菊花賞のエピソード
菊花賞のエピソード
競走不成立 1944年の第7回は第二次世界大戦中に能力検定競走として長距離特殊競走の名で施行され、第13回東京優駿競走の優勝馬カイソウが3:30 4/5[4]の時計でクリアズマに3/4馬身の差を付けて勝利、競走も終わり騎手も検量室に引き上げ検量を終えた時、審判団から競走の不成立が申し立てられた。不成立の真相は第6回競走のコースが内回り1周・外回り1周だったのに対し第7回競走は内回り2周に変更されていたのだが主催者側の日本競馬会の伝達不備で全出走馬が前回と同じコースを通過、規定の3000mよりも100m程多く走ってしまったのである。これにより1944年の第7回は競走不成立により全出走馬が失格となり、第二次世界大戦後の1946年に改めて第7回として開催された。
菊花賞 落馬
当競走での落馬の中でも2002年の第63回、1番人気に支持された武豊騎乗のノーリーズンがスタート直後に躓き鞍上の武豊が落馬し競走を中止した。人馬ともに怪我はなかったが、同馬絡みの勝馬投票券(馬券)約110億円分(この年の菊花賞の売り上げの約半分)が一瞬のうちに紙屑となった。なおこのレースで優勝したのは10番人気のヒシミラクルで2着に16番人気のファストタテヤマが入り、大波乱を巻き起こした。 奇しくも10日後に名古屋競馬場で施行された、第43回東海菊花賞でもレジェンドハンターに騎乗した安藤勝己がスタート直後に落馬している。
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