東京盃
東京盃(とうきょうはい)は大井競馬場で行われる地方競馬の重賞(JpnII)競走。
農林水産省が賞を提供、また「Road to JBC」に指定されているため、正式名称はRoad to JBC 農林水産大臣賞典 東京盃と表記される。 1967年に創設された地方競馬では全国で初めての短距離重賞競走で、創設時から大きく条件の変化はない。 創設時は船橋の報知グランプリカップと共にサラブレッド系だけでなくアングロアラブ系馬の出走も可能なオールカマーの重賞競走であった。1995年に全国指定交流競走となりJRAおよび他地区所属馬にも門戸が開かれたが、アラブ系の衰退により1996年に南関東公営競馬でのアラブ系競走が廃止され、出走資格がサラブレッド系のみとなった。 1997年よりダート競走格付け委員会によりGIIに格付けされ、ジャパンブリーディングファームズカップ(JBC)が創設されたのに伴い、2001年より「Road to JBC」に指定され、上位馬にはJBCスプリントへの優先出走権が与えられることとなった。 ダートグレード競走以前の時代は、東京大賞典を目指す古馬、東京王冠賞を目指す3歳馬、全日本アラブ大賞典を目指すアングロアラブがこのレースを秋の本番前の足慣らしとして用いた為に、例年南関東のオールスターが揃う、南関東の秋競馬を占う一大前哨戦となっていた。 現在では南関東地区のスプリント王決定戦かつJBCスプリントへの前哨戦の意味合いが高い。 1974年には「アラブの魔女」と呼ばれたイナリトウザイが優勝、1994年にはアングロアラブながら59kgの出走馬中最重斤量を背負ったトチノミネフジが2着に入るなど、時としてサラブレッドと互角以上に渡り合うアラブの活躍が見られた事でも知られる。 最後に出走したアラブは1995年のランドアポロ(5着)である。この年の6着には後のスプリンターズステークス優勝馬ヒシアケボノがいた。 出走資格はサラブレッド系3歳以上の競走馬でフルゲートは16頭である。出走枠は南関東公営競馬所属馬が8頭、南関東以外の地方競馬所属馬が3頭、JRA所属馬が5頭と定められている。
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