池添謙一
池添 謙一(いけぞえ けんいち、1979年7月23日 – )とは日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手である
池添謙一来歴
武豊に憧れて競馬学校に入り、14期生として1998年にデビュー。初騎乗は同年3月1日、阪神競馬第2競走のナチュラルカラーで12頭立ての6着だった。初勝利は同年3月14日の中京競馬第1競走でタヤスソシアルに騎乗してのものであった。この年にトウショウオリオンで北九州記念を制するなど38勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手を受賞した。
以前は海外遠征も積極的に行う騎手で2001年7月13日、ドーヴィル競馬場第4レースのHATHAARIでフランス初騎乗を果たした(18頭立ての着外)。このレースは武豊が騎乗予定であったが、前のレースで落馬負傷したため、翌日にデビュー予定であった池添に騎乗依頼があったもので、池添は見学に来ているため馬具を持ってきておらず、武やオリビエ・ペリエから馬具を借りてレースに臨んだ。
2002年4月7日、桜花賞でアローキャリーに騎乗、単勝13番人気の低評価を覆し初のGI勝利を挙げる。
デュランダルとのコンビでスプリンターズステークス(03年)やマイルチャンピオンシップ(03年、04年)を制覇。またスイープトウショウとのコンビで秋華賞(04年)と宝塚記念(05年)、エリザベス女王杯(05年)を制した。
2007年9月9日に史上73人目となるJRA通算500勝を達成した。また、同年12月2日の第59回阪神ジュベナイルフィリーズをトールポピーで制覇しJpnI勝利を収めた。
2008年5月25日、優駿牝馬(オークス)をトールポピーで制覇し、自身9度目のGI(JpnI)勝利を収めた。しかしこのレースでは、最後の直線走路で急に内側に斜行し、走行妨害に至らない危険騎乗をしたものとして開催2日間の騎乗停止処分をJRA裁定委員会より受けた(トールポピーに降着処分は科されてはいない)。この降着無しで騎乗停止という裁定に対しては、多くの競馬ファンや評論家から疑問の声があがった。
2009年12月27日、第54回有馬記念をドリームジャーニーで制覇。同年の6月28日に開催された宝塚記念も同馬で制覇しているため、自身初となる春秋グランプリ制覇も成し遂げる。
2011年4月24日、オルフェーヴルに騎乗し皐月賞で優勝。初の牡馬クラシック競走制覇となった。同年5月29日には、オルフェーヴルで日本ダービー優勝、牡馬クラシック2冠を達成した。デビュー14年目、7度目の挑戦でダービージョッキーの座を手にした。
池添謙一家族
父はJRAの元騎手で現調教師の池添兼雄。父の厩舎の主戦騎手としての騎乗も多い。父は騎手時代には障害競走を中心に騎乗し、重賞も制するなど障害の名手の一人であったが、子の謙一はデビュー以来一度も障害戦への騎乗がないまま、障害免許を返上している。
弟は父の厩舎に所属する調教助手の池添学。妹はバレット(=騎手の助手に相当するもの)を務めている。
妻はタレントの堀あかり。2008年11月に結婚した。
池添謙一人物
勝利するとよくガッツポーズをする騎手であり、まれに未勝利戦を勝ったときでもガッツポーズすることがある。2008年のオークスでは後に騎乗停止を受けるほどの斜行をしたにも関わらず、当人はそのことに気づかずに審議中にウィニングランを行ったほか、ガッツポーズや投げキッスなどの派手なパフォーマンスを行った(勝利騎手インタビューでは「他の馬に迷惑をかけてしまって」と青ざめた表情で反省していた)。
初のGI勝利となった2002年の桜花賞では、テレビ中継の勝利騎手インタビューや表彰式の馬上で号泣した。スイープトウショウで秋華賞を勝利したときにはデビュー時の所属厩舎である鶴留明雄の管理する馬での初GI勝利ということもあってかまた涙を流した。2009年の有馬記念優勝のときには中山競馬場内に池添コールが沸き起こり、念願のグランプリ制覇に感極まって、ここでも号泣した。さらに、2011年の日本ダービー優勝の際にも、ウイニングランやテレビ中継のインタビュー中に涙を見せた。
本人曰く「太りにくい体質」のため、他の騎手の多くが負担重量の関係で減量に苦しむ中、ほとんど減量の必要がないという。「サウナに入りながら『ガリガリ君』を食べるのが楽しみ」とのことだが、同じサウナで他の騎手が汗取りを行っている中で食べるため、1期先輩の武幸四郎によく怒られている[1]。
顔が落語家の月亭八方の息子である月亭八光に似ているとも言われるが、本人は雑誌のインタビューにおいて、「調子がいい時は周囲から『堂本剛や櫻井翔に似ている』と言われることがある」と答えている[2]。
池添謙一代表騎乗馬
スイープトウショウに手こずったというエピソードが数多くある。2005年の天皇賞(秋)では本場馬入場時に同馬が全く動こうとせず、返し馬を中止して係員がスタート地点まで引っ張っていき、池添がこれを追いかけていくという珍事もあった。
ヤマカツスズラン(2001年クイーンステークス、2002年マーメイドステークス、全日本サラブレッドカップ)
アローキャリー(2002年桜花賞)
デュランダル(2003年スプリンターズステークス、2003年・2004年マイルチャンピオンシップ)
スイープトウショウ(2004年チューリップ賞、秋華賞、2005年宝塚記念、エリザベス女王杯、2006年京都大賞典)
シーイズトウショウ(2004年・2005年函館スプリントステークス、2006年CBC賞、セントウルステークス)
プライドキム(2004年兵庫ジュニアグランプリ、全日本2歳優駿)
トールポピー(2007年阪神ジュベナイルフィリーズ、2008年優駿牝馬)
ドリームジャーニー(2008年小倉記念、朝日チャレンジカップ、2009年大阪杯、宝塚記念、有馬記念)
オルフェーヴル(2011年スプリングステークス、皐月賞、東京優駿)
カレンチャン(2011年阪神牝馬ステークス、函館スプリントステークス、キーンランドカップ)
池添謙一騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1998年3月1日 1回阪神2日2R 4歳未勝利 ナチュラルカラー 12頭 10 6着
初勝利 1998年3月14日 1回中京5日1R 4歳未勝利 タヤスソシアル 12頭 1 1着
重賞初騎乗・初勝利 1998年7月26日 4回阪神4日11R 北九州記念 トウショウオリオン 14頭 12 1着
GI初騎乗 2000年10月15日 4回京都4日11R 秋華賞 ヤマカツスズラン 18頭 7 2着
GI初勝利 2002年4月7日 2回阪神6日11R 桜花賞 アローキャリー 18頭 13 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 表彰
1998年 38 31 52 522 .073 .132 .232 JRA賞(最多勝利新人騎手)、関西放送記者クラブ賞
1999年 27 29 37 412 .066 .136 .226
2000年 40 34 38 422 .095 .175 .265 フェアプレー賞(関西)
2001年 62 51 62 579 .107 .195 .302 フェアプレー賞(関西)
2002年 79 59 51 689 .115 .200 .274
2003年 53 63 58 692 .077 .168 .251 フェアプレー賞(関西)
2004年 54 69 38 660 .097 .202 .259
2005年 58 59 53 639 .091 .183 .266
2006年 44 41 55 584 .075 .146 .240 中京競馬記者クラブ賞
2007年 62 60 48 638 .097 .191 .266
2008年 49 57 57 603 .081 .176 .270
2009年 48 59 50 579 .083 .185 .271
2010年 73 83 81 734 .099 .213 .323
中央 697 695 680 7753 .090 .180 .267
地方 15 18 19 186 .081 .177 .280
池添謙一メディア出演
『武豊TV!』および『武豊TV!II』では、「教えて豊さん」のコーナーでナビゲーターを担当している。
池添謙一その他
騎乗時の帽子の紐は赤を使用。
2005年と2006年の夏競馬において、2年連続で2回小倉5日目第7競走で落馬するという珍記録を持っている。『武豊TV!』での発言によると2005年は鎖骨骨折、2006年は意識不明で病院に運ばれるという結果を引き起こしたため、2007年は小倉に参戦することをやめようか本気で考えていたという。結果的には北海道シリーズ(札幌・函館)を中心に騎乗し、2007年の2回小倉5日目(7月28日)は函館に参戦した。
池添謙一脚注
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^ 『武豊TV!II』(フジテレビTWO)第11回
^ 『UMAJIN』2010年3月号
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