、中央競馬にて5年間で年間20勝以上を2回クリアすると一次試験の筆記試験が免除され二次試験から受験可能である特例が設けられていたが、柴山はこれに該当せず(柴山のそれまでの中央競馬での成績はわずか2勝であったため)、一次試験からの受験となった。

それでも猛勉強の末に見事試験に一発合格。笠松競馬からは安藤勝己に続く2人目の、地方競馬出身者としては前年の小牧太、赤木高太郎に続く4人目の移籍騎手となった。

地方通算成績3240戦393勝(JRA72戦2勝)。

柴山雄一 中央移籍後

2005年3月、美浦所属のJRA騎手として騎乗を開始。

当初、大阪府出身ということもあり、栗東所属を考えていたが、畠山吉宏調教師に誘われたことで美浦所属となった。名前の売り込みを兼ねてローカル競馬を中心に活躍。

2006年は正月の中山金杯をヴィータローザで制し、また5月14日にはJRA通算100勝を達成した。
2007年は第4回福島牝馬ステークスをスプリングドリューで制し、中央移籍後3年連続の重賞勝利を記録した後にはロックドゥカンブでラジオNIKKEI賞、セントライト記念を勝つなど目覚しい活躍を見せた。

レース後の審議の結果、騎乗馬は8着→14着に降着、自身も11月3日から11月11日まで、開催日4日間の騎乗停止処分となった。
2008年は第26回中山牝馬ステークスでヤマニンメルベイユに騎乗し、2008年初となる重賞勝ちを収めた。
それ以外ではヤマニンメルベイユを始めとする、栗田博憲厩舎の管理馬に騎乗することが多い。

柴山雄一 主な騎乗馬

グランリーオ(2005年中日新聞杯)
ヴィータローザ(2006年中山金杯)
シンボリグラン(2006年スワンステークス2着、マイルチャンピオンシップ3着)
スプリングドリュー(2007年福島牝馬ステークス)
ロックドゥカンブ(2007年ラジオNIKKEI賞、セントライト記念)
ディアヤマト(2007年兵庫ジュニアグランプリ)
ヤマニンメルベイユ(2008年中山牝馬ステークス、クイーンステークス)
ヤマニンキングリー(2009年札幌記念)

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