帯広競馬場の歴史 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

帯広競馬場の歴史

帯広競馬場の歴史
1911年
9月2日 - 皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が帯広町(当時)に行啓し、十勝畜産組合が台覧に供した7頭の馬の中からトロッター種蓋世号を御料馬として金1千円をもって買い上げる。
10月25日 - 御料馬買い上げの記念行事として、十勝畜産組合が、道庁から無料貸付を受けた帯広町東4条9丁目-12丁目以東27町8畝12歩の国有未開地に十勝競馬場の建設を決議し、帯広刑務所に依頼して建設を開始。
11月17日 - 十勝競馬場開場。

同日と翌日の2日間で行われた第1回十勝競馬では27頭が出走、1200名が来場。
1931年
1月 - 帯広町長(当時)横瀬農夫也が、帯広町の東方への発展を阻むものとして当時議論になっていた十勝競馬場の移転を十勝畜産組合に対し正式に要請。

十勝畜産組合は要請を受け入れる。
1932年
8月8日 - 走路1周1600メートル、幅員34メートル、観覧席1棟303坪、投票所1棟、厩舎4棟の施設を備えた現在地に移転。

帯広川に通ずる排水のための明渠1245メートルを設置。総事業費560万円。
ばんえい走路を直線走路200メートル、幅員20メートルに改修。
1972年
走路西側に厩舎9棟を新築。

入厩可能頭数が600頭になる。
1974年
6月20日 - 3階建て鉄筋コンクリート造、建築面積4345.68平方メートル、床面積8941.13平方メートルの観覧席改築工事が竣工。

装鞍所、下見所、入場券売場、厩務員宿舎、敷地周囲のガードフェンス、電光掲示板を設置。スタンド等の規模拡大に伴い、走路が1周1570メートル、幅員20メートルに縮小。

1975年
走路内、ばんえい走路奥に「帯広柏林馬事公苑スポーツセンター」開設。庭球場12面、球技場芝生2万300平方メートルを備える。

冬期間は球技場にアイスホッケーリンク2面、日本スケート連盟公認スピードスケートリンク1周400メートル、幅員15メートルを整備。入場門から走路内に通じる専用地下通路を設置。
1978年
第1コーナーから第2コーナーの間に内回りコースを設置。内回り1500メートル競走が実施される。

第2コーナー奥に引き込み走路を設置。1200メートル競走が実施される。
ばんえい走路にヒーティング設備を設置。
1997年
9月18日 - この日の開催をもってホッカイドウ競馬が帯広開催から撤退し、以降は場外発売のみを行っている。
2007年
ばんえい競馬が帯広での単独開催となり、全日程が帯広開催となる。
ばんえい走路脇にナイター設備を新設し、「ばんえい十勝ナイトレース」を開始。

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