朝日杯フューチュリティステークス
朝日杯フューチュリティステークス
第51回朝日杯3歳ステークス
開催地 中山競馬場 施行日 2011年12月18日 施行時期 12月中旬 - 下旬 (原則5回中山6日目) 格付け GI 1着賞金 7000万円 賞金総額 1億3400万円 距離 芝・外1600m 出走条件 サラブレッド系2歳牡・牝(国際)(指定) 負担重量 馬齢(牡馬55kg、牝馬54kg) 第1回施行日 1949年12月3日 朝日杯フューチュリティステークス(Asahi Hai Futurity Stakes)とは日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝1600mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走。
正賞は朝日新聞社賞、日本馬主協会連合会会長賞、日本軽種馬協会会長賞。
朝日杯フューチュリティステークス 概要
1949年に関東所属の2歳(旧3歳)競走馬のチャンピオン決定戦朝日杯3歳ステークスとして創設、中山競馬場の芝1100mで施行された。その後1959年からは芝1200m、1962年からは現在の芝1600mに距離が延長され、1971年からは混合競走に指定され、1984年からはグレード制導入により最高位のGIに格付けされた。 1991年に栗東所属(関西)の2歳(旧3歳)競走馬のチャンピオン決定戦の阪神3歳ステークスが2歳(旧3歳)牝馬限定戦の阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)に変更されるのに合わせて出走条件を2歳(旧3歳)牡馬・騸馬に変更され、2歳牡馬チャンプ決定戦の位置付けとして施行されるようになった。 GI昇格後から10年間はメリーナイス、サクラチヨノオー、アイネスフウジン、ミホノブルボン、ナリタブライアンと5頭の東京優駿優勝馬を輩出した為、「クラシックへの登龍門」とも言われた。 2001年に競走馬の年齢表記を国際基準に合わせたことに伴い、競走名が朝日杯フューチュリティステークスとなった。競走名のフューチュリティ(Futurity)とは、英語で「未来・将来・前途」という意味がある。2004年からは3歳のクラシックと出走条件を合わせる目的から、出走条件が牡馬・牝馬になり騸馬の出走ができなくなった[1]。ただ、騸馬が優勝したことはこれまで一度もなかった。 中央競馬の2歳馬限定のGI競走(2007年から2009年までJpnI)は2つ(地方競馬の全日本2歳優駿を合わせても3競走)のみで1991年に内1競走が牝馬限定となったので、規定は無いがそれ以降は毎年この競走の優勝馬がJRA賞最優秀2歳牡馬に選出されている[2]。 このレースは有馬記念と同じ開催で行われることになっているため、これまで中山競馬場以外で開催されたことは一度もない。 なお武豊はこの競走で3度2着を記録しているものの、JRAGIの中でこの競走とマイルチャンピオンシップは未勝利である(2010年現在)。
朝日杯フューチュリティステークス 出走資格
原則としてサラ系2歳(旧3歳)のJRA所属の牡馬・牝馬競走馬、JRAに認定された地方所属の牡馬・牝馬競走馬(5頭まで)及び牡馬・牝馬の外国調教馬(8頭まで)。 JRA所属馬は通算の収得賞金が多い順に出走が可能となる。1勝馬は抽選によって出走が決められる。 地方競馬所属馬は以下の競走のいずれかで所定の成績をあげると本競走に出走できる。 競走名 格付 施行競馬場 施行距離 必要な着順 備考 デイリー杯2歳ステークス GII 京都競馬場 芝1600m 1・2着 本競走のステップ競走指定 京王杯2歳ステークス GII 東京競馬場 芝1400m 1・2着 東京スポーツ杯2歳ステークス GIII 東京競馬場 芝1800m 1・2着 函館2歳ステークス GIII 函館競馬場 芝1200m 1着 阪神JFといずれか1競走に優先出走できる。 新潟2歳ステークス GIII 新潟競馬場 芝1600m 1着 小倉2歳ステークス GIII 小倉競馬場 芝1200m 1着 札幌2歳ステークス GIII 札幌競馬場 芝1800m 1着
朝日杯フューチュリティステークス 負担重量
負担重量は馬齢で牡馬は55kg、牝馬は54kgである。 第1回は別定重量51kgで、第2回から第8回は52kg、第9回から第18回および第20回、第21回は牡馬52kg・牝馬51kg、第19回のみ牡馬51kg・牝馬50kg、第22回は牡53kg・牝52kg。 第23回から第42回は馬齢重量となり牡馬54kg・牝馬53kg、出走条件が牡馬・騸馬に変更された第43回から第52回は54kg、第53回から第55回は55kg。出走条件が牡馬、牝馬に戻った第56回より現行の負担重量で施行されている。
朝日杯フューチュリティステークス 賞金
グレード制が施行された第36回(1984年)以降 回(施行年) 総額賞金 1着 2着 3着 4着 5着 第36回(1984年) 5,700万円 3,000万円 1,200万円 750万円 450万円 300万円 第37回(1985年) 第38回(1986年) 5,860万円 3,100万円 780万円 470万円 310万円 第39回(1987年) 6,260万円 3,300万円 1,300万円 830万円 500万円 330万円 第40回(1988年) 6,800万円 3,600万円 1,400万円 900万円 540万円 360万円 第41回(1989年) 7,600万円 4,000万円 1,600万円 1,000万円 600万円 400万円 第42回(1990年) 8,050万円 4,200万円 1,700万円 1,100万円 630万円 420万円 第43回(1991年) 8,980万円 4,700万円 1,900万円 1,200万円 710万円 470万円 第44回(1992年) 1億30万円 5,300万円 2,100万円 1,300万円 800万円 530万円 第45回(1993年) 第46回(1994年) 第47回(1995年) 第48回(1996年) 第49回(1997年) 第50回(1998年) 第51回(1999年) 第52回(2000年) 第53回(2001年) 1億1,400万円 6,000万円 2,400万円 1,500万円 900万円 600万円 第54回(2002年) 第55回(2003年) 第56回(2004年) 第57回(2005年) 第58回(2006年) 第59回(2007年) 第60回(2008年) 1億1,980万円 6,300万円 2,500万円 1,600万円 950万円 630万円 第61回(2009年) 第62回(2010年) 1億3,400万円 7,000万円 2,800万円 1,800万円 1,100万円 700万円 第63回(2011年) 第64回(2012年)
朝日杯フューチュリティステークス 施行コースとその問題点
中山競馬場の芝1600mで第1コーナーのポケットの奥から発走。最後の上り坂以外は延々と下り坂が続くためスピードが出やすい[3]。そして最初の第2コーナーまでの直線距離は240mと短く、そこで外枠発走の馬が大きな距離ロスを受けやすいためにフルゲートの頭数は阪神ジュベナイルフィリーズなどが18頭なのに対し16頭に減らされている[4]。しかしそれ以外にも他の競馬場の同じ距離での競走のコーナーの数の2つであるのに対し3つと多く[5]、またスプリンターズステークスなどの競走でも共通するが最後の直線距離も310mと短く第4コーナーを一団となって曲がるために、そこで大きく膨らんで距離をロスする外枠や最後の追い込みが得意な馬にとって非常に厳しいコース形態となっている。2010年現在、20年以上7枠・8枠の馬の優勝は無く(3着以内なら数例あり。2003年のメイショウボーラーは8枠15番で2着、1996年のオープニングテーマは7枠14番で2着など)[6]、GI昇格時にまで遡ってもそれは10頭以下での施行時に限られている。 つまり、枠順以外の勝敗の要素としては前めで内寄りの位置を確保するためのスタートの上手さや加速力などといった器用さが大きな割合を占めることになる。GI昇格後こそ「クラシックへの登龍門」とも言われクラシック出走条件に合わせて騸馬の出走を禁じるなどの変更が加えられたりしたが、この競走形態により1993年のナリタブライアンを最後にこの競走を制していた馬ばかりか、出走していた馬の中ですら東京優駿を勝った馬はなく、更にこの競走で2007年に3着に入ったキャプテントゥーレが翌年の皐月賞(クラシックの中で最も条件が近い)を制するまで長らくクラシック競走の優勝馬が出ていないという状況が示す通り、クラシックで不振になる傾向が強い。 1993年のナリタブライアン以降も勝ち馬から数多くのGI馬や種牡馬が出ていて出世レースではあるがそのほとんどが故障を発症してクラシックを棒に振ったり、マイラーとして活躍したり、早熟という結果になっている。そのためクラシックを目指す競走馬は阪神競馬場の芝2000mで施行するラジオNIKKEI杯2歳ステークスや有馬記念当日に行われるホープフルステークスなどに出走させる傾向もあり、またかつて外国産馬に閉ざされていたクラシックも近年は開放されつつあるため、こぞってここを目標に外国産馬が出走するという光景も見られなくなっている。 ただし2006年のドリームジャーニーは5歳時に宝塚記念・有馬記念を優勝。2009年のローズキングダムはクラシックで2着2回の後に第30回ジャパンカップで優勝するなど、中には本競走からクラシックおよび3歳秋以降のレースで好走する馬もいる。
朝日杯フューチュリティステークス 歴史
1949年 - 中山競馬場の芝1100mの2歳(旧3歳)限定の別定重量の重賞競走朝日杯3歳ステークスとして創設。 1950年 - 出走条件が別定重量51kgから別定重量52kgに変更。 1953年 - 騎手の谷岡敏行が死亡する事故が発生。 1956年 勝尾竹男が騎手として史上初の連覇。 久保田金造が調教師として史上初の連覇。 1957年 - 出走条件が別定重量、牡馬52kg・牝馬51kgに変更。 1959年 施行コースを芝1200mに変更。 この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。 1962年 - 施行コースを芝1600mに変更。 1967年 - 出走条件が別定重量、牡馬51kg・牝馬50kgに変更。 1968年 - 出走条件が別定重量、牡馬52kg・牝馬51kgに戻す。 1970年 - 出走条件が別定重量、牡馬53kg・牝馬52kgに変更。 1971年 出走条件が別定重量から馬齢重量、牡馬54kg・牝馬53kgに変更。 混合競走に指定。 1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。 1988年 小島太が騎手として史上2人目の連覇。 境勝太郎が調教師として史上2人目の連覇。 1991年 - 出走条件が2歳(旧3歳)から2歳(旧3歳)牡馬・騸馬に変更。 1993年 - 南井克巳が騎手として史上3人目の連覇。 1995年 - 特別指定競走に指定。 2001年 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「3歳牡馬・騸馬」から「2歳牡馬・騸馬」に変更。 名称を朝日杯フューチュリティステークスに変更。 出走条件が馬齢重量54kgから定重量55kgに変更。 2003年 - 出走条件が定重量55kgから馬齢重量55kgに変更。 2004年 - 出走条件が2歳牡馬・騸馬から2歳牡馬・牝馬に変更(牝馬の負担重量は54kgに設定)。 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。 2008年 - ジャパンカップダートの施行日の変更に伴い、開催週が1週繰り下げ。 2010年 - 国際競走に指定され、重賞格付け表記をGIに戻す。
朝日杯フューチュリティステークス 歴代優勝馬
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主 第1回 1949年12月3日 アヅマホマレ 牡2 1:07 3/5 八木沢勝美 尾形藤吉 岩崎新太郞 第2回 1950年12月10日 トキノミノル 牡2 1:06 3/5 岩下密政 田中和一郎 永田雅一 第3回 1951年12月9日 タカハタ 牝2 1:06 1/5 八木沢勝美 尾形藤吉 川内安忠 第4回 1952年12月21日 サンゲツ 牝2 1:07 0/5 古山良司 望月与一郎 新倉文郎 第5回 1953年12月13日 タカオー 牡2 1:07 4/5 高橋英夫 上村大治郎 高須銀次郎 第6回 1954年12月12日 メイヂヒカリ 牡2 1:07 3/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田新作 第7回 1955年12月11日 キタノオー 牡2 1:05 4/5 勝尾竹男 久保田金造 田中留治 第8回 1956年12月23日 キタノヒカリ 牝2 1:06 2/5 勝尾竹男 久保田金造 田中留治 第9回 1957年12月15日 カツラシユウホウ 牡2 1:09 0/5 蛯名武五郎 藤本冨良 牧市太郎 第10回 1958年12月14日 ウネビヒカリ 牡2 1:07 0/5 野平祐二 野平省三 山之内軍二 第11回 1959年12月13日 マツカゼオー 牡2 1:12.3 蛯名武五郎 藤本冨良 長山善武 第12回 1960年12月11日 ハクシヨウ 牡2 1:11.2 保田隆芳 尾形藤吉 西博 第13回 1961年12月17日 カネツセーキ 牡2 1:10.9 伊藤竹男 久保田金造 カネツ(株) 第14回 1962年12月16日 グレートヨルカ 牡2 1:38.7 保田隆芳 尾形藤吉 小野晃 第15回 1963年12月15日 ウメノチカラ 牡2 1:38.9 古賀一隆 古賀嘉蔵 梅野昇 第16回 1964年12月20日 リユウゲキ 牡2 1:38.8 油木宣夫 矢倉玉男 福井章哉 第17回 1965年12月19日 メジロボサツ 牝2 1:39.5 矢野一博 大久保末吉 北野俊雄 第18回 1966年12月18日 モンタサン 牡2 1:37.4 油木宣夫 矢野幸夫 古知政市 第19回 1967年12月17日 タケシバオー 牡2 1:38.4 中野渡清一 三井末太郎 小畑正雄 第20回 1968年12月15日 ミノル 牡2 1:40.8 保田隆芳 尾形藤吉 永田卓也 第21回 1969年12月14日 アローエクスプレス 牡2 1:36.2 加賀武見 高松三太 伊達秀和 第22回 1970年12月13日 オンワードガイ 牡2 1:39.8 蓑田早人 森末之助 (株)オンワード牧場 第23回 1971年12月12日 トクザクラ 牝2 1:36.2 田村正光 梶与四松 (有)徳間牧場 第24回 1972年12月10日 レッドイーグル 牡2 1:38.3 岡部幸雄 鈴木清 千屋レッド牧場(株) 第25回 1973年12月9日 ミホランザン 牡2 1:35.5 柴田政人 高松三太 堤勘時 第26回 1974年12月8日 マツフジエース 牝2 1:37.1 増田久 山岡寿恵次 (有)マツケン農場 第27回 1975年12月7日 ボールドシンボリ 牡2 1:38.6 柴田政人 高松三太 和田共弘 第28回 1976年12月12日 マルゼンスキー 牡2 1:34.4 中野渡清一 本郷重彦 橋本善吉 第29回 1977年12月11日 ギャラントダンサー 牡2 1:35.7 吉永正人 松山康久 吉田照哉 第30回 1978年12月10日 ビンゴガルー 牡2 1:36.0 嶋田功 久保田彦之 水野剛 第31回 1979年12月9日 リンドタイヨー 牡2 1:36.7 横山富雄 見上恒芳 (株)デルマークラブ 第32回 1980年12月7日 テンモン 牝2 1:35.5 嶋田功 稲葉幸夫 原八衛 第33回 1981年12月6日 ホクトフラッグ 牡2 1:35.3 柴田政人 中野隆良 森滋 第34回 1982年12月12日 ニシノスキー 牡2 1:35.8 安田富男 元石孝昭 西島清 第35回 1983年12月11日 ハーディービジョン 牡2 1:36.3 的場均 柄崎義信 鈴木健司 第36回 1984年12月16日 スクラムダイナ 牡2 1:35.0 柴田政人 矢野進 (有)社台レースホース 第37回 1985年12月15日 ダイシンフブキ 牡2 1:35.4 菅原泰夫 柴田寛 高橋金次 第38回 1986年12月14日 メリーナイス 牡2 1:35.6 根本康広 橋本輝雄 浦房子 第39回 1987年12月20日 サクラチヨノオー 牡2 1:35.6 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース 第40回 1988年12月18日 サクラホクトオー 牡2 1:35.5 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース 第41回 1989年12月17日 アイネスフウジン 牡2 1:34.4 中野栄治 加藤修甫 小林正明 第42回 1990年12月9日 リンドシェーバー 牡2 1:34.0 的場均 元石孝昭 (株)デルマークラブ 第43回 1991年12月8日 ミホノブルボン 牡2 1:34.5 小島貞博 戸山為夫 (有)ミホノインターナショナル 第44回 1992年12月13日 エルウェーウィン 牡2 1:35.5 南井克巳 坪憲章 雑古隆夫 第45回 1993年12月12日 ナリタブライアン 牡2 1:34.4 南井克巳 大久保正陽 山路秀則 第46回 1994年12月11日 フジキセキ 牡2 1:34.7 角田晃一 渡辺栄 齊藤四方司 第47回 1995年12月10日 バブルガムフェロー 牡2 1:34.2 岡部幸雄 藤沢和雄 (有)社台レースホース 第48回 1996年12月8日 マイネルマックス 牡2 1:36.3 佐藤哲三 中村均 (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン 第49回 1997年12月7日 グラスワンダー 牡2 1:33.6 的場均 尾形充弘 半沢(有) 第50回 1998年12月13日 アドマイヤコジーン 牡2 1:35.3 M.ロバーツ 橋田満 近藤利一 第51回 1999年12月12日 エイシンプレストン 牡2 1:34.7 福永祐一 北橋修二 平井豊光 第52回 2000年12月10日 メジロベイリー 牡2 1:34.5 横山典弘 武邦彦 (有)メジロ牧場 第53回 2001年12月9日 アドマイヤドン 牡2 1:33.8 藤田伸二 松田博資 近藤利一 第54回 2002年12月8日 エイシンチャンプ 牡2 1:33.5 福永祐一 瀬戸口勉 平井豊光 第55回 2003年12月14日 コスモサンビーム 牡2 1:33.7 D.バルジュー 佐々木晶三 岡田美佐子 第56回 2004年12月12日 マイネルレコルト 牡2 1:33.4 後藤浩輝 堀井雅広 (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン 第57回 2005年12月11日 フサイチリシャール 牡2 1:33.7 福永祐一 松田国英 関口房朗 第58回 2006年12月10日 ドリームジャーニー 牡2 1:34.4 蛯名正義 池江泰寿 (有)サンデーレーシング 第59回 2007年12月9日 ゴスホークケン 牡2 1:33.5 勝浦正樹 斎藤誠 藤田与志男 第60回 2008年12月21日 セイウンワンダー 牡2 1:35.1 岩田康誠 領家政蔵 大谷高雄 第61回 2009年12月20日 ローズキングダム 牡2 1:34.0 小牧太 橋口弘次郎 (有)サンデーレーシング 第62回 2010年12月19日 グランプリボス 牡2 1:33.9 M.デムーロ 矢作芳人 (株)グランプリ
朝日杯フューチュリティステークスの記録
レースレコード - 1:33.4(第56回優勝馬マイネルレコルト) 2着との最大着差 - 大差(約13馬身差)(第28回優勝馬マルゼンスキー)
朝日杯フューチュリィステークス 父子制覇
過去に3組の例がある。 組 父馬名 優勝回 仔馬名 優勝回 1組目 マルゼンスキー 第28回 ニシノスキー 第34回 2組目 マルゼンスキー 第28回 サクラチヨノオー 第39回 3組目 グラスワンダー 第49回 セイウンワンダー 第60回
朝日杯フューチュリティステークス 兄弟制覇
過去に2組の兄弟(姉妹)制覇の例がある。以下は母馬から見た兄弟に限る。 組 兄馬名 優勝回 弟馬名 優勝回 母馬名 1組目 キタノオー 第7回 キタノヒカリ 第8回 バウアーヌソル(サラ系) 2組目 サクラチヨノオー 第39回 サクラホクトオー 第40回 サクラセダン キタノオーとキタノヒカリは父馬も同じ(トサミドリ)全兄妹である。
朝日杯フューチュリティステークス 脚注
^ ただし、クラシック競走において騸馬排除の根拠とされる「繁殖馬の選定」について本競走において明確に謳っているわけではない。これはNHKマイルカップ・ニュージーランドトロフィーでも同様である。 ^ 最優秀2歳牡馬の参考として、2000年の勝ち馬メジロベイリーは4戦目にようやく初勝利を挙げた直後の出走であり、勝ち馬として(2009年現在の)歴代最低人気の10番人気に過ぎなかったこと、1番人気のタガノテイオーがレース中に骨折し予後不良となり、他の上位人気馬も下位に沈む中の優勝であったことから、評価は低かった。この年にはラジオたんぱ杯2歳ステークスでジャングルポケットとクロフネとの3強対決で完勝したアグネスタキオンがおり高い評価を受けていたが、記者投票147対119票の結果によりメジロベイリーが選出されている。 ^ 1600mのレコードタイムは2010年5月9日の東京競馬場で施行されたNHKマイルカップ競走で優勝したダノンシャンティが記録した1:31.4。なお中山競馬場での記録は2001年9月9日の京成杯オータムハンデキャップ競走で優勝したゼンノエルシドが記録した1:31.5。 ^ 中山競馬場で出走可能頭数が18頭確保できるコースは芝内回り2000m、芝外回り2200mのいずれもスタンド正面から発走するコースのみである。同じGIであるスプリンターズステークス(芝外回り1200m)、有馬記念(芝内回り2500m)も出走可能頭数は16頭である。 ^ 道中もほとんどが緩やかなカーブで距離ロスなく追い越しをかけられる直線がなく、並んで走るだけであっても内側の馬に対し3馬身差の距離のロスがあると言われる。 ^ JRA公式サイトの「今週の注目レース」でのデータ分析(外部リンク参照)でもはっきりと「内枠が有利、過去10年で7枠・8枠で連対したのはメイショウボーラーのみ」という旨が明記されている
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