ジャパンカップは、なんと1着賞金が2億5000万円ですね!
およそ、サラリーマンの生涯収入に匹敵します。
賞金総額は4億7600万円・・・・。
まだまだ日本は、世界的にみたらスーパーな国なんでしょうね。
ジャパンカップ概要
この競走はグレード制導入以前の主要競走である八大競走ではないものの国際招待競走であり賞金額や開催規模などが八大競走に匹敵していたため、八大競走と同格に扱われることもありました。
外国から当競走に出走する場合には競走馬の輸送費、滞在に要する厩舎や飼料にかかる費用、馬主、調教師、騎手、厩務員(馬主、調教師、騎手についてはその配偶者も含む)の交通費や宿泊費はJRAが全額負担します。
このような遠征に要する諸費用の負担を外国からの全出走馬に行う競走(招待競走)は日本ではこのほかにジャパンカップダートがある。世界ではドバイミーティング(ドバイワールドカップなど)、香港国際競走がある。
2012年度現在の総額賞金は4億7600万円で1着賞金は2億5000万円、2着賞金は1億円、3着賞金は6300万円、4着賞金は3800万円、5着賞金は2500万円と定められており、日本国内の全競走の中で最高額であり、世界全体でもドバイワールドカップに次ぐ2番目である。
ジャパンカップの歴史
1970年後半に「世界に通用する強い馬づくり」が提唱され日本国外の調教馬を招待して国際競走を開催する計画も持ち上がっていたが、招待馬の選定にあたり日本国外の主要競走との日程競合が障害となり実現しなかった。
当時の日本最強馬といわれたスピードシンボリが高齢になりながらも現役を続行したのはそれまでの海外遠征で負け続けた分、この国際競走で外国馬を負かしたいという陣営の思惑が色濃く残っていたためだった。
1981年に記念すべき第1回ジャパンカップは開催された。優勝賞金は6500万円で天皇賞、有馬記念と同額。新設重賞としては破格の金額。
北アメリカとアジアから招待馬が選出されアメリカ、カナダ、インド、トルコ(来日後に故障し不出走)から出走馬が招待された。
「日本の馬が外国馬と対戦するレースが見たい」という第1回だったが、日本馬はサクラシンゲキが大逃げでスタンド(客席)を沸かせるも(後に同馬は「日の丸特攻隊」と呼ばれるようになる)ゴールドスペンサーの5着が最高だった。
フジテレビで実況を担当した盛山毅アナウンサーは日本の一流どころが外国馬(ヨーロッパ除く)の決して一流とは言えない面々相手に惨敗した様子を見て「日本は完全に敗れました!!」と叫びしばし絶句。
日本国外とのレベルの差を痛感する結果となる。
翌年からは招待範囲がヨーロッパ、オセアニアにも広げられ参加国の多さから「世界一の競走」、「競馬のオリンピック」と評されることもあった(現在でもワールド・ホース・クラシックとファンから言われている程)。
さらにその翌年(1983年)からは地方競馬の所属馬も招待対象に加えられた。第2回も日本代表馬がことごとく敗れるばかりで、まだ日本国外との差があったことを証明するレースであった。
しかし第3回の1983年になってキョウエイプロミスが2着と好走を見せた。
1984年にはJRAのグレード制導入によりGIに格付けされた。この年、前哨戦の天皇賞(秋)を快勝したミスターシービーと菊花賞を無敗で制したシンボリルドルフの新旧三冠馬2頭が参戦、日本勢初優勝の期待を大いに集めた。
しかし、日本馬の初優勝という褒章を得たのは単勝10番人気と期待の薄かったカツラギエースであった。
1992年には国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GIに指定されている。略称はJC(JはJAPAN、CはCUPのそれぞれの頭文字)。
1999年に成立したワールドレーシング・チャンピオンシップに初年度から加えられており、この年以降にほとんど馬産の行われていない香港、アラブ首長国連邦からも招待馬の選出がされている。また2000年から2006年までは外国馬がこの競走で優勝した場合に限り有馬記念の出走資格が与えられるようになった(2002年のファルブラヴと2005年のアルカセットが該当)が、行使した外国馬はいなかった。この制度は2007年に競馬が国際セリ名簿基準委員会から「国際パート1」に指定されたことを受けて発展廃止された。
2008年からジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定される。
2008年4月24日、フランスギャロ(フランス競馬統括団体)により凱旋門賞の1・2着馬がジャパンカップに優先招待されることが決まったと発表された。また、その他に3レースが同様の指定を受けている。
ジャパンカップの外国馬
かつてジャパンカップは日本馬の層が薄いことと賞金的な魅力もあり、数多くの外国馬が参戦しジャパンカップは外国馬の草刈り場のようになっていた。
しかし2000年代以降は検疫の厳しさや賞金的な魅力が相対的に薄れたことから、ジャパンカップに登録を済ませる欧州や北米などの各国一流馬は多いものの出走を回避する外国馬も少なくはない。
また、欧州馬は日程間隔が殆ど無く賞金が上がってきていて地元馬の層の薄いブリーダーズカップの芝競走や香港国際競走に照準を向けることが多い。
また、直航便の無くなったオセアニア勢の挑戦が少なくなったことも影響している。しかし2億5000万円という賞金は芝競走の賞金では国際的に見てもかなり高く、遠征費もJRAの全額負担でありかなりの厚遇となっている。第30回は久しぶりに8頭の外国招待馬が参戦を果たし、記念レースを大いに盛り上げた。
それでも外国馬の挑戦が減る理由としてはいくつかの例があげられるが、頻繁にあげられる理由が芝が主流の欧州のトップホースであっても速い時計に対応できない馬は日本の固い高速(時計の出る)馬場に適応できず惨敗することが多いからである。ジャパンカップが開催された当初はまだそれほど高速馬場化しておらず、加えて一部の日本馬を除いて日本馬と欧州馬のレベルに開きがあったために多少の不利でも勝利を挙げることはできた。
しかしその後は日本のトップレベルの馬が欧州馬などとも互角になり近年は日本馬の全体のレベルが欧州と遜色なくなってきていること、そして日本の高速馬場で力を発揮する日本馬が増えたことでその傾向はさらに顕著になり、日本の固い芝に対応するためスピードと瞬発力のある日本馬に欧州の深い芝に対応するスタミナとパワーを重視されているといわれる欧州馬が日本馬に瞬発力勝負で競り負けることが多い。
初期を除き欧州馬でジャパンカップで好走する馬はある程度速い時計に適応性がある馬であり、遠征する側もその点を踏まえて遠征する傾向がある。実際、このレースに勝った外国馬のファルブラヴはロンシャン競馬場の深い芝が合わなかったためこのレースへの出走を決意したという前例がある。
このように、もはや現在では日本の競馬と欧州の競馬は同じ芝でありながら全く違うものと考えられるようになっている。その傾向は種牡馬でも顕著に出ていてサドラーズウェルズなど欧州のリーディング上位に君臨する種牡馬を父に持つ競走馬が日本の競馬界ではあまり成功しておらず、サンデーサイレンスを筆頭にスピードのあるアメリカの種牡馬を父に持つ競走馬が多く活躍している。
この傾向もまた欧州勢のジャパンカップ回避に拍車をかけている可能性がある。
また種牡馬ビジネスが重要視される近年の欧米では一流馬の3歳の中には競走成績が非常に優秀であれば早期引退して種牡馬入りする場合も多く(特に欧州は多い)、無理に長距離遠征という過酷なことを強いその結果戦績を悪くすることは種牡馬入り後に響くためわざわざ勝ちにくいジャパンカップを選ぶことも少ない。
よって、2億5000万円の賞金よりも種牡馬として買い取られるときに発生する遥かに高い金額を優先する。近年ではキングジョージや愛チャンピオンSを勝ったスウェインや英愛ダービー馬ガリレオが種牡馬としての価値を高めようと凱旋門賞にすら出走せずダート競走の最高峰であるBCクラシックに出走するなど、種牡馬になった後のことを考えてレースを選ぶ傾向がある。また上記で説明されている日本の固い芝でたとえ外国馬が勝利を収めても、深い芝の欧州やダートが主流のアメリカにおいてはその勝利は種牡馬入りしてもあまり価値がない。そのため、近年ジャパンカップに勝った外国馬は日本の生産者団体に買い取られることが多い。
外国馬の出走馬の中には、ジャパンカップで上位入賞した後に他のG1競走を勝つなどの活躍することで有名になった海外馬も少なからず存在する。
代表例としては1982年の2着馬で翌年に凱旋門賞、ロスマンズインターナショナル、ターフクラシック招待ステークス、ワシントンDCインターナショナルと欧米のGI競走に多く勝利した牝馬オールアロング、
1996年の優勝馬で翌年のドバイワールドカップ、コロネーションカップ、インターナショナルステークスに優勝したシングスピール、2000年の3着馬でジャパンカップ後に香港カップ、タタソールズゴールドカップ、プリンスオブウェールズステークス、愛チャンピオンS、BCターフとGI競走を5勝して欧州年度代表馬および米国最優秀芝牡馬に選ばれ2年連続でワールド・レーシング・チャンピオンシップのチャンピオンとなったファンタスティックライト、2002年の優勝馬であり翌年エクリプスステークスやインターナショナルステークスなどのG1を勝ったファルブラヴが挙げられる。
逆に、その年の凱旋門賞を勝利して来日した馬は勝っていない。
それどころか複勝圏に入った馬も1996年に出走したエリシオのみで、その他のトニービン、キャロルハウス、アーバンシー、モンジュー、デインドリームらは馬券に絡むことすらできなかった。
出走したその年の凱旋門賞馬成績
年 馬名 結果
1988年 トニービン 5着(2番人気)
1989年 キャロルハウス 14着(7番人気)
1993年 アーバンシー 8着(10番人気)
1996年 エリシオ 3着(1番人気)
1999年 モンジュー 4着(1番人気)
2011年 デインドリーム 6着(1番人気)
ジャパンカップの国内馬
1990年代半ばには天皇賞(秋)や菊花賞などの優勝馬がこの後に1年の総決算とも言える有馬記念が控えていることもあって3戦連続のGI挑戦に慎重にならざるを得ないというローテーション上の問題から早々とジャパンカップ回避を公言するなど、日本の出走馬が小粒になるということもあった。この動きは八大競走時代の名残やジャパンカップの歴史がまだ浅いことから目指す目標の違いが回避か挑戦かに現れているとも言われていた。
しかし近年では賞金額が大幅に増額されたことや同一年に天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の全てに勝利した場合のボーナス制度ができたこと、宝塚記念から毎日王冠や京都大賞典を使わずに秋の天皇賞に直行する馬が増えたこと、さらに距離やコースの適性を尊重するようになってきた近代競馬では中距離の天皇賞(秋)を避けて中長距離のジャパンカップと有馬記念の2レース、または小回りの中山競馬場を嫌って天皇賞(秋)、ジャパンカップの2レースに照準を絞る陣営も増えてきている。その結果有力馬の回避は減少し、古馬に限っては故障以外の理由で回避することはほとんどない。
また、菊花賞が10月の第3週に開催されるようになってからは有力3歳馬の出走も増えてきている。なおクラシックに登録していない3歳(旧4歳)馬はクラシック競走への出走ができないため、三冠をあきらめる代わりに世界の強豪と対決することを目標とすることから本競走に照準を合わせる馬も少ないながらも存在する。
ジャパンカップの3歳馬
日本馬は優勝回数が17回と最も多いが、その内3歳馬の勝利は1998年のエルコンドルパサーと2001年のジャングルポケット、2010年のローズキングダムの3頭のみであと一歩のところで勝利できない馬も多い。
2・3着に敗れた3歳(旧4歳)の日本調教馬
年 馬名 結果 主な勝ち鞍、 備考
1984年 シンボリルドルフ 3着 牡馬クラシックを無敗で制した三冠馬
1988年 オグリキャップ 3着 元地方笠松所属
1993年 ウイニングチケット 3着 日本ダービー
1996年 ファビラスラフイン 2着 秋華賞
1998年 スペシャルウィーク 3着 日本ダービー
2002年 シンボリクリスエス 3着 天皇賞(秋)
2003年 ザッツザプレンティ 2着 菊花賞
2004年 コスモバルク 2着 地方ホッカイドウ所属
デルタブルース 3着 菊花賞
2006年 ドリームパスポート 2着
2008年 ディープスカイ 2着 NHKマイルカップ・日本ダービー
2009年 レッドディザイア 3着 秋華賞
2010年 ヴィクトワールピサ 3着 皐月賞
ジャパンカップ 出走資格
サラ系3歳(旧4歳)以上のJRAに選出されたJRA所属馬及び本競走に出走登録した外国馬(最大10頭まで)及び出走登録しJRAに選定された地方馬のみ出走が可能である。フルゲートは18頭。
ジャパンカップ日本馬の出走権
レーティング上位5頭に優先出走権が与えられる(レーティングが同じ値の場合は「近走成績や距離実績などを総合的に勘案して」順位をつけているとしている)。
その他は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる。
地方馬は、11月上旬までの成績をもとに収得賞金の総計により上位の馬1頭を候補馬とする。
1998年より2009年まで出馬投票締切前日までのGI、GII、GIII競走の1着馬、または出馬投票締切前日までの1年間での中央競馬のGI競走(ただし2歳馬の競走を除く)3着以内馬に限られていた。この規定は、1997年にスノーエンデバー(前走ハンデキャップ戦であるアルゼンチン共和国杯に50kgの軽斤量を活かし2着)がジャパンカップの登録馬が少なかっために出走できたことが物議を醸したからと考えられている(参考:大阪スポーツ)。
ジャパンカップ外国馬の出走権
ジャパンカップの招待決定は例年10月下旬から11月上旬に行われるため、招待が決定してもブリーダーズカップや香港国際レースに出走するため受諾できないケースがあった。そこで2008年より指定レースの優勝馬(レースによっては2着馬も)に対し優先出走権を与えることとし、早期に招待を出すことができるようになった[5]。宝塚記念がブリーダーズカップ・チャレンジの対象レースになったことに伴い、2011年からブリーダーズカップ・ターフも指定レースに追加された。
ジャパンカップ優先出走権を行使した競走馬
2008年 – ペイパルブル(キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス2着)
2011年 – デインドリーム(バーデン大賞、凱旋門賞1着)、シャレータ(凱旋門賞2着)
開催国・競走名 格付 施行競馬場 施行距離 優先出走権対象馬 優先出走権付与年
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス G1 アスコット 芝12f 1着馬・2着馬 2008年 –
凱旋門賞 G1 ロンシャン 芝2400m
アイリッシュチャンピオンステークス G1 レパーズタウン 芝10f 1着馬
バーデン大賞 G1 バーデンバーデン 芝2400m
アーリントンミリオン G1 アーリントンパーク 芝10f 2009年 –
ブリーダーズカップ・ターフ G1 持ち回り 芝12f 2011年 –
ジャパンカップ負担重量
定量で3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬は2kg減である。
ジャパンカップ賞金
グレード制が施行された第4回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金 1着 2着 3着 4着 5着
第4回(1984年) 1億4,250万円 7,500万円 3,000万円 1,900万円 1,100万円 750万円
第5回(1985年) 1億4,880万円 7,800万円 3,100万円 2,000万円 1,200万円 780万円
第6回(1986年) 1億5,200万円 8,000万円 3,200万円 800万円
第7回(1987年) 1億6,150万円 8,500万円 3,400万円 2,100万円 1,300万円 850万円
第8回(1988年) 1億8,050万円 9,500万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 950万円
第9回(1989年) 1億9,530万円 1億300万円 4,100万円 2,600万円 1,500万円 1,030万円
第10回(1990年) 2億1,000万円 1億1,000万円 4,400万円 2,800万円 1,700万円 1,100万円
第11回(1991年) 2億2,800万円 1億2,000万円 4,800万円 3,000万円 1,800万円 1,200万円
第12回(1992年) 2億4,800万円 1億3,000万円 5,200万円 3,300万円 2,000万円 1,300万円
第13回(1993年)
第14回(1994年)
第15回(1995年) 2億5,120万円 1億3,200万円 5,300万円 1,320万円
第16回(1996年)
第17回(1997年)
第18回(1998年)
第19回(1999年)
第20回(2000年) 4億7,600万円 2億5,000万円 1億円 6,300万円 3,800万円 2,500万円
第21回(2001年)
第22回(2002年)
第23回(2003年)
第24回(2004年)
第25回(2005年)
第26回(2006年)
第27回(2007年)
第28回(2008年)
第29回(2009年)
第30回(2010年)
第31回(2011年)
第32回(2012年)
ジャパンカップ褒賞金制度
2000年から天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の3つのレースを同一年に制した場合に1億円の褒賞金が交付されるようになった。
現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円に増額されており、テイエムオペラオー、ゼンノロブロイが獲得している。
2003年より外国調教馬に対して指定競走の当年優勝馬(レースによっては2着馬も)がジャパンカップ優勝した場合、褒賞金を交付している。2009年よりその範囲が拡大され、本競走において3着までに入れば規定の褒賞金を交付することとなった。制度導入後に褒賞金を獲得した事例はない。なお2011年より褒賞金の金額が減額され、イギリスのチャンピオンステークスが指定競走に追加された。
2012年には更なる見直しが行われ、優先出走権が付与される6競走で優勝馬への褒賞金の減額ならびに2着馬への褒賞金が廃止され[8] 、そのほかの指定競走と賞金額が同額となった。
ジャパンカップ指定外国競走
開催国・競走名 格付 施行競馬場 施行距離 指定年 備考
1 キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス G1 アスコット 芝12f 2008年 – 優先出走権付与競走兼
凱旋門賞 G1 ロンシャン 芝2400m
アイリッシュチャンピオンステークス G1 レパーズタウン 芝10f
バーデン大賞 G1 バーデンバーデン 芝2400m
アーリントンミリオン G1 アーリントンパーク 芝10f
ブリーダーズカップ・ターフ G1 持ち回り 芝12f
2 イギリスダービー G1 エプソム 芝12f10y
フランスダービー G1 シャンティイ 芝2100m
アイリッシュダービー G1 カラ 芝12f
カナディアンインターナショナルステークス G1 ウッドバイン 芝12f
コックスプレート G1 ムーニーヴァレー 芝2040m
パリ大賞典 G1 ロンシャン 芝2400m 2009年 –
ブリーダーズカップ・クラシック G1 持ち回り ダート10f
AW10f
ドバイワールドカップ G1 メイダン AW2000m 2010年 –
インターナショナルステークス G1 ヨーク 芝10f88y
サンクルー大賞 G1 サンクルー 芝2400m
ドバイシーマクラシック G1 メイダン 芝2410m
イギリスチャンピオンステークス G1 アスコット 芝10f 2011年 –
賞金額
1の指定外国競走において当年の優勝馬である場合
本競走1着馬 本競走2着馬 本競走3着馬
2008年 1億3000万円 – –
2009年 5200万円 3250万円
2010年
2011年 1億円 4000万円 2500万円
2012年 8000万円 3200万円 2000万円
1の指定外国競走において当年の2着馬である場合(2012年以降は廃止)
本競走1着馬 本競走2着馬 本競走3着馬
2008年 5000万円 – –
2009年 2000万円 1250万円
2010年
2011年 4000万円 1600万円 1000万円
2の指定外国競走において当年の優勝馬である場合(2012年以降は1と同額)
本競走1着馬 本競走2着馬 本競走3着馬
2008年 1億円 – –
2009年 4000万円 2500万円
2010年
2011年 7000万円 2800万円 1800万円
2012年 8000万円 3200万円 2000万円
ジャパンカップの歴史
1981年
東京競馬場の芝2400mの国際招待の混合特別指定競走、ジャパンカップとして創設。
メアジードーツが当時のJRAレコードタイム(2分25秒3)で優勝。
1982年 – 当時の世界歴代賞金王ジョンヘンリー(アメリカ)が出走(13着)。
1983年 – 日本で初めてゼッケンに馬名が記入された(後述。当時はこの競走のみの特別仕様)。
1984年
JRAグレード制施行によりGIに格付け。
ミスターシービー(10着)、シンボリルドルフ(3着)が出走し中央競馬史上初となる中央競馬クラシック三冠馬同士の対決となった。
カツラギエースが日本生産馬、日本調教馬として初優勝。
1985年 – 単勝1番人気馬(シンボリルドルフ:日本)が初優勝。
1989年
ニュージーランドのホーリックスが従来のJRAレコードを2秒以上短縮する、当時の世界レコードタイム(2分22秒2)で優勝。7歳(当時の年齢表記)牝馬がJRA主催のGI競走を制するのも初となる。オグリキャップはホーリックスと同タイムながら2着。
1着賞金の総額が1億円台となる。
1992年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GI競走に指定。
シンボリルドルフの仔・トウカイテイオーが優勝。初の父仔制覇。
1996年 – エリシオとストラテジックチョイスが3着同着。
1997年 – イギリスのマイケル・スタウトが調教師として史上初の2連覇。
1999年 – ワールドレーシング・チャンピオンシップに参加。
2000年 – 秋の古馬GI報奨金制度の第2戦に指定。この年からジャパンカップが単独で日本の最高賞金の競走となる。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
創設以来初めて日本馬が掲示板を独占。
2002年 – 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝2200mで施行。
2004年 – 「JRAゴールデンジュビリーキャンペーン」(創立50周年)の中央記念行事の一環として、ジャパンカップダートとのJRA史上初となる同一日・同一場GI競走開催となり、当競走は最終競走・第11レースとして施行
2005年 – イギリスのアルカセットが芝2400mの日本レコードタイムとなる2分22秒1で優勝。ハーツクライは同タイムながら2着。
2006年 – ワールドレーシング・チャンピオンシップが一時中止(2009年現在)。
2008年
ジャパン・オータムインターナショナルに指定。
3世代の日本ダービー優勝馬(メイショウサムソン、ウオッカ、ディープスカイ)が初めて揃って出走。
2009年 – ウオッカが日本生産馬の牝馬として初優勝を果たすとともに、史上4頭目(牝馬としては史上初)のJRA・GI競走7勝を達成。
2010年
日本のGI競走としては初となる3D映像の競馬中継を行う[9]。
第1位に入線したブエナビスタが他馬の進路を妨害したため、第2着に降着(降着制度施行後のGIでは2006年エリザベス女王杯のカワカミプリンセス以来3度目の1位入線馬の降着)[10]。
2011年
当年のドバイワールドカップ優勝馬が初めて出走(ヴィクトワールピサ)し、本競走で初めて当年の凱旋門賞優勝馬(デインドリーム)と揃って出走。
スペシャルウィークの仔・ブエナビスタが優勝。2組目の父仔制覇。
2012年 – ワールドスーパージョッキーズ開催に伴い当レースが最終11レースで開催。最終競走としての開催は2004年以来8年ぶり
ジャパンカップの歴代優勝馬
回数 施行日 調教国・優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1981年11月22日 メアジードーツ 牝5 2:25.3 C.アスムッセン J.フルトン A.D.シェフラー
第2回 1982年11月28日 ハーフアイスト 牡3 2:27.1 D.マクベス S.ホッフ B.R.F.ストーン
第3回 1983年11月27日 スタネーラ 牝5 2:27.6 B.ラウス F.ダン F.ダン
第4回 1984年11月25日 カツラギエース 牡4 2:26.3 西浦勝一 土門一美 野出一三
第5回 1985年11月24日 シンボリルドルフ 牡4 2:28.8 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第6回 1986年11月23日 ジュピターアイランド 牡7 2:25.0 P.エデリー C.ブリテン タビストック侯爵
第7回 1987年11月29日 ルグロリュー 牡3 2:24.9 A.ルクー R.コレ S.ウォルフ
第8回 1988年11月27日 ペイザバトラー 牡4 2:25.5 C.マッキャロン R.フランケル E.ガン
第9回 1989年11月26日 ホーリックス 牝6 2:22.2 L.オサリバン D.オサリバン G.W.ド・グルシー
第10回 1990年11月25日 ベタールースンアップ 騸5 2:23.2 M.クラーク D.ヘイズ G.ファラー
第11回 1991年11月24日 ゴールデンフェザント 牡5 2:24.7 G.スティーヴンス C.ウィッティンガム B.マクノール
第12回 1992年11月29日 トウカイテイオー 牡4 2:24.6 岡部幸雄 松元省一 内村正則
第13回 1993年11月28日 レガシーワールド 騸4 2:24.4 河内洋 森秀行 (株)ホースタジマ
第14回 1994年11月27日 マーベラスクラウン 騸4 2:23.6 南井克巳 大沢真 笹原貞生
第15回 1995年11月26日 ランド 牡5 2:24.6 M.ロバーツ H.イエンチ イットリンゲン牧場
第16回 1996年11月24日 シングスピール 牡4 2:23.8 L.デットーリ M.スタウト シェイク・モハメド
第17回 1997年11月23日 ピルサドスキー 牡5 2:25.8 M.キネーン M.スタウト ウェインストック卿
第18回 1998年11月29日 エルコンドルパサー 牡3 2:25.9 蛯名正義 二ノ宮敬宇 渡邊隆
第19回 1999年11月28日 スペシャルウィーク 牡4 2:25.5 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第20回 2000年11月26日 テイエムオペラオー 牡4 2:26.1 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第21回 2001年11月25日 ジャングルポケット 牡3 2:23.8 O.ペリエ 渡辺栄 齊藤四方司
第22回 2002年11月24日 ファルブラヴ 牡4 2:12.2 L.デットーリ L.ダウリア スクデリーア・ランカティ
第23回 2003年11月30日 タップダンスシチー 牡6 2:28.7 佐藤哲三 佐々木晶三 (株)友駿ホースクラブ
第24回 2004年11月28日 ゼンノロブロイ 牡4 2:24.2 O.ペリエ 藤沢和雄 大迫忍
第25回 2005年11月27日 アルカセット 牡5 2:22.1 L.デットーリ L.クマーニ M.R.チャールトン
第26回 2006年11月26日 ディープインパクト 牡4 2:25.1 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第27回 2007年11月25日 アドマイヤムーン 牡4 2:24.7 岩田康誠 松田博資 ダーレー・ジャパン・ファーム(有)
第28回 2008年11月30日 スクリーンヒーロー 牡4 2:25.5 M.デムーロ 鹿戸雄一 吉田照哉
第29回 2009年11月29日 ウオッカ 牝5 2:22.4 C.ルメール 角居勝彦 谷水雄三
第30回 2010年11月28日 ローズキングダム[† 1] 牡3 2:25.2 武豊 橋口弘次郎 (有)サンデーレーシング
第31回 2011年11月27日 ブエナビスタ 牝5 2:24.2 岩田康誠 松田博資 (有)サンデーレーシング
^ 第30回はブエナビスタが1位で入線したが、最後の直線で2位入線のローズキングダムの進路を妨害したとして、審議の結果2着に降着処分を受け、ローズキングダムが繰り上がりで優勝となった(参考:ブエナビスタの走破時計 2:24.9)。
ジャパンカップの記録
レースレコードタイム – 2分22秒1(第25回優勝馬アルカセット)
2着との最大着差 – 9馬身(第23回優勝馬タップダンスシチー)
勝馬投票券最高売上げ – 396億7438万2900円(第15回)
当日の最高入場者数 – 187,524人(第15回)
最多勝騎手 – 3勝
L.デットーリ(第16、22、25回)
武豊(第19、26、30回)
最多勝調教師 – 2勝
M.スタウト(第16、17回)
松田博資(第27、31回)
最多出走 – 6回 コスモバルク(第24~29回)
ジャパンカップ父子制覇
組 父馬名 優勝回 子馬名 優勝回
1組目 シンボリルドルフ 第5回 トウカイテイオー 第12回
2組目 スペシャルウィーク 第19回 ブエナビスタ 第31回
ジャパンカップ特記事項
馬番ゼッケンに馬名(ゴール付近で観客に向かう右サイドに片仮名馬名、左サイドには英文馬名を記述)が入っているものを使用するのはこの競走の特徴である。第1回と第2回は従来の番号のみのゼッケンであったが、第3回からこの特別仕様のゼッケンを使用している。馬番ゼッケンに馬名を入れたのはこのジャパンカップがはじめてであった。また第6回までは馬名入りゼッケンはこのジャパンカップのみでしか使用していなかった(当時は日本ダービーなどの八大競走でも使用されていなかったが1985年の有馬記念では試験的に使用されていた)。このゼッケンは1987年秋以降順次他のGI競走やその他の競走にも拡大され、現在は中央競馬全場および大井競馬場において一般競走を含む全競走に馬名入りのゼッケンを使用している。ただし英文馬名入りのゼッケンは一部の国際競走(外国調教馬の出走がある場合)でしか使用されない。なお、馬体の左側が英文と固定されている。また本競走とジャパンカップダートでは2002年から、片仮名馬名の面にその馬の調教国の国旗があしらわれるようになった(2006年からは英文馬名側にも国旗を記載)。
本競走の正式名称はあくまで「ジャパンカップ」であるが、2000年のジャパンカップダート創設以降は混同を避けるためか「ジャパンカップターフ」と称するファンや関係者もいる。
当日の東京競馬場は全11競走制であり、本競走は第10競走として施行される(2004年のゴールデンジュビリーデー及び2012年については最終第11競走(この時も全11競走制)として行われた)。よって勝馬投票券購入に際しては競走番号を間違えないよう注意する必要がある(当日は東京競馬場をはじめとする各発売所および在宅投票システムでもこの旨注意喚起がされている)。
1988年にはディック・フランシスも視察に訪れている。
1993年にブリーダーズカップターフ優勝馬コタシャーンが単勝1番人気で出走したが、残り100m時点で鞍上のケント・デザーモが残り100mを示すハロン棒をゴール板と勘違いし立ち上がって追うのを止めた。その後慌てて追い出したものの結果2着に終わったというボーンヘッドがあった(この時の優勝馬はレガシーワールド、日本のせん馬として最初のGI優勝)。この事件を契機としてその後徐々に各競馬場の残り100mのハロン棒が撤去され、代わりに残り100mを示す表示が柵に表示されるようになっている。
国際競走ではあるが、東京優駿で行われている国歌独唱は本競走では行われていない[注 5]。
2010年の第30回を記念したイベントとしてこの年のレース当日と前日の東京競馬の一般レース(平場戦)は全てジャパンカップ優勝馬の名を冠した「○○○賞」の副称が付けられ、馬券にはレース名も印刷された(既に名称が付けられている特別戦やワールドスーパージョッキーズシリーズのポイント対象レースには付けられなかった)。
現在に至るまでJRA最多となるGI7勝馬が4頭おり、いずれも当競走を優勝している。
日没の関係上、発走時刻が15時20分と早い(2005年以降、2012年除く)。
ジャパンカップ上位入線馬に関する事項
1983年は5着までの調教国が全て異なる結果となった。
1985年にシンボリルドルフとロッキータイガー(船橋競馬所属)による初の日本馬同士のワン・ツー・フィニッシュ(1・2着独占)が達成された。中央所属馬同士のワンツーは1998年(優勝:エルコンドルパサー・2着:エアグルーヴ)が最初で、以降中央所属馬同士のワンツーはこれまでの31回中10回ある。
2011年時点で当競走を連覇した馬は存在しない。2011年優勝のブエナビスタは前年度も1位入線をしたが、このときは降着処分を受けてしまった。
日本馬が掲示板を独占(1~5着)したのはこれまでに6回あるが(下記)、外国馬が掲示板を独占したことは初開催以来1度も無い。
回 年 1着 2着 3着 4着 5着
第21回 2001年 ジャングルポケット テイエムオペラオー ナリタトップロード ステイゴールド メイショウドトウ
第23回 2003年 タップダンスシチー ザッツザプレンティ シンボリクリスエス ネオユニヴァース アクティブバイオ
第27回 2007年 アドマイヤムーン ポップロック メイショウサムソン ウオッカ デルタブルース
第28回 2008年 スクリーンヒーロー ディープスカイ ウオッカ マツリダゴッホ オウケンブルースリ
第30回 2010年 ローズキングダム ブエナビスタ(1位入線降着) ヴィクトワールピサ ジャガーメイル ペルーサ
第31回 2011年 ブエナビスタ トーセンジョーダン ジャガーメイル トレイルブレイザー ウインバリアシオン
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