高橋 隆
高橋 隆(たかはし たかし、1941年4月5日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属の調教師、元騎手である。 義父に大久保石松調教師のほか、義弟に沖芳夫調教師。長男高橋亮もJRA所属の騎手。 1941年秋田県大曲市にて6人兄姉の次男として出生。実家は稲作と養鶏を営む兼業農家を生業としていたが長女・四女がそれぞれ婿養子を貰い家業を相続。 その背景から長男である謙治は家業を継がず、中学卒業後に家を離れ大阪・春木競馬場で騎手となる。 運動を得意としバスケット・野球などでその機敏さを発揮し、兄の影響を受け騎手を志すようになっていた隆であったが、運動神経の良さを見込まれ角館高校バスケット部より誘われた経緯から同校を受験し合格。 兄憲治が関西にて弟隆を騎手にすべく奔走、憲治の師匠である上村正行を通じ京都競馬場にて調教師をしていた大久保石松へと話を通し、その道を拓いていたためであった。この後憲治は勝手に隆の進路を曲げたことを咎められ両親から手酷い叱責を受けたという。 1957年春、大久保の元に弟子入りするも、体重が重すぎたことから長期養成所に入ることが出来ず、短期講習生として騎手を目指すこととなった隆は、下乗りなどを経て1963年騎手免許を取得。中京でのデビュー戦を勝利で飾るなど、24勝をマークした隆はこの年制定されたばかりの新人騎手賞を受賞と幸先のよい騎手スタートを切る。 騎手として馬に携わり、やがて調教師を志すようになった隆は当時の心境を「一度好きな馬の世界に入ったら人間はそこから抜けられない、それ以外は考えられないものなんです」と語る。「調教助手はいつでもなれる、ならば受験してみよう」ということで現役時代から幾度も調教師試験に挑むも二次試験に阻まれるという事態を毎年繰り返していた隆であったが、騎手免許を維持するための騎乗数(年間60以上)を維持し、それと平行して試験勉強の時間を確保するのが難しくなってきたことから1989年2月を以って現役を引退。 調教助手として引き続き石松を補佐しつつ、調教師を目指すこととなった。 現役を退き、時間を有効に使えるようになった隆は1年後の1990年調教師試験に合格、1991年3月今春に引退したばかりの義父石松の馬房を継ぐ形で開業、既に技術調教師時代から石松厩舎の業務を代行してきた隆は仕事環境にさほどの変化は無くスタートを切れたという[2]。
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