東京大賞典 歴史
東京大賞典 歴史 1955年 - 3歳以上の競走馬による重賞競走秋の鞍の名称で創設され、大井競馬場・ダート2600mで第1回が施行された。 1959年 - この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。 1962年 - 施行コースをダート3000mに変更。 1983年 - 高橋三郎が騎手として史上初の連覇。 1987年 - 地方競馬では初となる前日発売が実施される。 1989年 - 施行コースをダート2800mに変更。 1992年 - 堀千亜樹が騎手として史上2人目の連覇。 1995年 - 中央・地方全国指定交流競走に指定。 1997年 - ダート競走格付け委員会にGI(統一GI)に格付けされる。 1998年 - 施行コースをダート2000mに変更。 1999年 - 開催日が12月29日に固定される。 2001年 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。 岩手のトーホウエンペラーが南関東以外の地方所属馬として初の優勝。 2003年 6歳以上の負担重量が4、5歳と同じく牡馬・騸馬56kg・牝馬54kgから牡馬・騸馬57kg・牝馬55kgに変更。 中央競馬の施設で勝馬投票券が発売。 武豊が騎手として史上3人目の連覇。 2005年 船橋のアジュディミツオーが史上初の連覇。 川島正行が調教師として史上初の連覇。 内田博幸が騎手として史上4人目の連覇。 2007年 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により統一グレード表記をJpnIに変更。なお、南関東グレードは併記しないことになった。 売得金が25億20万7900円を記録し、1レースの売上としては地方競馬史上最高となった。当日の入場者数も39000人を記録。 2010年 出走枠がJRA所属馬を5頭から6頭に、南関東所属馬を8頭から7頭に変更。 上位4頭が従来のコースレコードを上回るハイレベルな戦いをJRAのスマートファルコンが制し、ダート2000mの日本レコード2分0秒4で優勝。 同時に、2002年優勝馬ゴールドアリュールとの父子制覇、1999年優勝馬ワールドクリークとの兄弟制覇も達成。 2011年 - 地方競馬では初となる国際競走として実施され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。
もっと詳しく知りたい事や
理解できなかった事などございましたらお気軽にご連絡下さい。