アサカディフィート
アサカディフィート
品種 サラブレッド
性別 騸
毛色 黒鹿毛
生誕 1998年3月26日
父 パラダイスクリーク
母 スプリームクィーン
生国 日本
生産 協和牧場
馬主 浅川吉男→浅川昌彦→林順子
調教師 鶴留明雄(栗東)
競走成績
生涯成績 76戦11勝
(中央)73戦11勝
(地方)3戦0勝
獲得賞金 4億6564万2000円
(中央)4億6194万3000円
(地方)369万9000円
アサカディフィートは、中央競馬平地競走及び中央競馬平地重賞競走の最高齢勝利記録を持つ馬(10歳、2008年小倉大賞典)
アサカディフィート 戦歴
アサカディフィート 2001年 – 2003年
気性的な問題もあってデビュー前に既に去勢手術を受けており、騸馬として競走馬生活を送ることになった。
デビューはかなり遅く、2001年6月9日となった。初戦の中京3歳未勝利戦(ダート1,700m)で初勝利を挙げる。その後もレースでは逃げの戦法を見せ、主に芝の中距離戦に使われた。
2003年の5歳時に格上のオープン競走である大阪城ステークスで勝利し、オープンクラスに昇格する。その後は重賞の新潟大賞典、金鯱賞、宝塚記念に出走するも金鯱賞の5着が最高であった[1]。しかし、続く函館記念では3着に入り、福島記念では後方からメンバー中最速の上がりで、またも3着に食い込んだ。
アサカディフィート 2004年 – 2006年
2004年には初戦の中山金杯で中団からの差し切り勝ちを決め、重賞初勝利をあげた。その後は中距離の重賞やオープン競走を中心に出走し、2005年のカシオペアステークスや2006年のアンドロメダステークスで勝利を挙げている。
アサカディフィート 2007年
2007年も中山金杯から始動した。雨で重馬場の中、道中最後方で追走しメンバー中最速の上がりを見せるが、勝ったシャドウゲイトに7馬身差の圧倒的差をつけられ2着に敗れた。
続く小倉大賞典では10番人気ながら、後方から上がり3F34秒台の追い込みを見せ1 1/2馬身差で快勝し、3年ぶりの2度目の重賞制覇を遂げた。その後、芝の2000m戦やダートの重賞に出走するもののいずれも掲示板を外す結果となった(上がり33秒台を記録した札幌記念の6着が最高)が、前年優勝したアンドロメダステークスでは追い込みを決めて8番人気の低評価を覆す勝利を収めた。
アサカディフィート 2008年
2008年も中山金杯から始動した。道中を最後方で進め4角からメンバー中最速の上がり3F34秒3の末脚を見せるが、7着に終わった。続く小倉大賞典では鞍上を中舘英二に替え道中は最後方を追走し、最後の直線では大外から豪快な末脚を繰り出し、先に抜け出した1番人気マルカシェンクをとらえ史上初の10歳馬(旧表記の10歳を含む)によるJRA平地重賞勝利を挙げた。
また、これにより8年連続勝利を遂げた。続く中山記念では、後方不利と言われる中山競馬場かつ開幕週ながら、上がり3ハロン33.9秒という年齢を感じさせない末脚で5着と掲示板に載った。続く金鯱賞では道悪馬場の影響からかいいところがなく10着に敗れた。その後は宝塚記念に出走、ブービーの13着に敗退した。その後、休養を挟み、11月15日のアンドロメダステークスに出走、同一レース3連覇がかかっていたが10着に終わった。続く中日新聞杯では13着と大敗した。
アサカディフィート 2009年
2009年も6年連続で中山金杯から始動したが、見せ場なく14着と大敗した。続く小倉大賞典では同一重賞3連覇を狙ったが、シンガリ負けの16着だった。そして、2月13日付でJRA競走馬登録を抹消された。生まれ故郷である協和牧場において乗馬となっている。
アサカディフィート 主な成績
2003年 – 函館記念3着、福島記念3着
2004年 – 中山金杯
2005年 – 中京記念3着、京阪杯2着
2006年 – 中山金杯2着、名古屋大賞典3着
2007年 – 中山金杯2着、小倉大賞典
2008年 – 小倉大賞典(2007年から連覇)
※ アンドロメダステークスを連覇(オープン特別、2006年・2007年)
アサカディフィート 記録
せん馬(日本調教馬)史上最高賞金獲得 (4億6564万2000円)
JRA史上最年長平地競走勝利 (10歳)
後に2010年1月10日第1回中山競馬第3日第11競走ジャニュアリーステークス(オープン特別・ダート1200m)でニシノコンサフォスがタイ記録を樹立
JRA史上最年長平地重賞勝利 (10歳)
JRA各年度勝利連続記録 (8年)
アサカディフィート エピソード
約8年間の競走生活で中央・地方合わせて76戦に出走、重賞も3勝して4億円以上を稼いだ本馬であるが、中央GI競走への出走は2003年・2008年の宝塚記念だけである(地方交流を含めても2007年のかしわ記念が加わるのみ)。
本馬が出走した宝塚記念は、2度とも『6月29日』の施行であった。GI競走の開催は基本的に日曜固定であり、同じ曜日配列が回ってくるのは5年ないし6年に1回であるから、少なくとも5〜6年は現役を続けていないと達成できない珍記録であると言える。
アサカディフィート 血統表
アサカディフィートの血統 ネヴァーベンド系/Nasrullah5×5×5=9.38%、Polynesian5×5=6.25%
父
*パラダイスクリーク
Paradise Creek
1989 黒鹿毛 Irish River
1976 栗毛 Riverman Never Bend
River Lady
Irish Star Klairon
Botany Bay
North of Eden
1983 鹿毛 Northfields Northern Dancer
Little Hut
*ツリーオブノレッジ
Tree of Knowledge Sassafras
Sensibility
母
*スプリームクィーン
Supreme Queen
1981 鹿毛 Alydar
1975 栗毛 Raise a Native Native Dancer
Raise You
Sweet Tooth On-And-On
Plum Cake
Knightly Belle
1969 芦毛 Knightly Manner Round Table
Courtesy
Belle Poule Barbizon
Chinchon F-No.16
アサカディフィート 脚注
^ 新潟大賞典では3位に入線したが、進路妨害で7着に降着となっている。
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