セントウルステークスとは?
開催地 阪神競馬場
施行日 2011年9月11日
施行時期 9月上旬 – 中旬
(原則4回阪神2日目)
格付け GII
1着賞金 5800万円
賞金総額 1億1050万円
距離 芝1200m
出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 グレード別定(本文に記載)
第1回施行日 1987年9月13日
特記 地方所属馬のみ、上位2着までにスプリンターズステークスへの出走権
セントウルステークスとは日本中央競馬会 (JRA)が阪神競馬場の芝1200mで施行する中央競馬の重賞(GII)競走である。競走名の由来は阪神競馬場のセントウルガーデン内にあるセントウル(ケンタウロス)の像からきている。
セントウルステークス概略
1970年代に芝1600mのオープン競走として行われていたが、1987年に短距離路線の充実を目的に4歳(現3歳)以上の競走馬による芝1400mの重賞(GIII)競走セントウルステークスとして創設された。
2000年よりスプリンターズステークスが10月初旬に前倒しされたことに伴い、開催時期を9月上旬へ移行すると共に施行距離も芝1200mへと短縮され、同競走の前哨戦に位置付けされている。
2006年には、スプリンターズステークスのステップ競走としての意義づけを明確にするためGIIに格上げされ、更にサマースプリントシリーズの最終戦に組み込まれるようになった。また、2005年から2010年まではグローバル・スプリント・チャレンジの第5戦に組み込まれていた。
サマースプリントシリーズに指定されてからは、このレースを制したシーイズトウショウ(2006年)、サンアディユ(2007年)、カノヤザクラ(2008年)がシリーズのチャンピオンとなった。
なお地方所属馬に限られるが、上位2着までにスプリンターズステークスの出走権(優先出走権ではない)が与えられるトライアル競走である。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属馬(未出走馬および未勝利馬を除く)、地方所属の競走馬(3頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)、出走枠は16頭まで。
負担重量は3歳は55kg、4歳以上は57kg、牝馬は2kg減を基本とし、更に以下の条件で斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。
施行日当日から過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
2011年度現在の総額賞金は1億1050万円で、1着賞金:5800万円、2着賞金:2300万円、3着賞金:1500万円、4着賞金:870万円、5着賞金:580万円と定められている。
セントウルステークス歴史
1987年 – 4歳(現3歳)以上の競走馬による賞金別定の重賞(GIII)競走・セントウルステークスが創設され、阪神競馬場の芝1400mで施行された。
1988年 – 河内洋が騎手として史上初の連覇。
1989年 – 混合競走に指定。
1990年 – 阪神競馬場の改修工事により中京競馬場の芝1200mで施行。
1991年 – 阪神競馬場の改修工事により中京競馬場の芝1200mで施行。
1994年 – 京都競馬場の改修工事による振替開催に伴い、中京競馬場の芝1200mで施行。
1995年
指定交流競走に指定され、地方所属馬は3頭まで出走可能となる。
阪神競馬場の阪神・淡路大震災の影響による復旧工事により京都競馬場の芝外回り1400mで施行。
1996年 – 武豊が騎手として2人目の連覇。
2000年
施行距離を現在の芝内回り1200mに変更。
施行時期を9月下旬から9月上旬に再度移設。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件を「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2002年
負担重量を賞金別定からグレード別定に変更[1]。
ビリーヴがコースレコード1:07.1で優勝。
当時、地方兵庫所属の岩田康誠が当競走で地方所属騎手として初制覇。
2004年 – 負担重量を1年より前のGI・GII競走優勝実績馬に対しては、1kg減量する措置を行う[2]。
2005年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
グローバル・スプリント・チャレンジに参加、第5戦に組み込まれる。
ゴールデンキャストが史上初の連覇。
橋口弘次郎が調教師として史上初の3連覇。
2006年
グレードをGIIに格上げ。これにより、負担重量を現行のものに変更。
サマースプリントシリーズの最終戦に組み込まれる。
阪神競馬場の馬場改修工事により中京競馬場の芝1200mで施行、フルゲート18頭で争われた。
オーストラリアのテイクオーバーターゲットが外国調教馬として史上初の出走。
2007年
国際GIIに格付け。
日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。但し、当年は馬インフルエンザの影響により中央競馬所属馬のみで施行。
2008年 – 関西主場においての最終レースの発走時刻を16時40分に設定したことに伴い、当競走の競走番号が第11競走から第10競走に変更。
2010年 – 香港のグリーンバーディーが外国調教馬として史上2頭目の出走。
2011年
グローバル・スプリント・チャレンジの対象競走から外れる。
東日本大震災の影響による薄暮開催の中止に伴い、この年は第11競走として施行。
セントウルステークス歴代優勝馬
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手調教師 馬主
第1回 1987年9月13日 ミスターボーイ 牡5 1:22.5 河内洋 中尾正 小原巖
第2回 1988年9月11日 サンキンハヤテ 牡4 1:21.7 河内洋 橋口弘次郎 河原サキノ
第3回 1989年9月10日 ホウエイソブリン 牡5 1:20.9 村本善之 目野哲也 北川末次
第4回 1990年9月9日 エーコーシーザー 牡5 1:08.5 田島信行 安田伊佐夫 池内賢市
第5回 1991年9月8日 ニフティニース 牝4 1:07.9 竹原啓二 松山康久 吉田善哉
第6回 1992年9月13日 マイスーパーマン 牡6 1:22.8 南井克巳 鹿戸幸治 菅原吾一
第7回 1993年9月12日 エリザベスローズ 牝4 1:22.1 河内洋 渡辺栄 吉田勝己
第8回 1994年10月2日 エイシンワシントン 牡3 1:08.7 熊沢重文 内藤繁春 平井豊光
第9回 1995年10月1日 ビコーペガサス 牡4 1:21.2 武豊 柳田次男 (有)レジェンド
第10回 1996年9月29日 フジノマッケンオー 牡5 1:21.0 武豊 中村好夫 中村寛俊
第11回 1997年9月28日 オースミタイクーン 牡6 1:21.0 武幸四郎 武邦彦 山路秀則
第12回 1998年10月4日 マイネルラヴ 牡3 1:21.3 武豊 稲葉隆一 (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第13回 1999年10月3日 エイシンガイモン 牡6 1:20.7 芹沢純一 加用正 平井豊光
第14回 2000年9月10日 ビハインドザマスク 牝4 1:07.6 福永祐一 北橋修二 (有)サンデーレーシング
第15回 2001年9月9日 テネシーガール 牝4 1:08.1 山田和広 坪正直 平井豊光
第16回 2002年9月8日 ビリーヴ 牝4 1:07.1 岩田康誠 松元茂樹 前田幸治
第17回 2003年9月14日 テンシノキセキ 牝4 1:07.8 横山典弘 橋口弘次郎 杉谷枡夫
第18回 2004年9月12日 ゴールデンキャスト 牡4 1:08.2 武豊 橋口弘次郎 前田幸治
第19回 2005年9月11日 ゴールデンキャスト 牡5 1:08.3 小牧太 橋口弘次郎 前田幸治
第20回 2006年9月10日 シーイズトウショウ 牝6 1:08.6 池添謙一 鶴留明雄 トウショウ産業(株)
第21回 2007年9月9日 サンアディユ 牝5 1:07.1 川田将雅 音無秀孝 松岡隆雄
第22回 2008年9月14日 カノヤザクラ 牝4 1:07.3 小牧太 橋口弘次郎 神田薫
第23回 2009年9月13日 アルティマトゥーレ 牝5 1:07.8 松岡正海 奥平雅士 (有)社台レースホース
第24回 2010年9月12日 ダッシャーゴーゴー 牡3 1:08.0 川田将雅 安田隆行 芦田信
※国際競走となった2005年以降は国旗を表記。
本競走からのスプリンターズステークス優勝馬
2000年からスプリンターズステークスの前哨戦として施行されているが5頭がスプリンターズステークスを制覇している。
以下は複数回出走した該当馬は優勝年を表記したもの。なお、本競走を勝利してスプリンターズステークスと連勝した馬は現在のところビリーヴしかいない。2002年のスプリンターズステークスは新潟競馬場での代替開催だったため、現在でも本競走と本来の中山競馬場開催のスプリンターズステークスを連勝した馬はいない。
回数 馬名 性齢 着順 備考
第14回 ダイタクヤマト 牡6 7着
第16回 ビリーヴ 牝4 1着 2003年高松宮記念優勝
第17回 デュランダル 牡4 3着 2003・2004年にマイルチャンピオンシップを連覇
第20回 テイクオーバーターゲット 騸7 2着 外国調教馬
第23回 ローレルゲレイロ 牡5 14着 2009年高松宮記念優勝
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