菊花賞の歴史
菊花賞の歴史
1938年 - 4歳(現3歳)の牡馬・牝馬の競走馬による定量(牡馬55kg・牝馬53kg)の重賞競走として「第1回京都農林省賞典4歳呼馬」が創設され、京都競馬場・芝3000mで施行された。 1940年 - 負担斤量を牡馬57kg・牝馬55.5kgにそれぞれ変更。 1941年 - セントライトが史上初のクラシック三冠を達成。 1944年 「長距離特殊競走」名称で能力判定競走として施行されるが、競走中に全出走馬がコースを間違えたため競走不成立(当該項を参照)。 1945年 - 第二次世界大戦により中止。 1950年 - 二冠馬クモノハナが2着に敗れる。 1953年 - 二冠馬ボストニアンが5着に敗れる。 1959年 - この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。 1953年 - 二冠馬コダマが2着に敗れる。 1961年 - アズマテンランが持込馬として史上初の制覇。 1962年 当競走で史上最多の23頭が出走。 二本柳俊夫が調教師として史上初の連覇。 1963年 - 二冠馬メイズイが6着に敗れる。 1964年 - シンザンが2頭目のクラシック三冠を達成。 1965年 - 栗田勝が騎手として史上初の連覇。 1970年 - 二冠馬タニノムーティエが11着に敗れる。 1973年 - 元地方大井所属のハイセイコーがタケホープに2度目の敗走。 1974年 - 武邦彦が騎手として2人目の連覇。 1975年 - ヤマゼントップが第1コーナーでコースから外れて外ラチに激突、鞍上久保敏文が落馬。 1976年 - 12番人気のグリーングラスがトウショウボーイ・テンポイントを破り優勝。 1977年 - プレストウコウが芦毛馬として史上初の3歳クラシック制覇。 1979年 - 京都競馬場のスタンド改築工事による振替開催により、阪神競馬場の芝3000mで施行。 1982年 - 菅原泰夫が騎手として3人目の連覇。 1983年 - ミスターシービーが3頭目のクラシック三冠を達成。 1984年 グレード制施行によりGIに格付け。 シンボリルドルフがデビューから無敗で4頭目のクラシック三冠を達成。 1987年 - 施行時期をエリザベス女王杯と交換。 1992年 - 二冠馬ミホノブルボンが2着に敗れる。 1993年 - ビワハヤヒデが持込馬として史上2頭目の制覇。 1994年 - ナリタブライアンが5頭目のクラシック三冠を達成。 1995年 指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。 ダンスパートナーが牝馬として18年振りの出走、1番人気に支持される(結果は5着)。 1998年 - セイウンスカイが当時の芝3000mの世界レコード3:03.2で優勝。 2003年 負担重量を定量から馬齢重量に変更。 二冠馬ネオユニヴァースが3着に敗れる。 2004年 当年のみ「日本中央競馬会創立50周年記念 菊花賞」として施行。 岩田康誠がJRA史上初の地方競馬所属騎手によるクラシック競走制覇。 2005年 外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。 ディープインパクトがデビューから無敗で6頭目のクラシック三冠を達成。 二冠馬メイショウサムソンが4着に敗れる。 2007年 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。 2009年 - ポルカマズルカが牝馬としてダンスパートナー以来14年ぶりに出走(結果は17着)。 2010年 - 国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となる。
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