シンボリルドルフ「七冠馬」のエピソード
シンボリルドルフのエピソード
シンボリルドルフをイメージした「七冠馬」という日本酒が作られている。
シンボリルドルフという馬名は発音がしにくく、レース実況においてアナウンサー泣かせの馬名といわれた。盛山毅はおもに「ルドルフ」、杉本清や草野仁はおもに「シンボリ」と略していた。
上記のようにシンボリルドルフという馬名は発音しづらいために、オーナーの和田は「ル」を省略して「シンボリドルフ」で登録しようと考えた。しかし、命名担当者の説得により「シンボリルドルフ」で登録された。
シンボリルドルフはもっぱらシンボリ牧場で調整され、レース前になると野平厩舎に入厩するというサイクルで競走生活を送った(外厩のはしりとも言える)。野平によると、環境が定期的に変化することがシンボリルドルフの精神にはリフレッシュ効果をもたらし、プラスに作用したという。
もっとも、これはシンボリルドルフだから通用したところもあり、のちにマティリアルに同じようなことをしたら逆効果になり、クラシックシーズン不振の原因となっている。
野平によると、厩舎の馬房にいるときは乱暴な振る舞いをしたが、馬房から外に出ると堂々として暴れることはなかったという。
野平は気ままに振る舞っていい場所をわきまえていたとしている。
シンボリルドルフの調教は、もっぱら野平自身が行った。
1990年度産駒のヤマトダマシイという馬は活躍が期待されていたが、新馬戦を勝利したあとの2戦目で故障し予後不良となった。管理していた藤沢和雄調教師は未だにその死を悔やんでおり、このことからシンボリルドルフの代表産駒として本馬の名を挙げるファンも多い。
カメラがどういうものであるかを漠然とながら理解していたらしく、取材時にカメラを向けると自分からポーズをとってくれたという。
野平は「競馬には絶対はない。だがシンボリルドルフには絶対がある」と1985年の天皇賞・秋の敗戦後にも強気に言いきった。
このことからも野平がシンボリルドルフに絶大な信頼を寄せていたことがうかがえる。
大橋巨泉は「この世代(シンボリルドルフの世代)は上の世代(ミスターシービーなどの世代)よりも強い」と発言し、
ミスターシービーのファンから不興を買った。引退式で大きく蛇行し騎乗していた岡部を振り落とそうとしていた。
ルドルフはシンボリホースメイトの共同馬主馬であった。
これはホースメイトに出す3歳馬をどれにするか決定する会議において、和田がルドルフをホースメイトにすることを決めたからである。
みなで喜べればこんないいことはない。もう私は、競馬をひとりで勝って、ひとりで喜ぶのに飽きているんだ」と語ったという。
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