橋口 弘次郎
橋口 弘次郎 エピソード
実績を挙げた調教師は若手であってもすぐに評価し、その調教方針から範を取って、自らの調教に取り入れることもある。そのため、レース週の追い切りなどにはしばしば変化が見られる。 栗東トレーニングセンターに坂路コースが完成した際、いち早く調教メニューに組み入れた調教師の一人でもある。 1996年にロゼカラーが桜花賞を熱発で回避し次の週にはダンスインザダークが同じく熱発で皐月賞を回避したり、ロゼカラーの仔ローズバドが母と同じ熱発で桜花賞を回避するなど、春のGIでは運に恵まれない面もあった。 東京優駿(日本ダービー)に人一倍執着を持っており、「私の一年はダービーに始まり、ダービーで終わる」と語ったこともある。その考え方を表すように、1999年から2006年までは8年連続で日本ダービーに管理馬を出走させていた。 1996年にダンスインザダークで、2004年にハーツクライで、2009年にリーチザクラウンで、2010年にローズキングダムで2着に入っているが、まだ日本ダービー制覇の夢は実現できていない。 新潟事件によって所属する関東の調教師からの騎乗依頼が激減した後、主としてローカル開催で関西馬に騎乗することが多くなっていた大崎昭一騎手。 同県出身ということもあり「大崎昭一に1000勝させる会」と一部で呼ばれた調教師グループの一員として橋口調教師も加わっていた。管理馬であったレッツゴーターキンが谷川岳Sから大崎騎手とコンビを組むとそれまでの不安定な成績が一変、勝ちきれないことも多かったが安定した成績を残すようになった。 福島民報杯を勝ったところで、半信半疑ながらも大崎騎手のアドバイスにより秋の天皇賞へ出走、11番人気ながらも先行馬の作った猛烈なハイペースに乗じて直線一気の剛脚を炸裂させ、一緒に伸びたムービースターをおさえて見事栄冠を勝ち得た。大崎騎手にとっては11年ぶりのG1級勝利であった。 熱烈な読売ジャイアンツファンで知られ、2006年5月4日の阪神甲子園球場で行われた、阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦のラジオ日本ジャイアンツナイターにゲスト出演した。
橋口 弘次郎 調教師成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順 初出走・初勝利1982年3月13日1回阪神5日2R4歳未勝利ハクサンレンポー--1着 重賞初出走1983年9月11日4回阪神4日11RサファイヤSカルストンダンサー13頭1213着 重賞初勝利1984年1月29日2回京都2日11R京都牝馬特別カルストンダンサー13頭81着 GI初出走1984年11月18日5回京都6日10RマイルCSカルストンダンサー16頭1414着 GI初勝利1992年11月1日4回東京8日10R天皇賞(秋)レッツゴーターキン18頭111着
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