シンボリルドルフ 5歳時 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

シンボリルドルフ 5歳時

シンボリルドルフ 5歳

シンボリルドルフの1985年初戦の日経賞は単勝オッズが100円元返しだった。
レースでは逃げる馬がいないので押し出される形で先頭に立ったが、4馬身差で勝つ。岡部は手綱を持ったままであった。

次走の天皇賞(春)はミスターシービーがいつもと違って先行策に出たが、結局2馬身2分の1差で快勝。2着にも同じパーソロン産駒のサクラガイセンが入り、ミスターシービーは5着に敗れた。

表彰式で岡部は5本指を立てた。その後、同年の東京優駿優勝馬であるシリウスシンボリとともにキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへの海外遠征が予定された。
海外遠征を控え、資金稼ぎと一部の風評があった宝塚記念に出馬投票を行ったが、レース前日の土曜日の段階で左肩跛行により出走を取り消した。これは、シンボリルドルフが阪神競馬場の杜撰な芝の張替えによって芝がはがれてダートがむき出しになった部分であわや落馬かという転倒をしたことが原因である。

結局この故障によりシンボリルドルフの海外遠征は取りやめとなり、シリウスシンボリのみ渡欧。和田からは引退宣言もでた[22]。
引退宣言からの奇跡的な復活後、天皇賞(秋)にはぶっつけ本番で挑み、ここでも1番人気に支持された。しかし当時は不利とされていた東京競馬場芝2000メートルコースの大外17番枠からの発走で、さらにレースはハイペースとなり、ニホンピロウイナーやウインザーノットらを競り落とすも、ゴール前で13番人気の伏兵ギャロップダイナの大外強襲の前に2分の1馬身差の2着に屈した。

天皇賞(秋)敗退後、馬房のなかでシンボリルドルフが悔し涙にくれたという話が報道された。
前年に負けたジャパンカップは悪天候の重馬場での競走であったが無難にこなし、ジャパンカップ史上初の1番人気での優勝馬となった。

2着にも地方競馬代表のロツキータイガー(大井競馬所属)が入り、同じく史上初となる日本馬のワンツーフィニッシュとなった。表彰式で岡部は六冠を示すために手を手綱から離し、指を1本置いた。
シンボリルドルフにはふたたび海外遠征が計画され、有馬記念は日本国内でのラストランとなった。このレースを前に調教師の野平は強い勝ち方をするよう岡部に指示をした。

レースでは、直線半ばでムチを2発入れて追い出しを開始すると、同年の皐月賞、菊花賞の二冠を制したミホシンザン以下を4馬身突き放し優勝した。フジテレビの盛山毅アナウンサーの実況「世界のシンボリルドルフやはり強い、日本のミホシンザンを離す」「ルドルフはもう日本でのレースはありません」は名文句となった。

この年5戦4勝2着1回で、満票で2年連続の年度代表馬に選出された。年度代表馬を満票で受賞したのはテンポイント(1977年)、シンボリルドルフ、テイエムオペラオー(2000年)の3頭である。
競馬予想のレジまぐ
本日開催中のレース予想一覧

もっと詳しく知りたい事や
理解できなかった事などございましたらお気軽にご連絡下さい。

お問い合わせはこちらからどうぞ

  • Yahoo!ブックマークに登録する
  • はてなブックマークに登録する
  • livedoorクリップに登録する
  • newsingブックマークに登録する
  • del.icio.usブックマークに登録する
  • ニフティクリップに登録する
  • RSSを購読する

次の記事 »
前の記事 »
トップページへ » 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師) TOP