石橋守
石橋 守(いしばし まもる、1966年10月23日 – )は日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンター所属の騎手。
2003年から美浦トレーニングセンターに石橋脩が所属したため、競馬新聞などでの表記はフルネームの「石橋守」となっている。
石橋守来歴
京都競馬場・上田武司厩舎の厩務員である父・守義の長男として、1966年福岡県瀬高町(現・みやま市)にて出生。その後栗東トレセン設立に伴い1970年秋より滋賀県に移り住む。
父が厩務員という競馬に近い環境で育ち、幼稚園時から騎手になりたいという願望を抱くようになった石橋は小学校よりスポーツを始めるが、「競馬学校に行けば乗馬はいくらでもできる」として親の勧めもあり水泳を選ぶ。幼少時より病弱であった石橋だが水泳での鍛錬によりその体質が改善され、水泳の県大会で上位争いをするまでになったという。
その後競馬学校に進学した石橋は1985年3月3日、競馬学校第1期生(柴田善臣らと同期)として騎手デビューとなる。初騎乗を初勝利で飾った石橋はデビュー年は25勝を挙げ、新人賞を獲得するなど好成績を残す。翌年以降もコンスタントに2桁勝利を挙げ(デビュー以来、毎年2桁勝利を挙げている)、中堅騎手としての位置を確立していった。
1992年にミスタースペインで京阪杯・高松宮杯を制し初重賞制覇。この他ライブリマウントとのコンビで中央の重賞を3勝、当時はGIIだったフェブラリーステークス、地方競馬の帝王賞とマイルチャンピオンシップ南部杯を制覇するなどした。このライブリマウントとのコンビで日本調教馬として第1回のドバイワールドカップに遠征した[1]高松宮杯、フェブラリーステークスは後にGIに格上げ、帝王賞とマイルチャンピオンシップ南部杯も後のダートグレード競走の整備の際にGIに格付けされているため、GIタイトルの獲得は奇しくも逃してしまう。
ライブリマウントでの活躍以降は年間の勝ち鞍こそ2桁に乗せているが、これといってレベルの高い馬に出会うことが出来なかった。それでも関西の中堅騎手としての地位は揺るぎなく、競馬に対する真摯な態度から厩舎関係者や馬主の信頼も厚く、重賞でも人気を背負うような馬の騎乗を任されたりもしていた。しかしその重賞も勝てなくなり、1998年のウインターステークスをマチカネワラウカドで制して以降は重賞勝ちに恵まれていなかった。
メイショウサムソンに騎乗
2006年東京優駿
しかし、2006年には石橋にとって転機が訪れる。1月のシンザン記念をゴウゴウキリシマで制し約7年ぶりの重賞制覇を成し遂げると、新馬戦から乗り続けていた瀬戸口勉厩舎のメイショウサムソンとのコンビ[2]で皐月賞を制し騎手デビュー22年目にして初のGI制覇を成し遂げ、続く日本ダービーも制覇して二冠を獲得し、ダービージョッキーの仲間入りを果たす(三冠を賭けた菊花賞は4着に敗れた)。また、この年の暮れには騎手としての長年の功績が認められ、第39回日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞した。
2007年も引き続きメイショウサムソンとのコンビで大阪杯、天皇賞(春)を制したが、宝塚記念2着後に同馬の凱旋門賞挑戦が決定。同時にオーナーの意向で鞍上には武豊を迎えることとなり、コンビを解消することになる。その後、同馬に騎乗することはなかったが、2008年11月のジャパンカップでは武の落馬負傷により再び石橋が騎乗をしている。
2009年、マカオジョッキーシリーズに出場。最終第3戦の重賞G3オータムトロフィーを6番人気のGolden Pistolsで優勝し、海外での重賞初勝利となった[3]。
武が敬愛している先輩としても知られている。行動を共にすることも多く、実際に石橋が皐月賞を制覇したとき、武は自分のことのように喜んでいたという。また、メイショウサムソンがオーナーの意向で武に乗り替わった際も石橋からサムソンの癖などあらゆる点についてレクチャーを受け、後の天皇賞制覇に繋げた。また、栗東所属の騎手たちにも慕われ、皐月賞制覇の際には中山競馬場の騎手控え室で拍手が沸いたという。なお、石橋は武の実兄(一般人の次男)と同級生である。
石橋守表彰歴
1985年、関西放送記者クラブ賞(新人賞)
1992年、フェアプレー賞
2006年、第39回日本プロスポーツ大賞功労賞
重賞勝鞍(中央) [編集]
1992年
京阪杯(GIII)- ミスタースペイン
高松宮杯(GII)- ミスタースペイン
1994年
ウインターステークス(GIII)- ライブリマウント
1995年
平安ステークス(GIII)- ライブリマウント
フェブラリーステークス(GII)- ライブリマウント
1996年
小倉3歳ステークス(GIII)- ゴッドスピード
府中3歳ステークス(GIII)- ゴッドスピード
1998年
東海ウインターステークス(GII)- マチカネワラウカド
2006年
シンザン記念(GIII)- ゴウゴウキリシマ
スプリングステークス(GII)- メイショウサムソン
皐月賞(GI)- メイショウサムソン
東京優駿(GI)- メイショウサムソン
2007年
平安ステークス(GIII)- メイショウトウコン
大阪杯(GII)- メイショウサムソン
天皇賞(春)(GI)- メイショウサムソン
重賞級勝鞍(地方・海外) [編集]
1995年
帝王賞- ライブリマウント
ブリーダーズゴールドカップ- ライブリマウント
南部杯- ライブリマウント
2009年
オータムトロフィー-Golden Pistols
石橋守騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗・初勝利 1985年3月5日 1回阪神4日2R 4歳未勝利 カンキョウツバメ 15頭 3 1着
重賞初騎乗 1987年5月24日 3回東京2日10R 優駿牝馬 ルーペナイト 24頭 21 11着
重賞初勝利 1992年5月17日 3回京都8日11R 京阪杯 ミスタースペイン 16頭 1 1着
GI初勝利 2006年4月16日 3回中山8日11R 皐月賞 メイショウサムソン 18頭 6 1着
障害初騎乗 1987年1月5日 1回京都1日5R 障害未勝利 プロシルバー 12頭 8 中止
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1985年 25 18 34 337 .074 .128 .228
1986年 17 24 28 381 .045 .108 .181
1987年 19 13 9 265 .072 .121 .155
1988年 14 15 23 255 .055 .114 .204
1989年 18 16 18 280 .064 .121 .186
1990年 19 23 26 277 .069 .152 .245
1991年 20 22 27 324 .062 .130 .213
1992年 35 44 35 445 .079 .178 .256
1993年 28 32 43 448 .063 .134 .230
1994年 20 28 33 470 .043 .102 .172
1995年 20 24 36 454 .044 .097 .176
1996年 18 27 30 395 .046 .114 .190
1997年 22 22 22 397 .055 .111 .166
1998年 22 18 29 380 .058 .105 .182
1999年 20 27 18 404 .050 .116 .161
2000年 15 31 24 329 .046 .140 .213
2001年 21 28 23 405 .052 .121 .178
2002年 15 15 25 402 .037 .075 .137
2003年 13 12 23 310 .042 .081 .155
2004年 19 31 17 339 .056 .147 .198
2005年 18 22 23 341 .053 .117 .185
2006年 16 23 16 325 .049 .120 .169
2007年 11 22 15 394 .028 .084 .122
2008年 16 14 16 363 .044 .083 .127
2009年 5 7 6 302 .017 .040 .060
2010年 4 6 10 242 .017 .041 .083
平地 470 564 609 9264 .051 .112 .178
障害 0 0 0 1 .000 .000 .000
地方 22 14 16 151 .146 .238 .344
石橋守メディア出演
ウチくる(2001年4月8日) – 武豊がゲストの回に出演
ZONE(2004年1月18日) – 武豊がゲストの回に出演
武豊TV!
JRAマナーキャンペーンビデオ(2006年)[4]
石橋守参考文献
木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 4-89691-298-5
石橋守脚注
^ 石橋はドバイワールドカップに日本人で初めて騎乗した騎手である。
^ 当初瀬戸口は鞍上に福永祐一を考えていたが、新馬戦の日には福永は別場での騎乗があったため石橋が騎乗した。また、調教(追い切り)の多くは石橋自らが跨っている。
^ 石橋守騎手がマカオで重賞制覇 – netkeiba.com
^ ビデオギャラリー マナーキャンペーンビデオ(日本中央競馬会)
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