オグリキャップ 6歳(1990年)競走内容 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

オグリキャップ 6歳(1990年)競走内容

オグリキャップ 6歳(1990年)競走内容
有馬記念出走後、オグリキャップはその日のうちに、休養のために競走馬総合研究所常磐支所の温泉療養施設へ移送された。

オグリキャップのローテーションについては前半シーズンは天皇賞(春)もしくは安田記念に出走し、9月にアメリカで行われるGI競走アーリントンミリオンステークスに出走すると発表された。その背後には、アメリカのレースに出走経験がある馬のみが掲載されるアメリカの獲得賞金ランキングに、オグリキャップを登場させようとする馬主サイドの意向があった。
オグリキャップは2月中旬に栗東トレーニングへ戻されて調整が続けられた。当初初戦には大阪杯が予定されていたが、故障は見当たらないものの調子は思わしくなく、安田記念に変更された[70]。

レースでは2、3番手を追走して残り400mの地点で先頭に立ち、コースレコードの1分32秒4を記録して優勝した。なお出走後、オグリキャップの通算獲得賞金額が当時の日本歴代1位となった(レースに関する詳細については第40回安田記念を参照)。
続く宝塚記念では終始3、4番手に位置したが直線で伸びを欠き、オサイチジョージをかわすことができず2着に敗れた(レースに関する詳細については第31回宝塚記念を参照)。オグリキャップはレース直後に両前脚に骨膜炎を発症し、さらにその後右の後ろ脚に飛節軟腫(脚の関節に柔らかい腫れが出る疾病)を発症、アーリントンミリオンステークスへの出走を取りやめて7月中旬から競走馬総合研究所常磐支所の温泉療養施設で療養に入った。
陣営はかねてからの目標であった天皇賞(秋)出走を目指し、8月末にオグリキャップを栗東トレーニングセンターへ移送したが、10月上旬にかけて次々と脚部に故障を発症して調整は遅れ、「天皇賞回避濃厚」という報道もなされた。最終的に出走が決定したが、レースでは序盤から折り合いを欠き、直線で伸びを欠いて6着に敗れた。

続くジャパンカップに向けた調教では一緒に走行した条件馬を相手に遅れをとり、体調が不安視された。レースでは最後方から追走し、第3コーナーから前方への進出を開始したが直線で伸びを欠き、11着に敗れた。
ジャパンカップの結果を受けてオグリキャップはこのまま引退すべきとの声が多く上がり[† 29]、馬主の近藤に宛てた脅迫状(出走を取りやめなければ近藤の自宅および競馬場に爆弾を仕掛けるという内容)が日本中央競馬会に届く事態にまで発展した[73]が、陣営は引退レースとして有馬記念への出走を決定した。レースでは序盤は6番手につけて第3コーナーから馬群の外を通って前方への進出を開始し、直線で先頭に立って優勝した。

限界説が有力に唱えられていたオグリキャップの優勝は「奇跡の復活」「感動のラストラン」と呼ばれ、レース後、スタンド前でウイニングランを行った際には中山競馬場にいた観衆から「オグリコール」が起こった[74]。なお、この競走でオグリキャップはファン投票では第1位に選出されたものの、単勝馬券のオッズでは4番人気であった。

この現象について阿部珠樹は、「『心とお金は別のもの』というバブル時代の心情が、よく現れていた」と評している。

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